やまい治療記
2008年
08.12.12 市立病院からの帰りにK医院へ寄った。大腸カメラの結果を訊くと正常であった。次回は一年半後のカメラ検査と、春にエコー検査をするようにと勧められた。会計1000円。
08.12.15 市立病院の耳鼻咽喉科で甲状腺腫の診察を受ける。触診と内視鏡検査は正常だが、12/22に甲状腺のエコー検査を受けることになった。診察終了後に採血して帰宅する。鼻の奥は早急に手術する必要がないので見送りにした。会計4000円。
08.12.15 …だが、気になるので近所で評判の耳鼻科のI医院で鼻の診察を受ける。そして市立病院の耳鼻科で名医のT医師を紹介され12/24に再来院することにした。会計3500円。
08.12.22「甲状腺腫エコー検査」を受け30分後に検査結果の説明を聞く。ヨード摂取量の多い日本人が罹患し易い、甲状腺肥大があり2年後に再検査する必要があると告げられた。だが、甲状腺ガンは進行が遅いので、発見が遅れても手遅れになることは無いそうだ。採血結果で甲状腺ホルモンは正常であった。これからは定期的なガン検診を受ければ良いので差し迫った心配は無くなり、今年で大腸ガン騒動から解放されることになった。会計1300円。
08.12.24 市立病院に再来し鼻の奥にあるポリープの診て貰う。ガンではないので即手術の必要はないと言われたが、精密検査のため来年1/9にCTを予約した。5年前の二の舞はご免なので、不安があれば積極的に治療を受けることにする。会計3500円。余談だが息子も今年、日本外科学会外科専門医となった。一人前の外科医に成るには研修医から日夜奮闘して7年余も掛かる。そして今も医療訴訟と背中合わせの過酷な勤務医を続けている。収入は時給にすれば一般の公務員より遙かに低賃金である。この様な状況下で医師不足が起こるのは当然で、日本の医療制度は殉教者的な医師の努力で成り立っていると言える。来年からの定期ガン健診で年間約3万円の出費になるが、○○のガン保険よりは余程安心できる。会計2700円。
2009年
09.1.9 市立病院で15時から鼻のCT検査を受ける。国産のCTで大きな音がしたが、検査時間は数分で終了した。その30分後に診察を受け、CTではガンの所見は無いが1/19に左側の鼻茸(はなたけ)切除の手術を予約した。局所麻酔による日帰り手術で入院の必要は無い。会計7600円。
09.1.19 同病院で16時から左側の「鼻ポリープ切除手術」を受ける。診察室で鼻の穴に局所麻酔薬を塗り、1時間後に手術台で鼻の穴に麻酔の注射をした。局所麻酔なので手術中のT医師と看護師の会話や、切除している音が聞こえた。術中に多少痛みを感じたが30分位で終了した。切除したポリープを見たが1円玉大のクラゲ状であった。だがこれ位の大きさは小さいのだそうだ。ポリープは念のために生検される。明後日ガーゼを抜くので、抗生剤と痛み止めの薬をもらって18時頃病院を出た。会計27000円。
09.1.21 同病院で9時から診察室の椅子に腰掛けて左鼻の穴のガーゼを抜く。手術の時より痛く、涙がドーッと出たが1分位で終了した。生検結果を聞く日を3/25に予約し病院を出た。暫くして鼻血が止まり、爽やかな空気が鼻を通過した。会計2200円。
09.3.25 市立病院で8時半に診察を受ける。生検結果は問題なし。局所麻酔による日帰り鼻茸切除手術では、根の部分が取り切れないので数年後に再発するかも知れないと告げられた。6/17に次回診察を予約し病院を出る。今は花粉症の季節だが手術した側の鼻の通りは至極良好である。再発しても日帰り手術で解消されるなら現状で十分である。老いれば誰もが病気に罹るので、病院から離れた田舎暮らしは好ましくない。長生きしようとは更々思わないが、苦しんで転げ回るのだけはご免被りたい。会計2300円。
09.6.17 市立病院で8時半から鼻茸手術の経過診察を受ける。内視鏡で鼻の奥を診て貰ったが、経過は良好で次回の予約はしなくて良くなった。これで全ての診察予約から解放され一安心である。病院を出る前に幾度となく通った外科の待合室を眺めた。イレウスの手術から満一年経過したが、再発の兆候もなく安堵している。先月旅行した韓国で朝鮮人参を買い込み、それを飲んでいるからもう大病はしない筈であるのだが・・。会計2100円。
09.11.4 K医院に胃カメラ、大腸カメラと季節性インフルエンザ接種を予約する。
09.11.21 同医院で健康診断と季節性インフルエンザ接種を受ける。年末の海外旅行に備えて新型インフルエンザワクチンを予約したが接種日は未定である。会計6300円。
09.12.1 今年で6回目となる「大腸カメラ」を受診する。前日に自宅で検査専用食を昼夕2食べ下剤を飲み、翌朝九時から医院で更に下剤を飲み排便を繰り返し正午頃までに腸内を空にする。排便の状態を看護師に観察してもらい早く空になった順で検査が始まる。毎年ビリになるのだが今年は4名中3番目になったから少しは腸が活性化した様だ・・。毎回正午過ぎまで苦労するが、午後3時頃に検査台に横になると麻酔が効いて終了後は別室のベッドで4時半頃目を覚ますから何の苦痛もない。検査時間は一人20分程だが麻酔の効き難い人は苦しいそうだ。結果は一週間後に知らされるが組織検査が無かったので安心する。会計を済ませ5時過ぎに医院を出て、自宅に着くと辺りはもう暗くなっていた。来週は又朝から胃カメラの検査をする。胃と大腸はカメラで早期発見できるが、その他のガンは初期発見し難いので手遅れになり易い。会計6000円。
09.12.8 先週と同様に6回目の「胃カメラ」を受診する。大腸カメラに比べ検査方法は簡単で当日の朝食を抜いて受診する。最近は鼻から入れる胃カメラが主流になりつつあるが、ここの院長は口からが得意なのでお任せしている。カミさんに依れば別の医院で受診した鼻からの胃カメラは全く苦痛が無かったそうだ。口から入れる胃カメラも直径5mm位なので太さ的には変わらない。検査時間は10分程であるが組織検査されるのではないかとドキドキした。カメラを抜いて院長の「荒れがあるがだけ」を聞いてホットする。後日詳細な検査結果を聞きに行くのだが胃大腸とも組織検査しなかったので心配はない。今年から市立病院のガン検査を受診しなくて良いので正常な人間になった様な気分である。胃カメラはさいたま市負担の健診なので費用は驚くほど安かった。会計1000円。
2010年
10.1.9 K医院に健診結果を聞きに行く。高価な朝鮮人参を半年も飲み続けたから問題ないだろうと高を括(くく)っていたらギョッとした。肝機能GTO:59、GPT:58と基準値より2倍も高く再来週の21日に当医院でエコー検査をすることになった。新年早々に3名の知人から昨年ガンに罹ったと聞かされたばかりで、また仲間入りするのでは・・。おまけに眼底出血があるので紹介状を書いてもらい急いで近所のK眼科医院へ向かう。会計370円。
10.1.9 K眼科医院の診察を受ける。必要以上なのでは?と思うほど沢山の器械で検査した結果、加齢からくる動脈硬化が原因で眼底出血していると診断された。糖尿病と高血圧症がないので当面は様子見するだけで良く、これからも内科健診を怠らないようにと指導を受けた。今でも視力が悪いのに出血場所によっては更に低下するそうだ。会計は5800円と必要以上に高額であった。
10.1.19 K医院で昨年11/21に予約した新型インフルエンザワクチンの予防接種を受ける。カミさんは12/中旬に罹ったからパス。高齢者のお仲間が大勢接種を受けていたが男性は少なかった。これでインフルエンザの心配はなくなったのだが明後日のエコー検査が・・である。会計3600円。
10.1.21 K医院に「肝臓エコー」の検査に行く。1/9の健診で肝機能に問題があったのでヒョットしたら肝転移したのではと思い・・であった。結果は軽度の脂肪肝で、すい臓など他の臓器にも異常が無かったので安心する。だが酒も飲まないし痩せているのに何故脂肪肝になるのだろうか?。息子が大腸がんは肝臓に転移し易いと話していた。ガンは転移しなければ治る病気なので早期発見が決め手となる。むしろ糖尿病は一度罹ると治癒し難いそうだ。抗がん剤の治療費は大腸がんで年間50万円くらいの出費になり、それを避けるにはマメに検査をするのが良い。昔は家族からヤブと言われた息子だが、今は認定医なので皆平伏して聞いている。会計は次回支払。
10.1.23 K医院に腹部エコーの詳細検査結果を聞きに行く。写真を見ながらガンの心配はないと言われたが肝機能値が急に上昇した原因は不明であった。そして疲れ無い様にと注意され来月再度血液検査することになった。今年からお上が定める高齢者(前期)になり、新年早々5回も病院通いし老体化を痛感した。会計2900円。
10.5.31 K医院に肝機能の血液検査に行く。それと最近起床時に目まいがするので受診する。血圧測定と採血をし血圧は120で問題なかった。目まいの診察は頭部をCTで検査する。検査室に新しい国産T社製のCTが置いてあった。市立病院にある様な高級なヘリカルCTでは無く、検査台を少しづつガタゴトと移動して検査するタイプのCTである。肝機能と目まいの検査結果は今週末に分かるので聞き来るようにと言われ病院を出た。個人病院で高価なCTを備え経営するのは他人事ながら大変だろうと思う。帰宅して遅い朝食を食べ昼寝した。会計5600円。
