大 腸 ガ ン  Cancer.pdf
発見 2003.11.18
発見(2003年) 1年目(2004年) 2年目(2005年) 3年目(2006年) 4年目(2007年) 5年目(2008年)
 2003年の秋に内視鏡が通らない程の肥大進行した大腸ガンが発見された。即、開腹切除手術し、それ以降現在まで、お先不透明な生活を続けている。今回ガン完治の目安とされる5年が近づいたのと、イレウス(腸閉塞)解除手術を受けたのを契機に、今まで書き留めていたメモを纏(まとめ)て見た。これまでの手術数は一年目のガン摘出と、5年目のイレウス解除の2回で何れもオーソドックスな開腹術式で行った。イレウスに因る緊急入院は、ガンの術後2年目から始まり現在まで4回にも及んだ。ガンの罹患が全て絶望的なものになるとは限らない。私の場合は諸々のしがらみから解放され、自己優先で身勝手な自由が得られたからである。もしガンにならなければ、今でも世間体を気にしながら窮屈な生活を続けていたと思う。だが、これも運命であり「人生須(すべから)く神の思し召し」である。
 詳細は直腸ガン、開腹手術で大腸を25p切除、幸いガンが肛門から離れていたので人工肛門は免れた。進行度はステージUで5年生存率は80%である。大腸ガン取り扱い規約に従い、腫瘍マーカーとCTの定期経過観察のみで、抗ガン剤や放射線等の治療は無い。しかし術後からイレウス(腸閉塞)を併発し食事が満足に摂れず、退院してから何度も入退院を繰り返した。またサプリメントの服用やスポーツジムに通いガン克服に奮闘した。しかし所詮は全て神頼みで20%のガン再発リスクが解消される訳ではない。精神的に落ち込むと再発し易くなると言われるので、夢だった海外旅行三昧をして悔いなく楽しい人生を送ることにした。もし進行度がステージV以上ならば再発リスクは極めて悪く、副作用の強い高額な抗ガン剤治療が必要となる。その状態では体力的、経済的に海外旅行など無理であり、それを思えば幸運だったと言える。
 58歳の初秋から便秘が酷くなり、痔出血の色が鮮血色から暗黒色に変わって来た。しかし痛みや体調不良は無く、夏には谷川連峰にある白毛門(しらがもん)1720mを丸一日かけて家族で登った程であった。定期健康診断は毎年「北浦和M診療所」で受診していた。そして秋の健診で便潜血に陽性反応があったので、同診療所で再診察を受けた。しかしDrは痔ではないかと告げた。胸騒ぎがしていたので注腸検査を依頼する。ここでDrの診断を鵜呑みにしていたら、今頃この文を書くことは無かったであろう。
 5年生存率とはガンを手術してから5年以内に再発しなければ完治したとされる指標である。大腸ガンは術後2年以内で再発するケースが多く、2年間再発しなければ一安心である。そして3年間過ぎればほぼ治癒したと見なされるそうだ。5年生存率80%とは5年以内に20%の患者が転移再発すると言う意味で、必ず5年以内に死亡する訳ではない。ガンのステージが高いと、血液やリンパ液に乗ってガン細胞が大量に体内に拡がり転移再発する。不幸にして再発し手術や抗ガン剤、放射線で治療して5年間以上存命したとしても、それは延命治療(テレビ相談等では語られない)であり完治したとは言えない。ガンは現代医学でも早期発見以外に有効な治療手だては無く、押し並べればガン患者の半分は死亡するそうだ。人体には微細なガン細胞が絶えず発生していて、その増殖を免疫機能がくい止めている。だがストレスや加齢などで免疫力が低下するとガン細胞の分裂が始まる。増殖の早さは健診で早期ガンとして発見できるまでに10年位、その後4年位で進行ガンから末期ガンに至る。ガンは悪性腫瘍とも呼ばれ良性との違いは、その細胞が全身に転移し治療出来ない状態になる。私は20歳代に2回も痔の手術をした痔疾患者で元来腸は弱かった。体型は普通で喫煙はしない。酒もほとんど飲まないし、強いて言えば運動不足位である。そして健康には常に注意を払っていた筈なのだが…。であるから過信は禁物で然るべき病院で毎年健診を受け、ゆめゆめ安易な医者の診断を鵜呑みにしない方が良い。悪化してから治療を始めると、苦痛と多額の治療費に心身とも苦しむだけで治癒するとは限らない。(聞きかじり)
1年目 2003.11.18〜2003.11.18
03.11.18 「北浦和M診療所」で便潜血検査に陽性反応が出たので注腸検査を受診。そしてレントゲン技師の顔色が変わる程の大きな詰まりが腸管に認められた。
03.11.19 翌日診療所で撮影した注腸写真をDrが診察、Drは口を濁しながらガンの可能性を告げた。そして内視鏡による再検査を勧めた。しかし、市の健診を毎年受けていた同診療所には内視鏡の設備が無いのを、この時点で始めて知った。2年前に便潜血の陽性で同診療所の注腸検査を受けたのだが異常なしと診断された。1年前にも便潜血で陽性反応が出たにも関わらず、痔と診断された。その時点で内視鏡による精密検査を受けていれば多分早期発見出来た筈である。
03.11.20 外科研修医の息子に相談したが注腸写真がないのでガンの進行度は分からなかった。しかし注腸写真を見せれば大騒動になっただけで如何ともし難かったであろう。
03.11.21 北浦和M診療所のDrに治療に適した病院の紹介を依頼したが、××な同診療所の系列病院しか推薦されなかった。ガンセンターへの予約も考えたが、ガンが進行し何時腸管が詰まるか分からない状態なので、「さいたま市立病院」へ紹介状を書いて貰う。市立病院の受付時間は午前中で、土日は休診なので急いで病院へ向かう。外来のDr.BBは注腸写真を診て内視鏡が中に入らない位ガンが進行していると告げた。ガンが肛門より離れているので人工肛門にならないだろうとの説明がせめてもの救いに聞こえた。私はただ漠然と説明を聞き、「遂に来るべき時が来た」のを感じただけであった。手術を急ぐ状態なので至急に検査と入院の予約をした。参考だが最近の名医紹介本にDr.BBの経歴が載っていた。後から知った絶望的な腫瘍マーカー値 CEA41.7
03.11.25 病院から渡された大量の下剤を自宅で苦労して飲み、腹を空っぽにして来院した。検査室にはTVドラマ白い巨塔のテーマソング「アメイジング・グレイス」が陰気なムードで流れていた。内視鏡検査は予想通り肛門までしか入らず、組織採取の検査も短時間で終わった。気のせいかNsが同情した表情をしていた。Dr.BBに食事が早急に詰まる恐れはないと告げられドアを出た。
03.11.26 腹部のCT検査をする。バリウムを飲み検査台に寝て、ヨード造影剤を注射し直径1メートル位の輪の中に滑り込む。検査装置はヘリカルCTと称され、放射線を使って直径5mm以上のガンを発見するものなのだそうだ。着替えなど含めて検査は10分位で終了し、注射以外は何の苦痛も感じない検査であった。
03.11.28 外来診察を受ける。入院日は12/1に決まった。
03.12.1(雨) 癌手術入院 さいたま市立病院の外科病棟に入院する。ベッドが病室の窓側で良かった。ここはカーテンで間を仕切った6人部屋なので真ん中のベットに当たると悲劇である。腸の動きが悪いので昼食を摂った後、コンディションを整える為に夕方からは食事無しで点滴だけになる。飲水は可である。その晩は成るようにしかならないのだからと、自分でも意外に平静でよく寝られた。
03.12.2(晴) 窓からの眺めが良い。晩秋の残り少ない紅葉に朝日が当たって鮮やかに輝いていた。長期間大量の点滴をするので、腕のを外して胸の血管に差し替える。血管が見つかり難く何度も太い針を胸に差し込んで探すので痛い、Drが二人掛かりで探しやっとのことでつながる。未納図面のFDをS社のTさんに郵送する。これを最後に廃業したい。
03.12.3(曇) 今日はポカポカ陽気で暖かい。少量の血便がでた。点滴が不調で血液が逆流しチューブから液が漏れていた。朝、同室の2名が手術室に運ばれた行った。私の手術は5日後の月曜日午前中に決まった。当日8時30分に家族3人が集合することになる。肺機能の検査は[4150]の[110%]で問題無いそうだ。シャワーを浴びる度に胸の点滴チューブが絡まって不自由である。シーツ交換があった。病室での電気器具は使用禁止でパソコンは持ち帰ってもらった。娘の中学時代にお世話になったPTA仲間がお見舞いに来てくれた。Uさん、Yさん、Sさん、Aさん、Sさんの5名である。お見舞い金を2万円も頂いて感謝感激であった。退院したら又飲み会をしようと約束して散会した。
03.12.4(晴) 窓から眺める紅葉が朝日に照らされて一段と美しい。今日もポカポカ陽気、ガラス窓を開けて風を通す。病人には青空と新鮮な空気が一番良い。日差しが強かったので、病室の床清掃の不備が気になった。ゴミを目立たなくまき散らしてしている様に見える。
03.12.5(曇) 昨夜は口達者で威勢の良い隣の患者が術後の痛みで大騒ぎ!、お陰で寝不足になった。「口達者術後のじょう舌うめき声」である。麻酔科Drの説明を簡単に1人で聞く。その後、私、カミさん、息子の3人で主治医Dr.BBから病状の説明を聞く。病名は「直腸ガン」で、人工肛門は避けられそうである。腫瘍マーカーCA19−9は問題ないが、CEAの値が41.7(上限値5.0)と異常に高く他臓器への転移が疑われる。しかしCTの診断では転移の所見は無い。大腸ガンの原因と食生活の関係は解明されていない。また消化器系抗ガン剤の効果は期待薄なのだそうだ。息子が手術後に腫瘍マーカー値が下がらなければ、こちらで希望する抗ガン剤を投与して欲しいと交渉してくれた。後日息子が言うには、あの腫瘍マーカーCEAは絶望的な高値で転移が無いのは奇跡的なのだそうだ。「還暦に戻れぬ旅路歩めども我が子育ちて悔いることなし」辞世の詩に成らずに良かった。
03.12.6(曇) Dr.BBに引導(説明)を渡され不安で眠れないかと思ったが、週末で同室の患者が数人外泊し静かになり普段より良く寝られた。手術日が近いので風邪をひかない様に注意する。今朝6時の体温は36.5℃で平熱より少し高い。朝8時には36℃に戻っていた。窓が少し開いていたので寒かった様だ。娘夫婦が見舞いに来てくれた。元気で仲が良さそうなので安心する。肥満娘は2sダイエットしたそうだ、私は飲食不可の状態なので5s体重が減少している。
03.12.7(晴) 昨夜は暖房が効き暖かく熟睡した。夜間の小水が2回で済んだ、普段は5回位と多い。今朝も紅葉した木の葉が一段と美しい。しかし入院当初より葉の数が随分減った。病気の子供が自分の余命と木の葉の数を比べた童話を思い出す。細長い大便が大量に出た、腸が詰まっているからだろうか、下血は不明である。明日の手術に備えNsが電気剃刀で胸からまでの体毛を剃る。羊の毛の刈り込みに似ていた。弟が見舞いに来た。嗜好品を制限したり健康食品に気を配るより健診の重要性を長々と告げたが、今にして思えば病気はガンだけではないから肥満対策も大切である。午後2時に下剤薬マグコロールPの溶液1.8リットルを飲む。同5時10分に排便があり、どす黒い血とドロリとした汚物が大量にでる。Nsに便器を見せると、貧血を案じてか「目眩はしない?」と聞かれたが「腹痛や目眩はない」と答える。腹の中がこんなに傷んでいても痛みを感じないのが不思議である。更に水をコップ3杯飲む、2回目の排便も便器一杯に血が溜まる位出血した。ガンの進行度を自覚する。死ぬ時には苦しまずに逝きたいと願う。「血溜まりの便器覗いて足すくむ」今思い出してもゾットする。
03.12.8(曇) 手術日 昨夜は下血のことが気になって4時間程しか寝られなかった。おまけに同室患者のイビキが酷い。昨日から今朝まで4回下血したが、あれ程大量の血便が出たのに貧血しないのが不思議だ。どす黒かったので腸壁にこびり付いていた分も含まれていたのかも知れない。Nsが「大丈夫よ」と慰めてくれたが少し目眩がする、顔色も悪かったそうだ。痛みが無いだけ幸いだが、間違いなく生死をさまよう手術なのを実感する。息子も私の病状を気遣って緊張し胃薬を持参していた。カミさんは現状認識不可なので平静である。午前中に2人に見送られて手術室に入る。手術台の上で痛み止めの点滴注射を背骨に差し込む。そして酸素マスクを付けられ「始めます」と言われ「アッ」と言う間に手術は終わっていた。手術時間は輸血無しの3時間で順調に終了し、所見での他臓器転移は無かったそうだ。心配していた人工肛門造設も無く安心する。今夜は術後用特別室で寝る。傷口の痛みは少ないが、腹部出血を溜めるドレーン、鼻の管、排尿管、背骨と胸の点滴チューブなどが沢山ぶら下がって安眠出来なかった。後日息子に聞いた話ではDr.BBが予想以上に早く手術室から出てきたので、ガンが大き過ぎて切除出来ない状態なのではと思いドキッとしたそうだ。