10.6.4 K医院に検査結果を聞きに行く。幸い血液検査の結果は全て正常であった。CTの検査結果も特に問題なかった。年齢相応に「脳が萎縮」していると診断されたが、ボケにつながる訳ではないと言われて安心した。全ては老化が原因なのであろう。月末にチベットを旅行するので高山病の予防薬を頼んだが、そう言うクスリは無いと断られた。だが、サプリメントの水素水が効くと教えられたのでネットで調べたら缶ビール並みの価格がしたので止めた。検査結果に問題が無かったので安心して旅行に行けるから良かった。会計1000円。
10.10.1 市立病院に甲状線腫の検査を電話で依頼し、10/6の11:00からB医師の診察を受けることになった。近所の医院にも相談したが、前回の状態と比較する方が良いと言われたので、市立病院で検査を受けることにした。月日の過ぎるのは早く甲状線腫と鼻茸手術からもう2年も過ぎた。
10.10.6 市立病院の耳鼻咽喉科で診察を受ける。市立病院へはバスで行くので早めに自宅を出て10:30に到着した。2年も間隔が空いているので初診の窓口で受付を済ませ、耳鼻咽喉科の待合室に行って順番を待った。11:30に名前を呼ばれ、診察室でT医師に首を触診してもらい10/13の9:10にエコー検査をすることになった。2年前の甲状線腫の大きさは1cmなので問題ないであろうと言われた。鼻茸手術後の様子も聞かれ、2年も前の患者のことを覚えているのに感心した。診察時間は触診とエコーの予約だけなので5分位で終わった。待合室には診察待ちの人が大勢座っていたから、ここの終了時間は午後になるのであろう。病院を出る前に外科外来の待合室を覗くと、B医師の名札が架かっていた。病院は常に忙しそうなので勤務している人たちは気の毒である。会計210円。
10.10.13 市立病院で「甲状線腫エコー検査」を受ける。7:30に自宅を出て8:20に病院へ着いた。再来院の受付を済ませ、エコー検査室入り口のかごにの中に予約用紙を入れた。既に8:30の人の予約用紙が入っていた。検査が始まると何人かが先に名前を呼ばれたから、皆朝早くから来院してようであった。エコー検査には腹部、乳腺、甲状腺の三種類があり、子供連れの若い夫婦や女性も待合室に座っていた。エコーはX線の被爆がないので安心である。予定の9:10に名前を呼ばれ検査が始まった。首にゼリーを塗って咽仏(のどぼとけ)をプローブで何度も撫でて検査した。検査は15分で終了し、青い袋に入った診断書を受け取って耳鼻咽喉科に行きそこの窓口に渡した。10:30に名前を呼ばれ診察室に入った。部屋ではT医師と研修医が話をしていた。エコー検査の結果、咽の左側に8~9ミリの甲状腺腫があるが、2年前に比べて大きくなっていないので問題ないと告げられた。甲状腺腫は肥大しても自覚症状がないので、また2年後に検査するようにと言われた。3分位で診察は終了し、また別の病気で駆け込まないようにと祈りながら支払いを済ませ病院を後にした。会計1300円
10.11.22 K医院で市の健康診断を受診する。朝食抜きで8:30に来院し、尿検査、眼底検査、胸部レントゲン、身長(164)、体重(53)、腹回り(79)、聴診器診察、新型インフルエンザ予防接種、PSA検査を含めた採血など盛り沢山の検査をした。検査結果は一ヶ月後位にでるので電話で確認して再来院する。12/3(金)に大腸カメラを予約し,検査専用食を11/27(土)に受け取りに行く。胃カメラは年明けの1/5(水)に予約した。今年の夏は酷暑だったので、胃カメラの検査がこの時期にずれ込んで満員なのだそうだ。予約なしで受診したが人間ドック並みの検査をして11:00に検査は終わり医院を出た。今年もイレウス再発がなく無事に一年が過ぎようしている。会計3200円。
10.11.27 K医院で大腸カメラの検査説明を受ける。何時も通りに検査前日の昼と夜に検査食を食べ、下剤を飲んで就寝し12/3の朝9時に来院するようにとの説明を受けた。大腸カメラのための血液検査の結果は問題なかった。感染症説明と検査食を貰うだけなので待合時間を含め一時間弱で済み医院をでた。会計1700円。
10.12.3 K医院で「大腸カメラ」検査を受ける。前日に自宅で昼と夜に検査食を食べ、午後8時に下剤薬マグコロールpの粉末をコップ一杯のお湯で溶いて飲み、同9時に下剤薬プルセニドを3錠飲んだ。マグコロールPは即効性なので1時間半位で下痢が始まり5回程トイレに駆け込む。そして毎度ながらその排便量の多さに驚き11時に就寝した。当日は午前9時にK医院へ来院し、血圧と体重を量り腸管洗浄液の2リットルを2時間かけて飲む。血圧は正常だが体重が52Kで通常より1.5Kも減っていた。これがウンコの重さなのであろう。前日の排便で残った分を更に完全に洗い流し、その便の状態を看護師に確認してもらいOKが出た順に検査が始まる。毎年常にビリなので焦らずノンビリとトイレに通ったが今年はなぜか4人中1番目にOKが貰えた。他の3人は私より高齢者だったので多分そのお陰であろう。検査着に着替えてベットに横になり点滴を受けながら検査が始まるのを待った。午後2時に検査室まで点滴棒を押しながら歩いて行き、検査台に乗り横向きに寝ると医師が点滴に安定剤を注入した。それと同時に血管に痛みが走ったが、直ぐ気が遠くなり寝込んでしまった。検査時間は30分位で終了時に医師の「問題ありません」の声がボンヤリ聞こえ、看護師に支えられ別室のベットに横になってからまた寝込んでしまい目が覚めると4時を過ぎていた。未だ頭がボンヤリするので10分程横になり落ち着いてから会計を済ませて医院を出た。何時もなら6時近くになるのだが今回は4時半に終わった。胃カメラは来年の受診なので、大腸カメラとその他の検査結果の詳細は来年聞きに行くことにする。会計5900円。
2011年
11.1.5 K医院で「胃カメラ」検査を受ける。朝食抜きで9時に自転車で医院に到着、受付と咽麻酔の前処置を済ませ9時半から院長直々の口からによる胃カメラ検査が始まった。大腸カメラの睡眠状態での検査と異なり「胃を膨らませて」との指示を受けながら検査が行われ、胃の中を管状カメラがグルグル動いているのが感じられた。毎度のように組織検査されるのではないかと心配しながら検査台に乗って約15分間辛抱する。やがてカメラが抜かれ「慢性胃炎があるだけで悪いものはない」との院長の言葉に安堵し検査は終了した。酒もタバコも飲まないで食べ物にも注意しピロリ菌もいないのに慢性胃炎は一向に改善しない。酒飲みのカミさんは胃が痛くても胃炎ではないから、私の胃炎は加齢と体質が原因なのであろう。さいたま市の胃健診なので検査結果は一ヶ月後に出される。ガンがなければ急ぐこともないので、その他の検査結果も含め2月にまとめて聞きに行くことにして10時ごろ医院を出た。会計1000円。
11.1.5 M皮膚科クリニックで首にある黒子(ほくろ)の診察を受ける。2~3年前から首に黒子(ほくろ)ができ少しずつ大きくなっていくのを気にしていたが、皮膚ガンの手術をした知人から年賀状をもらったので心配になり近くの医院で受診した。大きなビルの一階にあり室内は広く綺麗な医院で若い女性の患者が待合室のソファーに10人程座っていた。問診表を記入してから30分位待って診察室に入った。30才代の若い医師に事情を話すとデジタルカメラの様なもので黒子を診察し「老人性いぼ」で良性の皮膚腫瘍なので放置していても問題ないと告げられた。だが液体窒素の治療法で簡単に除去できるそうなので治療を受けることにした。スプレーの容器から液体窒素を黒子に少し吹きかけるだけで治療は終了し、少しヒリヒリしたが10日位の間隔で2~3回噴霧すれば治るらしい。除去されるまで一ヶ月近くかかるが心配の種がなくなったので安心した。背中にある老人性皮膚掻痒(そうよう)症も診察してもらい、リンデロンーV軟膏を処方してもらった。全て老人性と言う病名から避けられない高齢者になったことを改めて実感し医院をでた。会計2000円+薬代400円。
11.1.19 M皮膚科クリニックで老人性いぼを再診してもらう。大分よくなったのだが今ひとつ気になるので、自宅の掃除を終えて10時半ごろに来院した。今日はクリニックが空いていて10分ほど待っただけで順番が回ってきた。医師に今回治療すれば完治すると言われ、前回と同じく液体窒素をスプレーで吹きかけて治療は終了した。老人性皮膚掻痒症はだいぶよくなったと話すと患部は診察しなかった。ステロイド薬のリンデロンーV軟膏が効いているようだが、老人性の皮膚疾患なのでこの先も長くお付き合いするのであろう。背中の手の届かない場所にあり一人では軟膏を塗れないから困ったものである。二週間後にまた診せに来るようにと言われてクリニックを出た。市立病院への紹介状をもらわないで済みヨカッタの一言に尽きる。会計850円。
11.2.4 K医院で健診の結果を聞く。胃カメラ結果は逆流性食道炎と慢性胃炎があり、写真にそれらしき炎症が映っていた。治療の必要はないそうだが近頃頻発する胃痛はそれが原因であろう。大腸カメラの結果は問題なしであった。肺のレントゲン検査も問題なかった。眼底写真の検査で昨年大騒ぎした眼底出血は治癒していた。だが加齢による動脈硬化は相変わらずの状態である。前立腺ガンのPSAは昨年同様0.7の正常値で心配ないが、頻尿は進行しているからオムツのご厄介になるのもそう遠くないであろう。その他の検査は悪玉コレステロールが若干多い以外は全て正常値であった。昨年の今頃は要検査がいくつもあり心配したが今年は何事もなく医院を出られてよかった。これで今年一年間は安心して過ごせるが、夏にワシントンで大量に買ったメラトニンを飲み続けているお陰なのかも知れない。会計380円
11.2.4 M皮膚科クリニックで老人性いぼを再診してもらう。未だ僅かに残っている部分に液体窒素を噴霧して経過観察になり治療は一先ず終了した。初診の頃は5ミリ位あった黒いイボに液体窒素を吹きかけると日が経つに従って瘡蓋(かさぶた)になりボロボロと剥がれ落ちた。老人性いぼは若い人にも発症し、魚の目のような深い根っ子はなく皮膚の表面にできる。紫外線などのダメージから発症するので、良性と言えども腫瘍だから日焼けしないように要注意である。会計850円。
11.8.15 Sクリニックで頻尿を受診する。ここは超高層マンションに併設されたメディカルモールの三階にあり、広くて新しい医院である。2年半前にはIクリニックで診てもらったのだが、今回は自宅からさほど遠くない当クリニックに行った。40歳代の医師が診察し、問診とエコー検査で、「過活動膀胱」と診断され、デトルシトールカプセル4mgを14日分が処方された。この薬は頻尿を治癒させるものではなく、服用中のみだけに効果があるのだが、暫くはこれで様子を見ることになり2週間後に再来することになった。先週1年ぶりに海外旅行に出かけたのだが、頻尿の病状が悪化しトイレに駆け込むのに忙しく、落ち着いて観光できなかったので、これが解消されれば大助かりである。以前から飲んでいた頻尿薬ブラダロンは全く効かないので廃棄した。そう遠くない将来オムツ着用の状態になるのかと思うと寂しい限りである。会計2900円+(薬)1300円
11.8.21 イレウス入院。夕食の時間(17:00)になっても食欲がなく、体調も優れないので夏風邪かなと思い、風呂に入って早めに寝ることにした。湯に浸かっていると、腹全体が狸のように膨らんできた。おかしいなと感じ風呂から上がると突然、イレウスの兆候が現れた。以前のようにトイレで咽に指を入れて嘔吐したが胃液しか出ず、更に具合が悪くなり意識がもうろうとして倒れ込んでしまった。カミさんが慌てて救急車を呼び、市立病院の救急外来に搬送してもらった。ベッドに横になり、点滴と鼻から胃へのチューブ挿入の処置して、採血、レントゲン、造影CTの検査を受けた。過去のイレウスとは自覚症状が異なり、苦痛も酷いので痛み止めのブスコパンを注射してもらった。外科の病室に空きが無かったので、同科のリカバリー室に入院した。だが、痛みが収まらずカミさんが息子に連絡すると、痛いときは遠慮せずになんでも要求するようにと言われたので、執ように痛み止めの注射を頼んだのだが、続けての注射はできないので待つように言われてしまった。息子はこれは危ないと思ったらしく「明日様子を見に行くから」と言った。しばらくは苦痛を我慢するしかないので、カミさんには自宅に戻ってもらい、もがきながら壁の時計をみるとすでに12時を過ぎていた。
11.8.22 午前1時になってヤット痛み止めの注射をうけ、2時間寝たが苦痛で途中に目が覚め、午前3時から地獄の苦しみが再開する。午前4時に更に気分が悪くなり嘔吐が始まった。枕元にあった汚物入れ用のビニール袋に吐いたが、ドロドロした内容物が「グエッ、オエッ」とイッパイ噴出した。昨夜は夕食をとっていないからして、これは昼食分が小腸から胃に逆流したものと思われる。鼻から入っていた太いビニールチューブも一緒に口から飛び出して悲惨な状態になり、看護師が急いでチューブを鼻から引き抜いてくれたが顔中ヘドだらけになった。だがこの汚物からはウンコの匂いはしなかった。タオルで顔を拭いてもらいヤレヤレ思ったが、再び鼻にチューブを差し込まれ治療が再スタートした。それでも嘔吐したので少しスッキリし楽になった。眠れないでいると、午前8時に息子が見舞いに来た。私の顔色を見て一刻を争う重症ではないと判断したらしく、自分の勤務する栗橋の病院に出勤していった。B医師が病状説明に来て、大腸につながる小腸の先がたぐまって便が詰まりイレウスになっている。今入っている短いチューブでは回復しないので、イレウス管を小腸の奥まで入れて、詰まっている便を吸いだすと告げた。イレウスの手術以来3年ぶりのご対面だが、余りお変わりなく元気そうであった。私の腹の中を知るのはB医師だけなので勤めて居てくれると心強い、癌が再発しているとは言わなかったで安心した。質問しようかと思ったが恐ろしいので止めた。午前11時にテレビ造影室でイレウス管という長いチューブを小腸の奥まで入れる。初めて見るエックス線TVの装置に横になり、B医師が被曝防止用のチョッキを着て鼻からイレウスチューブを入れる。造影剤も入れて何やらワイヤーらしきものがディスプレイに写っていた。B医師がそれを見ながら、レントゲン技師と看護師の介助で小腸の奥までチューブを押し込んで行く。我慢できない程の苦しさではないが20分で168cm入った。小腸の長さは5m位あるらしいが、このままにして置けば小腸のぜん動運動でチューブは更に奥まで自然に入っていくそうで、残りの長いチューブは胃袋の中に丸めて入れてあるらしい。処置が終わったのでフラフラしながら1人でリカバリールームに戻った。看護師が電動式のポンプとイレウスチューブをつなぎ、小腸の奥にある便?を吸い上げるとアクリルの四角いケースに溜まっていった。正午になって便意があり電動ポンプをつないだままトイレに駆け込んだ。すると大量のガスと便が出てスッキリした。午後にB医師が病状説明に来てくれて、この治療方法で2~3日中に結論が出て6~7割の人は治るが、そうでない人は別の方法で治療を行う言った。別の方法とは手術かも知れないので恐怖を感じた。今日1日はこの病室で治療が続行される。午後6時に大量のガスがでて安心した。午後9時の就寝時間に苦痛は治まったが不眠症なので寝付けなかった。
11.8.23 夜半からウトウトと寝入ったが、何回も夢を見て目が覚め小水に行った。午前9時に1人でレントゲンのフイルムケースを持って放射線科に行きレントゲン写真を撮ってもらい、フイルムケースを受け取ってリカバリールームへ戻った。点滴棒と重い電動ポンプを押しながら歩くので不自由である。途中でB医師に出会いガスが出てイレウスが開通したようなので、レントゲンで確認すると伝えてくれた。午前9時に朝の回診があったが形だけでセレモニーのようなものである。研修医も一緒にいたが、以前より人数が減っていたから医師不足なのであろう。お昼ごろ一般病室に移った。個室は満室で入れなかったが、慣れているので大部屋でも気にならなかった。幸いワーストポジションではなく通路側だったからこれで十分である。入った308病室は8年前、最初にガンの手術で入院した病室である。ベッドの位置が違うので外の景色は見えないが、横になると当時のことが昨日のように思い出された。外科病棟への入院は7度目にもなるが、顔見知りの看護師さんは誰もいなかった。常に何処かに移動して勤務しているのであろう。交代制とはいえ朝から晩まで常に忙しそうに働いて重労働である。息子の研修医時代は軍隊調の24時間勤務で、看護師は休日はあるし勤務時間が定められていて時間がくれば帰れるから羨ましい嘆いていた。現在は研修制度が変わって楽になったようだが、軍隊調の過酷な勤務に耐えられないと外科専門医にはなれないであろう。ここの病院の外科スタッフは体格がよく丈夫そうである。午後1時にB医師が来て「イレウスは治った」と告げた。いつもの便秘から発症したので便秘薬を飲むことになった。もし治らなかったら再手術になったかも知れないので安堵した。重たい電動ポンプからは解放されたが、イレウスチューブはそのままでポンプの代わりにビニール袋をつないだ。鼻に入っているチューブが穴に当たってズキズキして痛い。チューブを外すのは明日か明後日と言われたので今度は頭まで痛くなった。便秘の薬にマグラックスと大健中湯が出されたので飲んだ。明日からも継続して飲むことになった。便秘薬マグラックスは8年経っても全く進歩していないようだ。水は飲んでもよいことになった。Sクリニックでもらった頻尿薬デトルシトールカプセル4mgも合わせて飲むようにと言われた。この薬は便秘を起こす副作用があるらしいので心配である。睡眠薬レンドルミンは寝る前に看護師に申し出て飲むようにと指示された。午後9時に軟便が中量でた。午後10時に下剤薬プルセ二ドを2錠飲む。鼻のチューブが当って痛かったが位置を少し変えると痛みが治まった。看護師が忙しそうだったので遠慮してレンドルミンは飲まなかった。今日は回復に向けて一歩前進したので安心して就寝した。
11.8.24 昨夜はレンドルミンなしでも5時間位寝られた。早朝5時に採血があった。目が覚めるとイレウス管が鼻の穴に当って痛く鼻水が出ていた。熱は36.5度で平熱だが頭痛がして咽も痛い。ちかごろ鼻から入れる胃カメラ検診が流行っているが、これと同じものが3日間も鼻から小腸に入っているので拷問されると同じに苦しい。チューブの先に着いたビニール袋は外されたが痛さは変わらない。今朝から流動食が配膳される。水分補給にポカリスエットを売店で買って飲んだ。9時半にB医師が来て血液検査は問題なかったのでレントゲンで確認すると言った。10時に放射線科に行ってレントゲンを撮る。午後1時にシャワーを浴びる。歩かないと治らないとB医師に言われたので点滴棒を押して病院内を20分グルグル回った。動くとチューブが鼻に当って更に痛く、涙が出たのでチリ紙で拭きながら歩いた。ベッドに戻ってイレウス管を止めるテープを張り替えると少し楽になった。今日はイレウス管を外してもらえなかったのでガッカリした。カミサンに身体を拭いてもらった。息子から電話があったのでカミサンに状況報告を頼んだ。鼻が痛くて会話が苦痛であり、日増しに痛みが増している。明日にイレウス管が外れるのを期待してレンドルミンを飲んで就寝した。