03.12.9(晴) 今日は排尿管を外し点滴棒に掴まって病院の廊下を歩いて運動する。早期に身体を動かす方が回復が早いのだそうだ。背骨からの点滴が効いて痛みは無い。Nsに身体を拭いてもらってサッパリした。だが楽なのは今宵までとはつゆ知らずに就寝した。
03.12.10(晴) 今日はポカポカ陽気。一般病室に移ったがベットが最悪の場所にセットされ紅葉も見られない。Nsは個室も大部屋も治療方法は同じだからと言うが、余程神経が図太くないと大部屋の居心地は辛いものである。だが¥の問題もあるから、ここは忍で耐えるのみ。手違いで背骨の点滴交換が遅れ痛みが夕方7時頃まで続いた。この点滴が無かったら痛くてとても寝ていられない。術後から37.5度と微熱が続いている。暫くシャワーを浴びられないので、カミさんにタオルで拭いて貰って寝た。
03.12.11(雨) 痔の痛みもあって昨夜も余り安眠出来なかった。直腸ガンの手術は自動吻合器を肛門から入れて腸をつなぐ、その器具で肛門の穴が裂けて拡がったらしい。当面は痔の薬を使って治療するが治癒すれば長年の痔疾患から解放される。鼻に入っている管で咽(のど)が常に痛い。ガス(屁)が沢山出るようになって安心する。点滴しているので排尿が一日10回位あり、毎回250tで一日2.5リットルも出る。今日から大健中湯(だいけんちゅうとう)とマグラックスが出される。何れも排便を促す薬で抗ガン剤では無い。寝不足と痛みはあるが手術前より気分が良い。何か悪いつき物が落ちた様な感じがする。後日切除した腸の写真を見たが何とも不気味であった。夕刻前にうたた寝しご馳走を大量に注文する夢を見たが、食べる前に目が覚めて排尿に行った。
03.12.12(曇) 昨夜は何回も目が覚めたが寝不足な感じはしない。背骨の点滴の落ちが遅いそうだ。この大部屋は術後間も無い患者が入る病室でNsは忙しそうである。ガスを一気に出したいのだが、傷口が痛くて力が入らず少しづつしか出せない。これから食事して大便が出れば安心なのだが、朝食の配膳はなかった。昼食に三分粥が出たので排便を祈って半分食べる。背骨からの点滴が外される。痛みが減って楽に身体を動かせる様になった。夕方カミさんが帰って暫くして、Dr.BBが様子を見に来てくれた。腹脂肪が薄かったので楽に執刀出来たそうだ。出血も20ccと少量で、現在の状態は全く問題ないので一週間以内に退院出来るとの事であった。詳細は術後時に息子へ伝えてあるそうで、今月26日の外来診察で病理検査結果の説明を受けることになった。
03.12.13(晴) 腹部は痛むが、病室のいびきに慣れたのか良く寝られた。夜間に3回位排尿に行く。毎回200cc位出るので老人性頻尿では無いようだ。隣の患者は昼夜を問わず常に何かを食べ続けている。元気そうだし羨ましい病気もあるものだと呆れる。知人のNさんご夫妻が遠路からお見舞いに来てくれた。お花と金子が1万円も包んであった。何時もながらの気遣いに感謝感激。カミさんの携帯に電話するが相変わらず何回かけてもつながらない。胸の点滴も終了、だが余り楽になった感じはしない。ドレーンは未だ付いていて出血もある。下痢が続いていて痔が痛んで困る。
03.12.14(晴) 腹のドレーンを外す。これで残りは手術糸だけである。お腹は身体を動かすと未だ痛い。娘婿のご両親がお見舞いに来てくれた。その後、息子も術後の具合を診に見舞いに来てくれた。退院が近いと会話して喜んでいたのだが…。その日の昼食を食べてから腹痛が始まって、夕食が咽を通らない。更に胃も痛くなり、のたうち回った。自分で咽(のど)に指を入れておう吐させると何とか収まった。だが、これがイレウス(腸閉塞)の前兆とは知る由も無かった。
03.12.15(晴) 昨夜の騒動を心配して朝からDr.BBが胃カメラで診察してくれた。胃には問題なしで安心する。そして心因性の胃痛で一件落着になった。胃カメラが終わると昨日からの疲れでグッタリした。今晩問題無ければ明日退院の予定である。用心して三食とも僅かしか食べなかった。退院後は暫くリンゴとヨーグルトで暮らそうなどと考える。夕方になって真面(まとも)な排便があったので安堵する。
03.12.16(晴) 昨夜は良く寝られ、朝退院を告げられた。みんなにお世話になり、先のことは分からないが、限りある命を大切に有意義な人生を歩んで行きたい。などと名残を惜しんだのが敗因か、ドレーンの穴から腹水が大量に溢れ出して急きょ退院中止になる。痛みや出血は無いのだが、ガーゼや下着が水浸しになってしまった。ガーゼで穴を覆って処置する。
03.12.17(曇) 朝、腹水の溢れは収まっている。外はドンヨリ冬景色、名残惜しさは消え失せ早期退院を願うのみ。9時過ぎにDr.BBが診察する、今日中様子を見ることになる。朝食を半分食べる、食欲も少し戻った見たい。腹水に原因があるのかも知れない。回診で腹水が止まっていたので絆創膏を貼るだけで終了。手術の傷跡を恐る恐る覗いたら酷い姿になっていて、とても正視できる状態では無かった。シャワーを浴びても良いと言われたが、自宅に戻ってからにする。夕方から再び胃痛が始まる。試しにトマトジュースを飲んだが全くダメ。後から知ったのだがイレウスには飲食水は厳禁である。指を使っておう吐したのだが、今度は全く効果無し、ベットが固定式なので身体の傾斜も変えられず只苦しいの一言。Dr.BBに胃痛鎮痛薬ブスコパンを注射してもらい安眠…。だが2時間位で痛みが再来。
03.12.18(曇) 朝から胃が痛く不調が続く、ブスコパンを注射してもらった。カミさんが心配して朝から見舞いに来る。Dr.BBから病理検査でリンパ節転移無しと告げられたので安堵する。後日これが生死を分かつ程の幸運な知らせであり、イレウスの痛みなどは問題外なのを知った。胃が痛く食事が全く食べられない。レントゲン検査ではイレウスの疑いは無いそうだ。心因性胃痛を改善するためか、病室が変更になり窓際のベッドに移れた。スペースが広くなって気分が良い。そのお陰か大便が大量に出てスッキリする。未だ胃のむかつきは残っているが昨夜の様な痛みは無い。昼から飲食中止、腕の点滴再開。頭が痛くなってきて、しょうすい状態。痛くならないのを祈って早めに寝る。CEA 13.8