11.8.25 昨夜は9時間も一度も起きないで熟睡した。これからは毎晩レンドルミンを飲んで寝ようと思う。朝食にくず湯と牛乳がでた。食後にウンコがでた。回診でB医師が来て一時間後にイレウス管を抜くと言った。テレビ造影室に呼ばれたので中に入って検査台の上に横になると、テレビモニターにお腹の中がボンヤリ映っていた。B医師がイレウス管に造影剤を入れるとフワッと白い影が広がった。何かを確認してから、いいだろうと言ってチューブを一気に引き抜いた。抜く間は2~3秒くらいだが痛くて苦しかった。モニターにB医師の手が映っていたからX線で被曝している。息子も同じことをしている筈から年間の被曝量は、福島原発事故で騒がれる量より遥かに多いであろう。誰もが発ガンしないようにと祈った。イレウス管を抜いたのでショック状態でフラフラしながらレントゲンの袋を持って病室に戻った。落ち着いてから洗面所の鏡で鼻の様子を眺めた。4日間もチューブが入っていたので鼻の穴には擦り傷ができ、赤く腫れ上がっていたが、変形してはいなかった。昼食は全品おすましで固形物はなにも入ってなかったが美味しく半分づつ食べた。食べ終わるといつものように胃が少し痛くなったので熱いお茶を飲んで落ち着かせた。ロビーに置いてある本を読んだ。ルバング島から生還した小野田少尉に嫁いで、共にブラジルに渡った奥さんの書いた自伝である。タイトルは「私も戦友になれたかしら」であったがノンフィクションなので面白かった。そして人は誰もが苦労しながら生きていて、それが人の心を引く物語りになるのだと思った。プロの小説家が書いたフィクションは、てらいが多く「講釈師見て来たような嘘を付き」だから余り好みでない。いつものように20分ほど病院の中を歩いて回り腸を動かした。途中でB医師に会ったが努力を認めてくれたかな・・・。シャワーを浴びて寝転んでいると、息子が勤務帰りに見舞いにきてくれた。途中でB医師に会ったら笑っていたそうだから覚えていてくれたのであろう。息子は自分の子供の写真を見せながら最近の成長振りなどを話してくれた。そのうちカミサンも見舞いに来たので久しぶりに親子3人で談笑した。今働いている栗橋病院は3次救急がなので国立水戸病院に比べ勤務が楽だそうだ。イレウスが今後再燃するかは分からないと言われ、11月行く予定のキューバ旅行の予約をどうするか迷っていると話すと、手術もあり得るので無理ではないかと言われてしまった。そして一時間ほど話をして、つくば市の自宅に帰っていった。救急外来で造影CTを撮ってくれたI医師が歩いていたのでカミサンにお礼を言ってもらった。今夜は鼻が痛くないがレンドルミンを飲んで安眠することにした。
11.8.26 レンドルミンを飲んだのだが朝3時に目が覚めて6時間しか眠られなかった。だが余り寝不足な感じはしない。B医師が来て調子がよければ28日の日曜日に退院できると伝えてくれた。食前薬の大健中湯を飲んだ。昼の11時に点滴が外されて動きやすくなったので運動のために病院内の階段を上ったが最上階から屋上には出られなかった。階段の途中に若い女性がいて夫がガンになって・・・と暗い声で電話していた。階段を下って一階の外来受付に出たが点滴棒を押していないと入院患者らしくないのでエレベーターに乗って3階の病室に戻った。昼食に五分粥が出たので半分食べた。味は昔よりよくなっている。半分と言うのはご飯とおかずを合わせてであり、患者によってはご飯だけのことを言う人もいるようだった。私は常に半分食べるようにと指示されているので、一度も全部食べたことがない。午後3時から30分の間にスコールのような大雨が降っていた。昔住んでいた家は大雨が降ると雨漏りや浸水の心配があったが現在の家は安心である。だが、カミサンが窓を開けっ放しで出勤したのではないかと心配になった。ウンコが少しづつ出始めた。夕食後カミサンが着替えを持って来た。夕べは睡眠時間が短かったので8時半にレンドルミンを飲んで早めに就寝した。
11.8.27 だが今朝も3時に目が覚めてその後寝られなかった。朝食の全粥を半分食べる。回診でB医師に明日退院してよい言われた。便秘の解消が課題でプルセニドを処方されることになった。退院が決まったので安心してロビーに置いてあった「アルマゲドン」の文庫本を読んだ。テレビでも放映していた荒唐無稽な物語だが、福島の地震を思うと全くありえない話でもない気がした。大部屋の患者は各人の話がまる聞こえでプライバシーなどは皆無である。通路の奥にはホテルのような特別室がある。ここにいる患者にはいつも見舞い客が大勢押しかけドアを開け放して大声で話していた。残暑は厳しかったが病院の外を30分散歩した。8年前にガンで入院したとき、窓から眺めたけやきの木には青々とした葉が沢山おい茂っていた。十年一昔と言うが、私には全てがまるで昨日のように思われた。病棟に戻ってトイレに行くと形のあるウンコがでたから腸が開通したようだ。今回で最後となる筈のシャワーを浴びる。夕食後にウンコらしい大便が出たので安心した。今夜はB医師が当直なので何かあっても安心よと看護師が冗談を言っていた。カミサンには明日退院なので今日は来なくてよいと伝えておいたから今頃韓流ドラマのテレビ番組を見ているだろう。これから何事もないのを祈ってレンドルミンを飲んで9時に就寝した。
11.8.28 今朝は2時半に目が覚めてよく寝られなかった。朝食を食べ終え、退院する準備をしているとB医師が様子を見に来て「気を付けて」と言ってくれた。そのあと回診を受けプルセニドとマグラックスの便秘薬をもらって退院する。次回の外来診察と会計の支払いは9/9になった。ナースステーションに挨拶して病院を出ると間もなくバスが来たので一人荷物を抱えて乗車した。今日は日曜日なので日ごろお世話になった看護師のFさんはお休みである。若さに溢れた明るい人で看護師に適任な人であった。一言お礼を言いたかったのだが・・・。しかし、その願い?が通じたのか1週間後にイレウス再燃で再び病室に舞い戻るとは思いもよらなかった。(会計103.500円は9/12に支払った)。
11.9.1 Sクリニックに頻尿薬をもらいに行く。前回の薬は効かなかったので、今回はバップフォーとスピロペントを貰った。だが、これが最悪の事態に招くとは夢にも思わなかった。抗コリン薬はぼうこうの働きを抑える薬なのだが、副作用で腸の動きも悪くしイレウスを起こし易い。息子は外科医だから薬については不詳だが、内科医の息子の嫁さんが調べると、その可能性が大きいので服用しないようにと言われた。この1年近く毎日1時間も散歩を続け運動不足解消に努めていた。そのお陰でイレウスの術後から3年間も発症しなかったのに、この薬を服用した途端に2回も続けてイレウスになるのは、間違いなく抗コリン薬の副作用が原因だと思われる。癌などで腸を手術しイレウスを発症し易い人には、この種の薬は絶対に危険である。まかり間違えば命を落とすところであったし、再度入退院を繰り返す破目に陥ったであろう。あの時の苦しさに比べればオムツを着用した方が余ほどマシである。薬は効能より副作用の方がはるかに大きいのを身を持って体験した。今後は安易な薬の服用はせず、歳相応の老化は受け入れながら生活したい。会計890(診)+1800(薬)=2690円。
11.9.7 イレウス入院。昼食後に胃の調子が悪くなった。便秘ぎみだったのでプルセニドを2錠飲んだ。この薬は12時間以上経たないと効かないので時既に遅しである。トイレで咽に指を入れて吐こうとしたが余り出ない。4時ごろ腹が膨らんできたので、これは危いと感じて市立病院の救急外来に電話し診察を申し込む。5時半に予約をとって急いでシャワーを浴び、入院用具一式をバッグに詰め込み、カミサンに連絡し、タクシーを呼んで病院に駆け込んだ。カミサンが先に来ていたので救急窓口で受付をしてもらう。幸い前回ほど苦しくなかったので待合室の椅子で少し待たされたが、程なくして救急外来のベッドに横になった。医療ドラマに登場するような美人の女医さんが診察して点滴とレントゲンと採血をした。重症ではないと判断したのか椅子に腰掛けてしばらく待った。夕方の7時ごろだったので外科のスタッフが来て早く来院してよかったと言われたが、絶食が必要なのでまた入院をすることになった。点滴だけで帰宅できるかと期待していたのだが無理であった。外科の305号室に入院し点滴を続けると大分楽になった。当直医が様子を見に来て傷口と腸が癒着してるのかも知れないと言った。夜間に大量のウンコが出て更に楽になり寝入った。
11.9.8 採血があり禁飲食の札が付いた。B医師は休暇中で診察はなかった。担当の看護師のFさんが来た。お互い顔を見合わせて「エーッ」っと言った。再会を喜ぶべきなのか・・・。ウンコとガスが出ているので、あの恐怖のイレウス管挿入はなさそうである。苦痛もないので点滴だけで終日ボンヤリ過ごすことになった。ベッドが308号室のワーストポジションに移された。一週間前に入院していた患者は全員入れ替わっていた。ほとんどが高齢者であり流れ作業で治療が進まないと病院がパンクしてしまうだろう。カミサンが4時半ごろに着替えを持って来た。息子から電話があって明日の午後見舞いに来るらしい。短期間にイレウスを繰り返す場合は手術適応なのだそうだ。身体を拭いてもらってシャツを着替えて就寝したが、夜間に何度も目が覚めそのつどトイレに行った。
11.9.9 朝5時半に採血があった。昨夜は何度も目が覚めたので寝不足である。8時半にB医師が様子を見にきて要手術らしいことを伝えた。息子にそのことを聞いていたのでヤッパリかと思いながら「宜しくお願いします」と言った。レントゲン撮影の後で回診があった。Fさんに点滴チューブを外してもらいシャワーを浴びた。2時半に息子が嫁さんと子供を連れて見舞いに来た。まだ点滴が外れたままだったがFさんが後でつなぐからと言ってくれた。病室は狭いのでロビーに行った。孫を抱こうとしたが人見知りして寄ってこなかった。一歳半になったが上品な顔立ちで可愛い顔をしていた。永遠の命と言う言葉があるが、私もこの孫の中で生きて行くのだと思うと安らかな気分になった。先日、息子夫婦が子供を連れて屋久島を2泊で旅行した。その時撮った写真を見せてもらった。それを眺めながら、私も元気で長生きし孫を千年杉まで連れて行けたらいいなと思った。帰り際に病院の玄関前でよその人にシャッターを押してもらい記念写真を撮った。4時にFさんが病室に来て、今回は手術しないで様子を見ることになったと連絡してくれた。私は息子に手術を勧められていたので、早く治るのなら手術を希望するとB医師に伝えて欲しいと話した。Fさんは手術が中止になったのに何故手術を希望するのだろうかと困惑顔をしていた。B医師は息子のことを知っているので、然もありなんと思ったであろう。5時にカミサンが来たが近頃ドタバタが続いたのでヤヤうつ気味であった。カミサンを見送ったあと点滴チューブを棒の上に絡ませて病室に戻ったら、看護師が飛んできて点滴チューブに空気が入って危険な状態だと言って直してくれた。みんな忙しく働いていても患者の様子はよく観察しているのだと感心した。レンドルミンと頻尿薬は服用禁止になっていた。
11.9.10 6時に顔を洗う。3日間も飲食禁なので身体がふら付いた。回診前にB医師が来て「今回は手術しない」と告げた。もし再発症したら手術するらしい。イレウスは手術しても完全に直る保証がないから、無理に腹を開けて痛い思いをするより温存しながらお迎えを待つ方がよいと思った。昼食から流動食のポタージュが出される。食後にマグラックスを飲んで歯を磨いたら、寝てばかりいたのでギックリ腰になりそうであった。3時ごろにオヤツのくず湯と飲むヨーグルトが出た。夕食前にシャワーを浴びた。夕食にはポタージュとくず湯が出た。マグラックスが出されたが大健中湯はなかった。今回は慎重に配膳されているようだ。カミサンが着替えと前回分の支払い金と書類を持って来た。少し元気なったようである。小さいがウンコが出たのでヨカッタ!。点滴の量が減ったので夜間に行くトイレの回数も少なくなった。周囲の高齢者は昼夜いびきをかいて寝ているから、老いると不眠になるというのは正しくない。レンドルミンがないので耳栓だよりで就寝した。
11.9.11 今朝は3~4時に目が覚めて寝られなかったが、その後は寝られたのでよかった。6時にウンコが少し出た。入院前の残糞であろう。朝3分粥を半分食べる。今朝で点滴が終了する。9時過ぎに大量のウンコが出た。これで今回の糞詰まり分が出切ったと言う感じである。回診の後にヨーグルトが出された。昼食の3分粥を半分食べる。オヤツにプリンと牛乳が出る。マグラックスは自宅で飲んでも効かないのだが何故か病院で飲むと調子がよい。我が家の食事内容の貧困さが原因なのかも知れない。ロビーに置いてある大川○○の宗教本を読む。この本以外は文字が小さく目が疲れて長時間読めない。いつものシリーズと似たような内容だったが、あれだけ大量の文章がツラツラと書けるのには感心する。大川○○は東大卒だが誇大妄想狂のように思える。東大卒の3割が発達障害者だそうだから特化した人種なのであろう。下痢ウンコが何回も出だす。シャワーを浴びながら肛門を冷やした。夕食の3分粥を半分食べる。その後下痢ウンコは収まった。点滴が外されたので夜間のトイレ回数が減った。今日はいびきの酷い右隣のベッドの患者が退院したので静かに寝られる。左隣の通路側ベッドの患者は別室で長逗留した後、この病室のベッドに押し込まれたようだ。医師と看護師が絶えず入れ替わりながら何やら治療していた。だが、高齢になると回復が遅いから自力で歩いて退院できるのか疑問である。前回入院したときにそのベッドにいた患者は末期ガンのようだった。私が退院する時は特別室に移っていたが、今は別の患者が特別室に入院していたから転院したのであろう。思うに外科的治療を施しても回復は自然治癒力によるところが多いと思う。まだ60歳代だから何とか耐えられるだろうが、70歳以上になったら自己意思で治療を選択できるようにボケないでいたい。そしてイレウスは苦しいからこの病気で死ぬのだけは避けたいと願っている。
11.9.12 昨夜は下痢ウンコもなく小水の回数も減ったので、マアマア寝られた。朝食の5分粥を半分たべる。8時半少し前に前回分の入院費を支払いに行った。請求額は10万4千円でいつものイレウス入院費より高額であった。先日知人のAさんにアメリカの医療事情を聞いたが、貧乏人はマトモな医療は受けられないと言っていた。私も自営業時代には年間60万円以上の国民保険料を支払っていた。サラリーマン時代を含めると過去40年近く収め続けていたから総額で1千万円以上の保険料を納付したことになる。更に共稼ぎなのでカミサンとは別枠だから、私がそれ相当の医療を受けても当然と思われる。だが今後平均寿命まで生きて、その間に大病すると国保財源の足を引っ張ってしまう。そのような事態にならないようこれからも健康管理を継続して暮らして行こうと思う。9時にB医師が様子を見に来て水曜日を退院予定にすると言った。回診が終わると新しい患者が3名入院して満室になった。下痢気味のウンコが少し出たがこれは病院で食べた分であろう。腹の調子もよいから明後日の退院は大丈夫だろう。看護師のFさんに小冊子とこのHPのアドレスを渡した。本の題名を見て驚いていたが、喜んでナイショで受け取ってくれた。昼食と夕食も5分粥で半分づつ食べた。間食にバナナと牛乳が出たがバナナには危険を感じたので食べなかった。カミサンが来て娘の子供の心配話をした。孫の世話話ができるので自分の気持ちも落ち着いたのであろう。学校で同僚の図書の先生に小冊子を渡したら早速ファンレターを貰ったと見せてくれた。きれいな文字で書かれてあり細やかな人柄が感じられた。私などは超悪筆なのでワープロがなければとても人様に手紙など出せたものではない。病室が満員になった割には夜中は静かであった。もしかしたら病気のことが心配で、まんじりともできなかったのではないだろうか・・・。私はイレウスで痛くて苦しくて寝られない夜を何十回も体験した。Fさんも手術よりイレウスの患者の方が苦しそうだと話していた。そしてこの病院でもイレウスの入院患者は多いのだそうだ。今夜は「中秋の名月」だとラジオが喋っていたが来年の今月今夜の今頃、私は何処で何しているのであろうか・・・。
11.9.13 夕べは静かだったのでよく眠れた。朝食の全粥を心して半分食べる。9時にB医師が来てガスの出具合を聞いて明日の退院予定を告げた。9時半に前回救急外来でお世話になったI医師が回診に来たのでお礼を言った。下痢気味のウンコが少し出た。昼食の全粥を半分食べる。12時半に明日の退院を判定するレントゲンを撮る。オヤツにヨーグルトが出る。シャワーを浴びる。通路側ベッドにいた重症患者は何処かに移動していなくなった。治療に手間のかかる患者は優先して個室に移してもらえるらしい。5時過ぎに看護師のFさんが夜勤担当で回って来て、明日の退院が確定していると教えてくれた。その後B医師が来て腹を触診し明日の退院が決まった。夕食後にカミサンが明日支払うお金を持って来た。その夜は退院して家に帰ったら、アレモコレモしなくてはと気になって不眠症が再発して寝付けなかった。
11.9.14 今日は退院日、昨夜から不眠症が再発し寝不足で頭が重い。朝5時ごろトイレからの戻りに、通路の端にあるドアの窓越しに大きな満月が見えた。薄明の空に透き通ったように光る満月は不気味な程大きく見えた。満月の日は人の気持ちが高揚するそうだから元気に退院できそうである。Fさんが最後の検温に来た。お腹の音を聴診器で聞いて正常と言ったので安心した。「また来るかも知れないけどその時は宜しく」と言ったら笑っていた。常にいそがしく働いていて余り話す機会も無かったが、きれいな声で皆に親切に接していたのが印象的であった。小冊子とこのHPを読んでもらえると嬉しいのだが・・・。朝食の全粥を半分食べた。回診が終わり、帰り仕度をしているとB医師が来てくれて「気をつけて」と言ったので「また宜しくお願いします」と返事をしたら笑っていた。高齢者になれば人生一寸先は闇であり、救急の受け入れ病院があるのは心強い。マグラックスと退院書類を受け取り、ナースステーションに挨拶し会計を済ませ病院を出た。次回の外来診察日は9月27日(火)の午後三時である。前回は油断して再入院したが、これからは食べ過ぎに十分注意し万全を期そうと思った。バスが来たのでバッグを抱え、それに乗って自宅に帰った。会計83.300円。