03.12.19(晴) 窓際のベッドに移ったので朝の気分が良い。昨夜は何度か目が覚めたが胃痛は無くよく眠れた。10日前まで綺麗に紅葉していた木々はみんな葉を落とし、窓の外はすっかり冬景色になっていた。今日は一日中点滴と水だけ。美味しい物が食べたい気分になったので胃の調子は良くなったようだ。退院予定は3日後。
03.12.20(晴) 今朝は晴天だが寒い。晩秋を飾った広葉樹の葉は全て散って、杉などの針葉樹が寒空に向かって黒っぽく立っている。季節感のある植物の方が詩情があって良い、そんな墓地に入りたいなどと落ち込んでいた。今日から全粥が配膳されるが、拒食症になったような気分で食事が恐ろしい。心配しながら食べたが胃痛や吐き気は起きなかった。だが排便が無いのが気になる。同室に食道ガンの患者が2人いたが意外に食欲旺盛であった。
03.12.21(晴) 退院 今朝は快晴、葉のない木々もオレンジ色に染まって美しい。入院してから3週間過ぎ、明日月曜日の午前中に退院できる筈である。今日胃痛が起きないことを祈る。昨夜は病室のいびきが酷くて途中で目が覚めた。そして暫くして、ヤット静かになったので何とか眠ることが出来た。新顔のいびきの張本人は昼間も大いびきをかいて寝ている。この状態で明日まで此処にいたら余計悪化するのでは…と思い、Dr.BBに今日の退院を希望して許可を貰う。手術したての頃は咳をすると悶絶する程、腹部が痛かったが今は収まっている。浣腸は未だ危険なのだそうで下剤を処方して貰う。外来診察の予定を聞いてカミさんに付き添われ、正午頃逃れる様に退院した。
03.12.22 昨日退院し久振りに我が家で食事した。喜んでいたら油断大敵で、その夜に胃痛が始まり一晩中苦しく、もがき続けた。朝になっても回復しないのでDr.BBに連絡して市立病院の外来へ受診する。別のDrがレントゲンを撮って診察したが、原因不明の取り合えず大丈夫で、ブスコパンの飲み薬を処方され帰宅した。家に戻ると何とか落ち着いたので、夕食を4時頃食べて床に入る。寝付きは悪かったが胃痛は無く安眠した。
03.12.26 病理検査結果と今後の治療方針を息子とカミさん3人で聞きに行く。午前10時に採血とレントゲン撮影をして11時にDr.BBから説明を受けた。リンパ節転移は無いが未だ腫瘍マーカーCEAが9.3と高く予断は出来ない。ドレインから腹水が溢れたのは問題ない。Dr.BBと息子は転移を疑っている様子であった。しかし症状はステージUなのでガン取り扱い規約に従って抗ガン剤治療は行わなわず、腫瘍マーカーの値を見守ることになった。次回診察は1/23になる。CEA 9.3
04.1.23 市立病院の外科外来で採血と診察をする。車の渋滞を避け早めに家を出て、受付の一時間前に着いたが、始めての1人外来で迷ってしまい、結局受診は遅くなってしまった。血液検査表を見たDr.BBが、「オッ5だ」と驚いた様に言った。腫瘍マーカーCEAの5は正常値で死に神から遠ざかったことになる。守り神に感謝し病院を出た。CEA 5.0
04.3.12 採血検査をする。前回より更に値が下がっていて安心する。3/7〜3/10に20年前、息子と滑った丸沼スキー場を訪れた。コースはほとんど忘れていたが、宿泊した温泉旅館を思い出し、バスの窓から懐かしく眺めた。過ぎ去りし歳月は遠く、残された月日は少ない。日々薄氷を踏む思いである。CEA 3.1
04.6.11 CT検査と採血をする。検査室の椅子に70才以上の高齢者が数人座っていた。色々な病歴を話題にしていたが、ガンの言葉は一度も聞かれなかった。誰もが口に出したくない忌まわしい病名である。今日は検査のみで結果は来週にでる。不安(太陽なら良いのだが)が一杯である。苦しいときの神頼みでサプリメントを飲み始めたが、効果は気休め程度である。
04.6.18 CT、マーカー共に問題なしで良かった。だが先は長い。CEA 2.2
04.7.30 研修医の息子が外科学会誌で「タガメット」と称する、大腸ガンに効果がある薬を見つけてくれた。その薬を出して貰えるかDr.BBに聞きに行ったが、保険適用外と言われ、全く取り合ってもらえなかった。
04.8.2 タガメットを処方してくれる医者を捜す。浦和駅前の東洋医学も扱う、Tクリニックに行き話すと効かないと言われ断られた。取り合えず血液検査をし、漢方薬とサプリメントを処方されたので購入して帰る。
04.8.9 Tクリニックに前回の検査結果を聞きに行った。コレステロールが220で高いと言われた以外は問題なし。再度、漢方薬とサプリメントを処方されたが、体調が悪い訳では無いので購入しないで帰った。東洋医学でガンを云々する医者は、どうも胡散臭(うさんくさ)い感じがしてもう行かない。「タガメット」は安価な薬なので息子に出して貰い、その後半年間飲み続けた。この薬は術後直ぐなら効果があるらしいのだが、半年も過ぎて飲み始めたので効果は不明である。
04.9.17 採血と診察をする。問題なしでこれから3ヶ月間は、取り合えず安心の期間。CEA 2.2
04.10.25 近所のK医院で、さいたま市の基本健診を受診する。
04.11.9 K医院で胃カメラを受診する。
04.11.15 K医院に検査結果を聞きに行く。胃カメラ異常なし。CEA 2.2、PSA0.7(前立腺腫瘍マーカー)、基本健診、何れも異常なし。大腸カメラを来年2月に受診する。
04.12.2 CT検査と採血をする。結果は明日でる。
04.12.3 CT、マーカー共問題なし。無事一年が過ぎ、これで何パーセントか生存率が上がったことになる。だが未だ先は長い。CEA 2.3
2年目 2005.2.7〜2005.12.21
05.2.7 K医院へ大腸カメラの予約に行く。検査日は2/26に決まり、下剤と検査食を貰って帰る。初期ガンはカメラでしか捉えられないので、これをクリアすれば何%かは生存率が上がる。CTや腫瘍マーカーでは進行ガンしか発見できないので、生存率は変わらないと言われている。今年も採血を3ヶ月毎、CTは半年毎の間隔で定期検査を受ける。
05.2.26 朝からK医院で大腸カメラの検査をする。前の日から検査食を食べ下剤を呑んで医院に行く。お仲間数人と一緒に下剤の水2リットルを2時間位かけて少しずつ呑みトイレに通う。5回位で便が水だけになるので、残糞がないのNsに確認して貰う。OKが出た順に午後から検査を受ける。便秘症の私は出が悪くて最後になってしまった。検査台の上で横になり注射をされたら眠ってしまい、目を覚ましたら病室のベットに寝ていた。結果は一週間後に聞きに来て下さいと言われた。もっと早く目が覚めていたら即様子が聞けたのだが…。即入院した人もいたからそれよりは良かった。