11.9.27 市立病院へ外来受診する。今回は退院してから無事に二週間が過ぎた。早めに自宅を出たので予約時間の一時間も前に病院へ到着した。持って来た本を開いたが少し読んだだけで眠くなり居眠してしまった。目が覚めても予約時間には未だ間があったが、本を読む気になれずボンヤリしていた。診察室に呼ばれて中に入ると、B医師がその後の様子を尋ね、診察台で腹部を指で叩いて音を聞き、未だガスが残っているようだと言った。イレウスの再発予防には便秘をしないことで、ラキソベロン液を三ヶ月分処方してくれた。そして、またぶり返すかも知れないので、その時は早めに来院するようにと言ってくれた。この病気は完治しないらしいが、ここに駆け込めば治療して貰えるので取り合えず安心である。あれ以来、頻尿薬の抗コリン剤は全く飲んでいない。この薬の副作用が原因なら再発しないのだが・・・。息子の言うようにガンが再発したのではないから「一病息災」と思って病院を出た。外から外科の病棟を眺め、Fさんたちは今も忙しく働いているだろうなと思った。薬局で薬を買ってバスに乗り、帰宅して直ぐにラキソベロンを飲んだ。11月にはキューバとメキシコを旅行するからこの薬は必携である。会計400円(診察)+1100円(薬)=1500円
11.11.21 K医院に市の健診と胃カメラの予約しに来院した。朝食抜きで採血、眼底写真、胸部レントゲンを受診し結果は1ヶ月後に分かる。近年視力低下が進行し障碍者になるのではないかと不安である。同時に受けた聴診、視診、心電図などは問題なかった。胃カメラの予約は満員だったので来年の1/11(水)8:30の当日3番目に予約した。カメラは朝食抜きで行うのでなるべく順番の早い方が望ましい。大腸カメラは2~3年間隔でよいとされるので今年は見送りにした。念のため腫瘍マーカーのCEA、CA19-9、PSAの検査を依頼した。腫瘍マーカーが上昇すれば手遅れの状態も大いにありうるが、余生の人生設計をたてるのには必要である。高齢者のインフルエンザ予防接種が市の検診項目にあり代金が1000円と安価なので接種した。院長に旅行の話をしたら海外旅行に行けていいですねとうらやんでいた。お金があっても暇のない人は旅行も間々ならないのであろう。節制して生活してきたのでメタボ検診は問題なかったが、身長は164センチと3センチ縮み体重は53Kgになっていた。検査結果は未だ分からないが70歳位までは元気でいたいと思う。イレウスの再発を心配しながらメキシコ、キューバを11日間旅行したが無事に帰れてよかったと思う。メキシコから成田への機内には後期高齢者が大勢搭乗していた。長年イレウスを抱えて旅行した経験から、その人たちにの気持ちはよく分かるのだが18時間も機内に座っていればエコノミー症候群を発症しても不思議ではない。私もその年齢になったらビジネスクラスか豪華客船で旅行したいものである。だがサマージャンボでも当らないと夢物語である。これからの添乗員は看護師やそれに準じた資格が要求されるのではないだろうか。それでも何のトラブルもなく無事成田に到着できたので、お互いの健闘を称え合いたい。会計5200円。 
11.12.28 イレウス入院。昼食後に胃の調子が悪くなる。近頃胃の具合が悪いのでそれが原因と思っていたが、次第に痛みが増してくるので何時ものようにトイレで咽に指を入れおう吐した。だが全く改善せずイレウスが再発したと思い急いで市立病院に診察の電話予約をした。そして大慌てで入院用品と書きかけの年賀状をバッグに詰め込みカミさんと一緒にタクシーで病院に駆け込んだ。外科の外来は終了していたので救急外来を受診する。何時ものようにレントゲン撮影と点滴を受けながら椅子に座って待った。担当医に呼ばれ前回と今撮ったレントゲン写真を比べて見せ「胃ケイレン」と診断した。確かに前回の写真は素人目にもそれらしかったので点滴が終われば治癒すると思い寒いのを我慢して椅子に座って待っていた。だが徐々に痛みが酷くなってきたので担当医に入院させて欲しいと頼んだが胃ケイレンなので必要ないと断られた。これは過去のワーストパターンだと感じ「痛いから何とかして欲しい」と懇願すると単純CTでイレウスの確認をすることになった。車椅子に乗って放射線科に行き単純CTを撮るとイレウスらしいので造影CTで再確認し「イレウス」と診断された。カミさんは初めからCTを撮ればよいのに怒っていたが被曝量の関係で即CT検査はダメらしい。何時もの308号室通路側ベッドに横になり鼻から胃へチューブを入れると内容物が噴出して少し楽になった。ヤレヤレと思っていたらT医師が来てこれから(恐怖の)イレウス管を入れると告げた。今回もそんなに重症なのかとガックリしながら車椅子に乗ってテレビ造影室に向かった。B医師もいてT医師を指導しながらイレウス管を挿入する。今回は前回と異なり胃カメラを使っていた。先ず胃カメラを小腸入り口まで入れ胃カメラの中心にある管にワイヤーを入れる。今度はワイヤーを残して胃カメラを抜き、更にそのワイヤーに沿ってイレウス管を挿入しているようであった。小腸深部へのイレウス管の挿入には高い技量が必要らしくB医師がT医師に代わって挿入する。途中で気分が悪くなり何度もおう吐し大量の内容物が噴出した。イレウス管チューブは170センチ位入った所で終了した。B医師が前回と同じ場所が詰まっていて小さい癒着があるのかも知れないと告げた。イレウス管の挿入には医師を含め3~4人の人手が必要なようで今日はB医師がいたから早く終わったが不在なら前回のように長時間苦しむことになる。もし旅行先でイレウスになったら危険な状態になる恐れが十分にある。ベッドに戻ると便意を催し車椅子に乗せてもらいトイレに行き大量に排便した。病院に着いてから8時間も苦しんで午後9時過ぎにヤット就寝した。
11.12.29 午前5時半に採血があった。昨夜は痛みがなく疲れていたので熟睡できた。今回の主治医はT医師であった。息子より若いから激務の時代だろうなと思った。8時ごろ様子を見にきてイレウス管が少し抜けていると言った。9時の回診にB医師が来て便秘が原因なので何とかしたいと言っていたが手術はしないようである。息子の話では最近S市の外科学会でB医師と会ったそうだ。現在B医師クラスのベテラン外科医は少なく今後更に減少するそうだ。点滴をぶら下げ鼻のイレウス管とその吸引機をゴロゴロ押しながら歩いていると途中でFさんにバッタリ逢った。そして「ブログ見てますよ」と言われ嬉しくなってドキドキした。またこのイレウス奮戦記を書くことになるが見ていてくれる人がいると張合いがある。この時は分からなかったがFさんとは元旦の退院日にまた会うことになる。まるで自分が医療ドラマの主人のように思えた。今日の担当看護師は5年位前にお世話になったWさんである。元気な威勢のいい人で子育てしながら働いている。Wさんに今からここでイレウス管を10センチ押し込むと言われ「エー!」と叫んだが意外に思ったほど痛くなかった。今日から1日3回のペースで残り1メートルほど押し込むそうだ。1日30センチで3日はかかるから本当ですか?と尋ねたが答えてくれなかった。これから年賀状を書こうとしていたが、それを聞いて意気消沈し明日書くことにした。カミさんが面会に来て31日から帰省するので洗濯物は病院のコインランドリーですることになった。それまでにこのイレウス管が抜けないと着たきりスズメで年越しすることになる。夜勤にきたお淑やかなKさんがイレウス管を10センチ押し込んだ。今日は大便が中くらい出て1日が終了した。
11.12.30 夜中に下痢便が少し出た。朝にKさんがイレウス管を10センチ押し込んだ。これで今朝までに30センチ押し込んだことになる。見るとイレウス管には260センチまで目盛りが刻んであり前回は一気に200センチまで押し込んでいる。そのためか鼻と咽が耐え難いほど痛かったが今回は我慢できる範囲にあり救われている。8時にT医師がきて今日イレウス管に造影剤を入れて検査すると言った。触診の診察では経過は良好であった。様子を見て具合がよければ明日吸引機を外すそうだ。退院は3日か4日になると言った。日勤に172センチと長身のSさんが来る。背が高くていいねと言ったら本人はそうでもなさそうであった。ストレス性の胃炎を抑えるため点滴にガスター10の胃薬を混ぜた。9時にレントゲンを受ける。10時の回診で吸引機が外された。回診が終わると70才過ぎの同室の患者が杖をついて1人で退院していった。その後ろ姿には何とも言えない老人の哀れさが漂っていた。11時半にT医師が来てレントゲンで診察するとイレウスはもう治っているので元旦に退院してもよいと告げた。そしてベッドに座った状態でイレウス管に注射器を挿しチューブをユックリ引き抜いた。1mほど入っていたチューブが抜かれ楽になった。前回に比べ鼻の穴のダメージは少なかったが多少赤く腫れていた。午後2時ころB医師が来て現状で手術してもイレウスが完治する保証がないので今回も様子を見ることになった。大腸の働きが生まれつき悪く大便が小腸から大腸肛門までトコロテンのようにつながっているので常にイレウスになる危険性があると言われた。また下剤を常用すると習慣性を生じてよくないそうだ。こうなると断食か神頼みしかなさそうである。年賀状を書き終えたので面会に来たカミさんに渡した。午後3時半にシャワーを浴びて少し寝た。5時頃クールなAさんが夜勤に来た。6時の夕食に流動食が配膳され半分たべた。2日ぶりの食事なので胃が少し痛んだが直ぐ治った。定番の緩下剤マグラックスを飲む。6時過ぎに軟便が中量出た。息子に今日の様子を話すと元日に退院したら孫のお守りを頼むかも知れないと言われて喜んだ。夜の検温でAさんがこの前も入院していたでしょうと言った。隣に寝ている患者もイレウスで明日からお正月の期間自宅に外泊するらしい。イレウス管も点滴も付けていないのに何故退院できないのか不思議であった。Aさんもイレウスを予防するのは難しいような話をしていた。今日は元旦の退院が決まったのでよい日であった。その夜の9時過ぎに入院患者が死亡しAさんたちが大忙しに動きまわっていた。点滴が終わっていたが弔い中らしかったのでナースコールは押さなかった。その夜遅くなってAさんが交換してくれた。医師と看護師はおくりびとの代行までするから楽な仕事ではないと思った。