05.3.3 市立病院で採血をする。8時半に番号札を取って9時に採血し、支払いを済ませて9時半に病院を出た。結果は明日の診察で知らされる。
05.3.4 今日は朝から大雪である。昨日の検査結果を市立病院に聞きに行く。診察の順番はトップであった。いつもの不安で頭がボンヤリし、神の審判を仰ぐような気分である。問題なしでホットした。次回のCTと採血を予約して病院を出る。次はK医院に大腸カメラの結果を聞きに行く。こちらも問題なしでヤレヤレである。これで安心してウイスラーとマチュピチュに行ける。CEA 2.4
05.6.2 市立病院で採血を受ける。CTは半年おき、血液は3ヶ月おきに定期検査し、翌日の診察で結果を知らされる。
05.6.3 検査結果を聞きに行き、問題なしで安心する。マーカーが前回より少し下っていたので安心、僅かな変動は問題ないと言われたが、少しでも上がればドキッとする。外科診察が早く終わったので耳鼻咽喉科へ回って鼻の奥にあるポリープを診てもらいに行く。12時頃ヤット順番が来て診察を受ける。予想通りガンの転移を疑われポリープの生検、内視鏡、レントゲンの検査を続けて受ける。内視鏡の結果はその場で問題なしになったが、他の2つは次回結果待ちである。6/14に鼻のCT検査をすることになった。ポリープは10年以上前からあるのでガンでは無いと思うが心配。歯医者にも通っているし、何処かに少しでも不調があると転移したのでは?と不安になる。検査日が近付く度に、死と背中合わせにいるような気分になる。CEA 2.1
05.6.14 病院へ昼頃着き午後1時半に鼻のCTをする。検査室は大腸と同じ場所だが、午後の検査は始めてだった様な気がする。2〜3人の高齢者が順番待ちしていた。みんなガンなのだろうかとボンヤリしていたら呼ばれたので検査室に入る。頭部検査なので円形の装置がよく見え、音が大きく聞こえ不気味に感じた。たとえ今回で無くとも、何時かはこうして最終結果を知らされ、旅立つ日が来るのだろうと思った。検査は直ぐ終わった。先々週に続いての検査なので、気のせいかNsが気の毒そうな顔をしていた。結果は3日後に知らされる。
05.6.17 10時半に病院に着き、11時頃に診察室に呼ばれる。DrがCTとレントゲンフィルムを診ていた。「良かったですね、問題ありません」と言われホットする。しかし、大腸ガンが未だ完治しているとは言えないし、鼻のポリープを切除すると悪影響の恐れがあるので、このままにしておくことになった。転移で無ければそれで良しである。鼻にはポリープと軽度の蓄膿症があるそうで、治療には全身麻酔で手術して一週間の入院が必要である。帰宅して遅い昼ご飯を食べる。これで夏のスイス旅行を申し込める。
05.8.15【初回 イレウス発症】自宅で昼にイチジクを食べ過ぎた為か、少し胃の調子が悪い。夕方6時頃に恐怖の胃痛が始まる。指を使って吐き出したが更に調子が悪くなる。通常はこれで改善するのだが…。悪化したので息子に電話すると直ぐ病院へ行くようにと言われる。市立病院の救急に電話予約しタクシーを呼ぶ。余りに苦しいので慌てて救急車を呼ぶ。タクシーも来たが初乗り料金を支払って帰ってもらう。その間におう吐して大分サッパリした。8時頃に救急車が到着したので自力で車に乗って担架で横になる。近所の人が見物していた。まさか自分が救急車に乗ろうとは思いも依らなかった。救急車には生まれて始めて乗ったがガタガタ揺れて乗り心地は良くない。市立病院に到着、診察した研修医は私が元気そうに見えたのか、レントゲンと採血をしただけで様子見しようと言う診断で自宅にタクシーで帰る。研修医に水を飲む様に言われたので、ぬるい風呂から上がって水をコップに一杯飲んだ。数分後気分が悪くなり、おう吐し全く良くならないので、今度はマイカーで再び病院に駆け込む。外科のDrが来るまで座薬を入れてもらったが効果無し、Drが来て鼻の穴からチューブを入れ、胃液を出すと少し気分が良くなる。息子がタクシー(¥4万円)で駆け付けて、CTを撮ってくれる様に無理に頼んでくれた。腹中に糞が詰まっていてイレウスと判明、即入院し点滴治療を受ける。気分が幾分良くなったので就寝した。これ以降イレウス開腹手術を含め10年以上に渡り10数回発症入院した。死ぬまで治らない恐ろしい持病ではあるが、人工肛門よりは益しである。
05.8.16 一日で大便が5回位出てスッキリした。Dr.BBは便秘が原因のイレウスでそれ程重症では無いと告げた。レントゲンで診て詰まりは解消していたが、未だ飲食不可で4〜5日入院することになった。鼻のチューブを外してもらい大分楽になる。明日はスイスに出発する日だったが、涙を呑んでキャンセルする。50万円の損失だが旅行中でなくて良かった。息子も安心して自分の勤務する病院へ戻って行った。身内に医者がいると心強い。
05.8.17 本来なら今日スイスにカミさん共々出発していたのに残念無念。水は飲んで良いことになった。小水は5回位でたが、大便がでないので心配。午後レントゲンを撮る。3時にシャワーを浴びた。パジャマを着ると入院が長引く様な気がして、赤いTシャツに着替える。未だベットに飲食不可の札が架かったままである。小水はやたらにでるが大便が出ないので心配。ペットボトルのお茶を沢山呑み明日の排便を期待して就寝。
05.8.18 朝食は無し。レントゲンを撮る。昼食に3部粥が出て半分食べる。味は悪くない。午後から点滴も外れる。2時にシャワーを浴びてTシャツと柄物ステテコを着る。夕食に3部粥を半分食べて10分位散歩して就寝。
05.8.19 5分粥の朝昼晩をそれぞれ半分づつ摂る。ガスは出るのだが便が出ないので心配。3時頃病院の側にある川沿いの道を30分程歩く。真夏の厳しい日差しを避け、木陰を選んで散歩した。病室へ戻ってシャワーを浴びTシャツとステテコを着た。これが涼しくて一番良い。下剤2錠を呑んで就寝した。今日までにで大川隆法の宗教本とアラスカ物語の2冊を読んだ。入院中は雑事に追われなくて良い。
05.8.20 朝6時35分に便がでる。7時30分大量に排便、7時35分続けて軟便が大量にでた。レントゲン撮影を受ける。明日退院の予定、寝る前に下痢気味の便が出た。
05.8.21 今日は退院日、回診後の10時に出られる。頻発していた胃痛は心因性ではなくイレウスの前兆であった。今回は特に重症だったので病名が判明したのだが、もう少し以前から分かっても良さそうなものと思う。イレウスは開腹手術後に多々生じる合併症で、再手術しても治るとは限らない厄介な病気である。しかし心因性と言う軟弱な汚名が晴れて良かった。イレウスは仙人の様に暮らす以外は運動、サプリメント、食事等々注意しても全く効果が無いのが分かった。手術後に再入院したら、もう生きて病院を出られないと思っていたが人生色々である。これからもガン再発とイレウスに怯えながら「取り合えず安心」な日々を繰り返さなけらばならない。スイス旅行のキャンセル料が痛手だったが、来年元気なら是非行って見たい。次回検査は9/16を聞いて退院した。
05.9.16 採血する。腫瘍マーカー正常値、イレウスも問題なし。入院中は白血球が上昇していたそうだ。今回は「取り合えず安心」したが、まだまだ先は長い。CEA 2.1
05.11.21 K医院で市の健康診断を受ける。胃と大腸のカメラを予約する。
05.11.28 K医院で健診結果を聞く。小水に潜血ありで要再検査、他は問題なし。おまじないのサプリメント効果は無し…。
05.12.2 採血問題なし。Dr.BBに2年間無事経過したので再発率が下がったと告げられる。7合目位の一安心である。CEA 2.0
05.12.3 K医院で大腸カメラを受診する。午前9時半から午後5時までの長丁場だったが問題ない様子だ。結果は12/10に聞きに行く。
05.12.10 K医院へ大腸カメラの結果と小水潜血の再検査に行く。何れも問題なしで安心する。
05.12.21 K医院で胃カメラを受診する。多少荒れているが大きな問題は無いらしい。ピロロ菌の検査を勧められる。問題なさそうなので診察結果は年明けに行くことにする。今年も色々あったが「取り合えずの安心」で年越しできる。
3年目 2006.1.30〜2006.12.20
06.2.7 K医院へ胃カメラの結果を聞きに行く。昨年12/21の診断と同じだったが、ピロル菌検査は当面必要無さそうなので止める。胃の荒れは加齢が原因で治療方は無いらしく、毎年検査して様子見することになった。
06.2.24 採血をする。摂生の甲斐あって検査項目正常値だったが、腫瘍マーカーが2.7で前回より0.7アップしているので気がかりである。質問すると又問題ないと言われるので止めておく。病院のコンピュータシステムを入れ替え中で、貰ったプリントの書式が変わっていた。今年は術後2年を経過し3年目になるので採血、CT共検査は半年毎になる。CEA 2.7
06.6.2 CTと採血をする。結果は6/16に知らされる。
06.6.16 今年も春スキーに行ったので診察日を今日に変更して貰った。CT、採血共問題無しで取り合えず安心する。病院のコンピュータシステムを電子カルテ化したらしく、CTの写真が大きな液晶画面に表示されていた。3年過ぎるとガン再発のリスクはほぼ無くなるので、残り半年を神頼みする。CEA 2.3
06.9.15 採血を受診し問題なし。痔の具合が良くないのでポステリザン軟膏を処方してもらった。この薬は3ヶ月分で2500円と安価で、がまの油に匹敵する程の万能薬である。ガンが肛門に転移したのではと心配したがDr.BBは何も言わなかったので安心した。旅行が響いた様だ。CEA 2.2
06.10.24 イレウス入院 夜11時に市立病院へ駆け込み緊急入院する。レントゲン検査をして鼻から胃にチューブを入れ点滴する。外科にベッドの空きが無かったので整形外科の病室に入った。市立病院が掛かり付け医なので、たらい回しされないから助かる。
06.10.25 レントゲンで検査し午前と午後に浣腸すると大量に便が出た。水が飲めないから水分不足に陥り自力の排便が出来なくなる。早急に点滴し水分補給すれば入院しなくても良いのだが、不調は夜間に発生するので駆け込み入院になってしまう。
06.10.26 レントゲン検査し午前に浣腸をすると、大量に便が出て大分気分が良くなった。
06.10.27 鼻のチューブを抜く。苦痛による胃からのストレス性出血があり、黒っぽい小さな血の固まりがチューブから出ていた。外科のベットが空いたので病室を移動しシャワーを浴びる。飲水可になりお茶をコップの半分飲んだ。ガスは出ているので安心する。胃の出血治療にガスター10を点滴に混ぜて入れる。
06.10.28 今日も胃の治療にガスター10を点滴に混ぜて入れる。未だ飲食不可だがお茶を飲んで落ち着く。シャワーを浴びて就寝する。
06.10.29 朝から流動食が配膳される。重湯とスープだけの食事で3食共半分ずつ食べた。点滴は続行、ガスター10の治療は終了。
06.10.30 朝食は流動食、昼食から三分粥になる。点滴続行。
06.10.31 昼食から五分粥になる。午後5時に点滴終了。
06.11.1 朝10時に下剤を呑む。昼食から全粥になる。午後2時に大量の排便がある。
06.11.2 朝少量の便が出る。11時に退院して、「イレウス糞戦記」は取り合えずのお終いになった。今回はストレス性胃出血があったりして10日間も入院した。
06.11.27 K医院で市の健康診断を受診し、胃カメラと大腸カメラを予約する。
06.11.30 市立病院でCTと採血をする
06.12.1 CT、腫瘍マーカー共異常なし。無事に3年経過したので安心する。CEA 2.4
06.12.5 K医院で胃カメラを受診する。胃と十二指腸に軽度の潰瘍が見つかる。先月発症したイレウスのストレスが原因かも知れない。組織採取をしなかったから胃ガンの恐れは無いようだ。ピロル菌の検査を受け胃薬が処方された。
06.12.11 K医院で健診の結果を聞く、前立腺ガンPSA検査とピロル菌検査を含めて異常無し。胃カメラの結果は潰瘍があるので暫く薬を飲むことになった。
06.12.16 K医院で大腸カメラを受診する。
06.12.20 大腸カメラ結果は問題なし。胃潰瘍の薬を4週間分貰う。3週間後位に又来て下さいと言われたが、息子に胃潰瘍は自然治癒すると聞いたので行かなかった。