11.12.31 昨夜のドタバタで寝付くのが遅くなったがマア何とか寝られた。だがAさんは朝も全く変わらずテキパキと働き回っていてスゴイなと思った。お世話になりましたとお礼を言ったらマグラックスを忘れないで飲むようにと注意されてしまった。朝8時に昨夜と同じ流動食を半分たべたが食べると言うより飲んだ。8時半にレントゲンを受けたがウンコをしてからにすればよかったと後悔した。今日の日勤は大きな文字盤の腕時計をはめたTさんである。点滴にガスター10を入れてくれた。9時半の回診でT医師が昼食からお粥を出すと言った。11時半に娘が見舞いに来た。子供を旦那に預けて1人で群馬から4時間かけてカーナビを頼りに来たと言う。たまには1人で羽を伸ばすのもいいだろうが最近2回も違反切符を切られてこんど捕まったら免停になるのにと思ったが折角来てくれたので小言を言うのは止めにした。12時の昼食に五分がゆが出て半分たべた。12時半にB医師が来て食事の様子を見て明後日は大丈夫だろうと言った。娘は午後1時半に帰ったが心配になって夕方電話で無事に着いたか確認した。Tさんに病院の様子を聞くと、入院患者は53名で看護師は20~25名いて休みを間違えて出勤する人はいるそうだが夜勤を外す人は聞いたことがなく、風邪をひいても這ってでも出勤するそうである。息子も仕事で一番の心配は寝坊することだ言っていた。医療従事者は根性と体力がないと続けられない仕事である。午後3時半にシャワーを浴びその後点滴が外れた。大晦日なので患者が大勢自宅に戻って308号室も私を含めて2名だけになった。入院回数は過去10回で通算70日以上もお世話になったが耳栓が不要でこんなに静かな夜は初めてであった。夜勤は元気なSさんである。明日の退院を尋ねたら未だ予定の状態で確定していならしく、息子にその話を電話すると孫のお守りはしなくてよいと言われガッカリした。
12.1.1 朝5時ごろT医師が私の寝ている様子を見に来て今日の退院を確定して帰ったとSさんが教えてくれた。T医師は当直ではなかったからワザワザ病棟まできてくれたのであろう。何ともご苦労様でT医師に感謝感激である。研修医は疲れたらトイレの便座で寝ると言う話を聞いたがそれが分かる気がした。このような過酷な労働条件では外科医を志望する人は減ってしまうだろう。朝8時に朝食の五分がゆを半分たべた。Sさんにまた入院するかも知れないからと言ったらマイナス思考はよくないと笑っていた。日勤のFさんが病室に来た。もう退院してしまったのではないかと心配していたそうだ。素直でストレートに話すFさん笑顔を見ると、年甲斐もなく動揺してしまい話す言葉が浮かんで来なかった。元旦なのに帰省しないのか聞いたら病院の近くに自宅があると言っていた。年賀状を渡し「元気でね」と言って退院したが、元旦にまた逢えたのはドラマのように思える。次回の外来診察は1月12日の午後2時半にレントゲンを撮って3時にT医師の診察を受ける。退院してもイレウスは収まっただけで未完治である。ドラマチックだった入院の日々を振り返り、そう遠くない時期に再入院するであろう外科病棟を眺めながら1人バスに乗って自宅に帰った。カミさんは正月の3が日間帰省しているので玄関を入ると三つ指着いた洗濯機と掃除機が待っていた。会計は次回支払い。
2012年
12.1.6 F眼科の診察を受ける。午前10時半ごろカミさんが突然「父さん目が赤いよ如何したの」と叫んだ。自覚症状は全くないので、今朝早く起きて外出したから寝不足で充血したのだろうと思い鏡を見ると左目の白目が半分真っ赤に染まっていた。この頃急速に視力が衰えてきたので眼底出血したのではないかと思い「ゾッ」とした。大慌てで眼科に駆け込み待合室で、もし失明したら老後の人生はどうなるのだろうと落ち込んでいた。30分ほど待って視力と眼圧の検査を受けたが老眼だけでそれ以外の問題はなかった。さらに少し待ってから診察室に入り女医さんの診察を受けた。目の中を拡大鏡で覗いていたが「結膜下出血」と診断され様子を見るだけでよく3~4日して治らなければまた来て下さいと言われた。不安と緊張から解放され改めて女医さんの顔を見ると若くて可愛い顔をしていた。12時過ぎに無事帰宅し渡された結膜下出血のパンフレットを読むと、白目部分の毛細血管破れて赤く染まる病気で原因は特定できないそうだ。今年は正月早々にこれまで一度もかかったことのない眼病で幕開けしてしまった。(幸い一週間後に完治した)。会計2400円。
12.1.11 K医院で「胃カメラ」検査を受診する。午前8時半に受付してカメラの待合室に行くとオジサンが2人座っていた。先にその2名から始まったが検査室から院長の十二指腸潰瘍とポリープがあり組織検査したと言う声が聞こえてきた。9時過ぎに順番が回ってきて咽の麻酔をして検査台に乗り横になった。カメラは十分消毒したのだろうかと余計な心配しているうちに、院長が得意とする口からの胃カメラ検査が始まった。今回は年末の入院で胃にダメージを受けているので心配になり目を凝らして頭上にあるモニターを見つめた。院長は胃液が随分溜まっていると言いながらカメラの管から胃液をジューと吸出し胃壁の様子を隈なく調べていた。素人目には以前より赤みが薄くピンク色で健康そうに見えた。だが終了直前に血がにじんで赤く膨らんだ箇所がモニターに映り「ギョッ!」とした。「ポリープだ!」それも出血しているから「・・」ではないかと思い緊張してモニターを凝視した。院長は私の驚がくした表情を見たのか、これは胃液を吸い出す時に付いた傷だから問題ないと言った。20分で検査は終了し恐怖の生検のワイヤーは使われずに院長の「問題なし」の一言を聞いて肩の荷が下り安心した。今回は胃が荒れていると言われなかったから年末に入院したとき使ったガスター10が効いたのかも知れない。検査が終了したので次に昨年の11/21に受診したS市の健康診断の結果を聞いた。腫瘍マーカーや眼底検査を含め再検査の必要はなく、イレウスを除いて今年1年は安心して暮らせることになった。K医院に通い始めて10年近く経つが10名の看護師さんの顔ぶれはほとんど変わっていない。それに比べ市立病院の看護師さんは全員入れ替わっている。それだけ労働条件が厳しいのだろうがFさんがいなくなると常連患者の私にとっては寂しい限りである。会計1900円。
12.1.12 市立病院へ外来受診する。午後3時からの診察で先にレントゲン撮影があるので昼食は控えめにしてバスに乗った。2時過ぎに病院に着き放射線科でレントゲンを撮って外科の待合室の長いすに座った。午後の外来診察なので待っている人は数人しかいなかった。今回から主治医がB医師からT医師に変わっている。30分ほど待って診察室に入りT医師に退院後の様子を聞かれたので「マグラックスを服用して元気です」と答えた。T医師はモニターでレントゲン画を見せながら「便秘が酷く今も大腸に大量の便が詰まっている」と告げた。便秘状態が続いているのならマグラックスは全く効かないことになる。私はレントゲン画で大腸と便の様子を説明してもらい、小腸に発症したイレウスの位置を尋ねた。T医師がおへその付近を指差し、この辺りだがレントゲンではよく見えないと言った。素人目にはモニターに腹部全体の影がボンヤリと映っているだけで、CTでなければイレウスの診断を下すのは難しいだろうと思われた。今回のように病院に駆け込む場合は我慢して病状を控えめに伝えると安易にレントゲン検査へ回されてしまう恐れがある。救急医療を受ける場合はややオーバー気味に病状を伝え、先ずCT検査を受けるのがベストな受診方法である。妊婦は要注意だがCTの放射線で被曝しても病気や障害を発症した例はないそうだ。T医師からは手術などの積極的な治療方針は示されず便秘の解消にラキソベロンだけが処方された。下剤を常用すると習慣性が生じ将来効かなくなると言われているが他に手立てがないから仕方がない。薬が無くなったらかかり付け医に処方してもらうようにと言われイレウスの治療は終了した。何時もの様に「また宜しくお願いします」と言ったら「癌は直ったのだから」と言って慰めてくれた。今まで散々手を尽くしたがイレウスには根本的な治療法が全くないのを改めて再認識してしまった。息子にも相談したがT医師と同じ意見であった。そして交通事故で死ぬ人もいるのだから危険は誰にでもあると諭された。旅行中でない限り市立病院に駆け込めば何とかなるがイレウスは想像を絶するほど苦しく、この病気で腹を抱え転げ回わりながら死ぬのだけはご免被りたい。経済的には3回入院して治療費合計は約26万円にもなり還付金があるとしてもかなりの高負担である。会計を済ませ外の薬局でラキソベロンを購入した。この薬は1日分が30円と安価なので効かなくなるまで飲み続け、その後は別の薬を探せばよいと思った。今年もまたお世話になるかも知れないFさんのいる外科病棟を見上げると外壁に眩しい冬の西日が照りつけ窓のカーテンが無味乾燥に白く光っていた。やがてバスが来たのでそれに乗り込み帰宅し急いでラキソベロンを15滴(1mL)飲んだ。会計70400(入院費込み)+600(薬)=71000円。