4年目 2007.3.23〜2007.12.14
07.3.23 採血は問題なしだが、レントゲン検査で便秘の糞が詰まっていると告げられ帰宅する。夕食に健康志向のコンビニ弁当を食べる。便秘があると言われたので下剤(ラキソベロン液)を10滴呑む。夜7時にスポーツジムで、いつものエアロバイクと初心者エアロをする。帰宅して梅酒を少し飲むとイレウスの兆候が表れる。指を使っておう吐したが一晩中気分が悪く不眠だが、激痛はしないので何とか我慢する。CEA 2.2
07.3.24 イレウス入院 食事抜きで横になっていると少し落ち着いたので、市販の浣腸と座薬の浣腸を試したが便は出ず余計悪化する。夕方、市立病院に駆け込み入院する。Drにレントゲンでは前回の入院時程悪く無いと言われる。鼻チューブ無しの点滴だけで気分が良くなり安眠した。自宅では水分補給が出来ないので、運動してもリカバリーは無理である。
07.3.25 朝4時頃便が大量に出る。下痢も続いて気分が良くなる。飲食禁なのでシャワーを浴びるだけで寝た。
07.3.26 レントゲンを撮る。飲水可になりコーヒーを飲む。緩下剤マグラックスが出される。シャワーを浴び就寝。
07.3.27 昼食から三分粥が配膳される。マグラックスが効いているのか下痢便が続いて出る。通常この薬は自宅で飲んでも効果無し。
07.3.28 朝から五分粥が配膳される。下痢便が大量にでる。明日朝食後に退院できる。
07.3.29 今日は退院日、桜が満開である。Dr.BBに次回再来日4/13と告げられ退院した。今回は軽症だったので早めに退院できたが、根本的治療法が無いのでこれから先も爆弾を抱えて生きなければならない。それに入院費が一日1万円も掛り、持病があると保険にも入れないので踏んだり蹴ったりである。
07.4.13 外来受診のレントゲン検査で相変わらず便秘状態が続いている。マグラックスとプルセドニンを処方されるが、まだ手持ちが残っているので買わないで帰宅する。マグラックスは全く効かないし、プルセドニンは効くのだが、常用すると便秘症が更に悪化するので危険である。…なので如何ともし難い状況にある。
07.7.6 採血とエコーをする。エコー検査を受けるのは始めてだが両方異常なし。CEA 2.0
07.10.31 K医院で市の健康診断を受診し、胃カメラを予約する。大腸カメラは満員で来年に回される。
07.11.13 胃カメラをする。荒れはあるが大きな問題は無い。昨年末の胃潰瘍は治っていた。痛みのある時に呑む胃薬を処方される。
07.11.14 健診の結果を聞く。コレステロールが228と高い、尿潜血があり再検査を告げられる。PSA(前立腺マーカー)検査は異常無し。胃カメラの写真を貰う。眼底写真撮影を受ける。大腸カメラは来年1月に予定する。
07.11.15 起床して直ぐに採った尿をK医院に届ける。
07.11.28 検査結果を聞く。尿検査異常なし。小水を採る前に運動すると尿潜血が出るので、次回は自転車でなく徒歩で行こうと思う。眼底検査結果で加齢による動脈硬化がある。インフルエンザの予防接種を受ける。
07.12.5 午前中にイレウスの兆候が表れたので外来受診する。ベットで横になっていると急に吐き気がしてビニール袋におう吐する。Dr.BBにイレウスの手術を勧められたので希望する旨を伝えた。空きベットが無いので点滴を2本しただけで入院せずに帰宅したが点滴の効果は絶大であった。
07.12.7 採血とCT検査をする。
07.12.14 診察を受け問題なし。ガン発症から丸4年の歳月が過ぎ、ゴーンと寺の鐘が聞こえる様だ…。4/18の次回採血と5月連休明けのイレウス手術を予約した。CEA 2.2 
5年目 2008.1.5〜2008.12.24
08.1.5 K医院で胃カメラの結果を聞く、少し荒れ気味だが異常なし。
08.1.9 寒くなり頻尿が酷くなったので、北浦和にあるIクリニックへ診察に行く。前立腺エコーと採血をする。エコーは問題無しで採血の結果は次回に分かる。次回診察まで排尿記録を取るようにと用紙を渡され、頻尿薬ブラダロンを処方される。
08.1.21 Iクリニックで造影レントゲンを受ける。造影剤を注射し時間を掛けて腎臓と膀胱の働き具合を診る。結果は前立腺が腫れ気味だが治療する程の問題は無かった。採血でコレステロールが241と高いが、PSAは問題なしで前立腺ガンの心配は無かった。排尿記録でブラダロンの効果が見られたので暫く呑むことになった。全て加齢による老化現象であろう。K医院で大腸カメラの説明と予診を受ける。
08.1.26 K医院で大腸カメラを受診する。
08.2.8 大腸カメラの結果を聞く、異常なしで又1年後の受診になる。
08.4.14 市立病院で採血、腹部レントゲン、尿検査をする。全て問題無しでレントゲン結果も過去に無く良かったので、イレウスの手術は見送りになる。CEA 1.7
08.5.10 イレウス入院 イレウス再発で朝9時から駆け込み入院する。昨夜からイレウスの前兆があり、指でのおう吐と浣腸で朝まで粘ったがリカバリーしなかった。いつもの様に点滴をして朝10時に浣腸するが肛門付近の便しか出ず不調。Dr.BBと息子に手術の相談をしたが、完治する保証は無く、余計に悪化する場合もあるので勧められないと言われた。夕方大量の排便があり気分良く就寝した。
08.5.11 日曜日なので検査無し。便が少しずつ出るが残糞感があり余り好調ではない。息子と電話で相談して手術を受けることにする。早く退院したいと願う。
08.5.12 朝レントゲンを撮るが、早々の退院は無理な様だ。マグラックスと大健中湯が出る。昼食から三分粥が配膳される。夕方Dr.BBが近日退院を知らせる。イレウスの手術を依頼してOKがでる。
08.5.13 3食五分粥になる。午後に点滴が終了する。病室が満員になった。
08.5.14 午前中に退院する。ヨカッター!。
08.5.30 市立病院で外来診察を受ける。Dr.BBにレントゲンで便が詰まっていると告げられる。6/9(月)の週にイレウスの手術をすることになり入院届を貰って帰宅する。6/5に市立病院から電話連絡があり、入院が6/10に決まる。会計1100円。
08.6.10【イレウス手術】今朝9時半に市立病院へ入院する。個室は空き無しで大部屋に入る。ベットがワーストポジションなので騒音対策に耳栓を持参した。身体測定とレントゲン撮影をする。若い頃から比べて身長が164で3pも縮み、体重は53で8s痩せていた。病院で昼食が配膳され半分食べる。手術の準備で体毛を剃ってもらう。顔は明朝自分で剃るので売店でひげ剃りを買った。看護大学のYさんが看護実習でお世話をしてくれることになった。ご家族がクリスチャンで育ちの良い好青年である。2時半に麻酔科Drの説明を受ける。3時にベットへ戻り用意されたマグコロールPの下剤を1.8リットル呑む。シャワーの時間が迫っていたので一気飲みしたら、担当Nsがビックリして慌ていたが飲めれば問題無いらしい。3時半にシャワーを浴びる。息子が手術説明の付き添いで病室に来る。暫く話をしていたら便意を催したのでトイレに駆け込むと大量の排便があった。その後何回もトイレに通った。カミさんも来て5時からDr.BBの手術説明を聞く。術後回復が早いと称される腹腔鏡の手術を勧められたが、オーソドックスな開腹手術を希望しそれに決まる。息子は自分の経験から腹腔鏡の手術に懐疑的である。明日午後1時半に手術を始め、1週間で退院できると言われた。夕食無しで以後飲食不可になる。慌ただしい一日が終わり就寝した。
08.6.11 朝5時半に起き洗面所でひげを剃る。この時間帯はトイレが満員で高齢者が大勢出入りしていた。後期高齢者になって入院したくないと切に願う。午後1時半にカミさんと息子に見送られ手術室へ入る。手術台の照明灯を見て緊張するが、4年半前と同じで目が覚めると介護室のベットにいた。手術時間は1時間で2カ所の癒着を剥がしたそうだ。痛みは無いが、手術着が肌に合わず痒いので着替えさせてもらう。大分良くなりなるべく掻かない様にして寝た。寝苦しく夜間に何度も目が覚めた。
08.6.12 寝不足で頭がボンヤリする。Ns実習生Yさんが身体を拭いてくれた。自分が老人介護される時の様子を想像する。少し頭痛がして微熱もあり、ガスは未だ出ていない。自分の寝間着に着替え病院内を実習生Yさんと歩いて運動する。歩き疲れたので午後は昼寝をした。昨夜は寝不足だったので、夜もウトウトと眠り続けた。
08.6.13 昨夜は小水で何回か起きたが、良く寝られたので気分爽快。今日から病室が変りベットの位置が通路側になる。ワーストポジションでなくて良かった。飲水可になり緩下剤の服用が始まる。実習生Yさんに身体を拭いて貰い、その後病院内を散歩する。当世若者との会話は貴重だった。来週火曜日にまた実習があるそうだ。夕方Dr.BBが来て明日から食事が出ると伝える。夜は体調不良気味で寝汗をかいた。
08.6.14 朝の調子はマアマアである。身体を動かすと腹部の傷が痛む。ガスが出て安心する。昼食から三分粥がでる。イレウス手術後に食べる始めての食事なので完治を祈って半分食べた。その後ガスが大量に出てスッキリした。
08.6.15 朝9時の回診でDr.BBからシャワーを使って傷口を洗って良いと言われた。傷口は前回の真上にありベリグッドと賞していた。昼食から五分粥になり半分食べる。トイレに行ったが大便は出なかった。痛み止めの点滴が外される。浴室で全身を石鹸で荒いシャワーを浴び気分爽快になる。プルセニド下剤を2錠呑んで就寝。
08.6.16 朝五時に採血する。昨夜から腕の点滴が落ちなくなり、血管が細く差し替え出来ないので水を1日1リットルのむことになる。直ぐに水をコップ3杯飲むと便意を催しトイレに行く。5時半に待望のウンコが出る。朝Dr.BBが来て血液検査の値も良くなっているので6/18に抜糸して退院できるそうだ。
08.6.17 昨夜は久振りによく寝た。点滴が外れたので夜間小水が一回で済んだ。朝食後に大便が出て安心する。実習生Yさんに背中を洗って貰い、悪い付き物が落ちた様な気がした。隣の患者が夜遅くまでTVをつけていたので、仕切のカーテンが光って寝付けなかった。
08.6.18 朝Dr.BBから今日退院の許可が出る。朝食後の回診で抜糸し、入院費14万円を支払い退院する。実習生Yさんがバス停まで見送ってくれた。テレビを買ったら食費が無くなり、ご飯だけを食べていたと冗談を言っていた。頼れるナースマンとして今後のご活躍を期待したい。
08.6.27 退院後の外来診察を受ける。術後経過は順調であった。次回は半年後の12/11,12に採血とCTの定期診察になる。ガン発症から4年半の歳月が過ぎたが、今回の手術でイレウスとの糞戦が終了し、ガンも再発しない様にと祈って病院を後にした。
08.10.28 K医院で胃カメラを受診する。胃炎はあるが悪性は無い。市の健康診断も受診する。会計8500円。
08.11.1 K医院で先日の胃カメラ結果の説明を聞く。胃炎があるのでセルベックス50mgを20日分処方される。大腸カメラを12/9に予約する。会計9000円。
08.11.19 K医院で先日の健康診断の結果を聞く。眼底写真で加齢による動脈硬化を今年も指摘された。その他異常なしで、今回は珍しくコレステロールが上限値以内に入っていた。胃薬セルベックス50mgを20日分処方される。会計3000円。
08.12.9 K医院で大腸カメラを受診する。便の出が悪くまた順番が最後になってしまった。今年から高齢者の脱水症状を避けるため点滴をしながらの検査であった。検査台で麻酔され気が付くと別の病室にいた。結果は後日聞きに来るのだが、生検やポリープ切除が無かったのでひとまず安心する。会計6000円。
08.12.11 市立病院でCTと血液検査を受ける。CTが国産からドイツ製に変わり、小型で音が静かであった。検査結果は明日知らされる。会計12500円。
08.12.12 CTと血液検査の結果を聞く。Dr.BBが結果は全て正常で5年経過したので「大腸ガンは完治した」と告げた。以後は自宅近くの医院で定期的にガン健診を受けるだけで良い。しかし、「イレウスに付いては不確定で再発する場合もある」と言われた。またガンでは無いが、甲状腺腫があるので、来週ここの耳鼻科で診察を受けるようにと紹介状を書いてくれた。新しいドイツ製のCT画像にそれらしき影が鮮明に映っていた。12/15に病院へ再来するのは気が重いが、ガンで無ければ?良しとする。会計210円。CEA 2.2
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