12.3.6 K医院に胃カメラ検査の結果を聞きに行く。2ヶ月前に受診した胃カメラ検査の結果が出たとのハガキが来たので医院に出かけた。近頃のK医院は空いているのでノンビリと10時過ぎに来院したのだが、何故か混んでいて2時間以上も待たされ12時半に診察室に入り院長から結果を聞いた。そして食道と胃には問題無かったのでイレウスを除けば今年一年間は安心して暮らせる。数日前に作詞家のなかにし礼が進行した食道癌になったとTVで報じていたが有名人は定期癌検診をしていないようである。食道癌は胃癌より早期発見が難しいとされているが院長は口からの胃カメラで食道癌も同時に診てくれていた。S市立病院からもらったラキソベロンが残り少なくなったので院長にラキソベロン錠2.5mgを28日分出してもらった。これは液剤タイプと異なり錠剤なので旅行中に服用するのに適している。大建中湯を勧められたので14日分出してもらった。この薬は癌の術後から暫く飲んだが初っ端から腸閉塞を起こしたので余り期待できない。だが以前より効き目が向上しているかも知れないので飲むことにした。成分の朝鮮人参に絶大な効果があればキムヨンジュルも死ななかったであろう。息子も大建中湯の主成分はうなぎの蒲焼にかける山椒なので効目は・・・だと言っていた。効果絶大なのはラキソベロンで飲めば12時間後に必ず排便がある。そのお陰でイレウスにはなっていないが、食事の度に緊張するのでグルメや料理の話には興味がない。今月は迎え船の桟橋に一歩近づくが、孫が2歳の誕生日を向かえるので大きな楽しみを感じる月である。会計480+1320(薬)=1800円。
12.5.31 Y内科クリニックに咳止めで受診する。3年前に風邪をひいてから以降は咳き込むことなどなかったのだが1週間前から咳が続きそのうちに治るだろうと安易に考えていた。だが全く改善せず夜間にも咳が出て寝不足になり悪循環で更に悪化してしまった。咳の始まりは1週間前の夜の外食で発症した食物アレルギーからで、そのとき咳が出て目がかゆくなり、まぶた赤く腫れ上がってしまった。先々週には山形県の月山スキー場で年甲斐もなく降雨中を滑走しズブ濡れになったのも遠因と思われる。自分では気が付かないうちに身体の老化が加速していたようであった。数日前に信用金庫の外交員から金利の高い貯蓄保険の加入を勧められた。外交員が美人だったのも手伝ってその気になっていたのだが健康告知の審査で×になりこれから先の健康は保証できないというお墨付きを貰ってしまった。だが「一病息災」など長寿の諺より点滴チューブにつながれベッドに寝たきり状態で死期を待つ必要が無くなったと言う安堵感が広がりむしろ心休まる思いであった。クリニックの診察では特定の病名はなく抗生物質と咳止めの薬を飲んで三日で治らなければ再来するようにと言われた。息子から聞いた中国大陸からの黄沙の影響について質問したが証明する方法がないので分からないとの答えであった。問診表にジェネリック薬品を希望するかと質問事項があったが以前に好ましくない結果を体験していたのでオリジナル薬品を希望した。息子の話では成分が全く同一とは限らないので薬効が同じとは一概に言えないそうである。会計1010+1200(薬)=2210円。
12.9.15 K医院に夏バテの診察に行く。昨年の夏はイレウスで市立病院に通算16日も入院していたので幸い残暑からは逃れられた。今年は入院しなくて済んだのだが厳しい残暑で体調不良になってしまった。食欲不振が原因と息子に言われたが食べると恐怖のイレウスが待ち構えているので次第に食べる量が減っていくのは止む終えない。暑くなければ問題ないのだが毎年夏の高温記録が更新されるので来年は避暑地で過ごそうなどと適わぬたわ言で気を紛らわすしか術がない。土曜日なのでカミサンに診察券を先に出してもらい11時過ぎにK医院へ自転車で出かけた。ほどなくして名前を呼ばれ院長の診察を受けた。息子と同じ診断で点滴をして様子見することになった。点滴はイレウス予防にもなると期待してベッドに横になった。隣で後期高齢者が点滴を受けていたが順調に終わったようで一時間もしないうちに帰っていった。私は二時間で終わる予定がトラブルで腕が腫れ針の刺し直しをして三時間もかかってしまった。点滴しても劇的な効果はなかったが水分が500ccも直接体内に入ったのでイレウスから少し遠のいたような気がした。期待した雨は降らず残暑はまだ続くようなので夏バテとイレウスの脅威はまだ去っていない。食欲増進剤を処方されたが薬は貰わないで帰宅した。味噌汁を飲むと改善したようなので塩分不足だったのかも知れない…。会計1720円。
12.11.12 K医院へ市の健診を受けに来院する。採血、PSA、眼底写真、胸部レントゲンなどの一通りを受診しインフルエンザの予防接種をした。検査結果は1ヶ月後に知らされる。胃カメラはクリスマス翌日の12/26、9:30に予約した。大腸カメラは今年も受診せず便潜血検査のみにした。高山病予防に効くとされるダイアモックスの処方を依頼したのだが薬局にないので出して貰えなかった。ダイアモックスは血中の酸素量を増やし睡眠時無呼吸などの治療に用いられる薬である。猛暑だった3ヶ月前にオーストリア・スチューバイ・スキーツアー9日間に申し込んだのだが、最近になって3210mの山頂から2300mの間の氷河を滑るのを知り「高山病」が心配になり大慌てした。おまけに「イレウス」の持病があり10月には「不安障害」を発症しているので無事に帰ってこられるか怪しい。せめて家族に迷惑をかけないようにと5000万円の旅行保険に入った。息子にその話をすると呆れていたが、老い先短いのだから幸運を祈って思い残すことなく生きる方がよいとの返事であった。65才を過ぎた頃から途端に病院通いが増え心身ともに思わしくなく一日の有益な活動時間が以前の1/3にも満たなくなってしまった。まるで病院通いのために生きているような気がする。11/6にカルチノイド腫瘍の末期で入院してるスキー仲間の旧友を見舞った。ホスピスに入院しているのかと思ったが古い病院の大部屋の片隅で治療を受けていた。彼は北海道の出身で同じ会社に勤めていた40年位前に富士山を一緒に滑ったことがある。見舞った時は別人のように激痩せしていたが精神的には元気でむしろ私の方が不安障害で落ち込んでいたように思えた。一時間ほど昔話をしたがスキーの話題は全く無くお互いの家族の様子や発病からの経緯や世間話に終始した。自然治癒力による長期延命の話もしたが納得し希望を持ったようであった。私がまだ癌の再発検査続行中の4年前に一度会ったのだが、まさか立場が逆転して再会するとは思いも寄らなかった。明日の11/17にオーストリアに出発するが現地に着いたら酸素ボンベを探し回らなければならない。スキーだけでなくザルツブルグの一日観光もあるのでそれが楽しみである。これが最後の海外スキーになるであろうが無理をしないでノンビリ滑れば不安障害も少しは改善するかも知れないと期待している。会計4890円。
12.12.22 K医院に健診の結果を聞きに行く。先日私が通っている運動教室のお仲間が前立腺ガンになったので暫くお休みすると挨拶にきた。高齢者がまた一人ガンにノミネートされた。12/14に昔仲間のPTAの女性が大腸ガンの手術から無事3年過ぎたので皆でお祝いしたばかりだったのだが…。ガンの話を聞いて不安障害が更に悪化しそうなので翌々日の午後に結果を聞きに行った。結果は悪玉コレテステロールが131と基準値より11高いだけで他に加齢以外の問題はなかった。前立腺ガンのPSAマーカも0.87との安全値であった。不安障害は一般的な検診では何も発見できないようだ。元気な人は病は気からと言うが心の病は曲者で胸が苦しくなったり脱力感がして頭がふらつき自分がまともな人間とは思えない。デパスを飲むと眠くなり寝たきり老人になりそうである。パソコンは未だ何とか操作できるのでボケてはいないようであるが…眠い…。会計380円
12.12.26 K医院で「胃カメラ」を受診する。9時半の予約なので早く始まると思っていたが、既に2名が順番待ちをしていた。一時間近く待って10時過ぎに検査は始まり20分程で無事に終わった。鎮静剤の注射を受けたので不安障害は感じなかった。昨年の今頃はイレウスで市立病院に入院していたが今年は幸い発症しなかった。息子からのメールで私の大腸ガンを切除した執刀医のB医師と腹腔鏡手術の外科学会発表で偶然出会い昼食を共にしたとあった。あれから9年過ぎたが息子も成長したものである。イレウス対策にはラキソベロン相当の緩下剤薬シンラックス錠2.5を毎日3錠飲み食事にも絶えず注意を払っている。完治した訳ではないのでまた何時か看護師Fさんのお世話になるであろう。苦しくなければ入院も…なのだがイレウス管を腸に入れるのは拷問に近く悪くすれば再手術なので恐怖である。今年は新たに不安障害と言う神経症に罹ってしまったが来年には何とか治って欲しいと願っている。今年も一休の狂歌「門松は…の一里塚」を痛感した一年であった。会計1000円 
2013年
13.1.25 F整形外科に来院する。右膝の痛みが2週間しても消えないので心配になり診察してもらった。幸い骨には異常なかったが膝へのヒアルロンサン注射、湿布、飲み薬で治療することになった。原因は加齢による「変形性膝関節症」から生じたもので足に筋肉を付けるための筋トレメニューを貰った。散歩は利き足には筋トレ効果があるが反対側の足には効果が少ないと言われた。横になって片足づつ筋トレすることで両足に均等な負荷がかかり左右均等な脚力が得られると説明された。今後スキーができなくなるのではないかと心配したが痛くなったら中止すればよい程度なので安心した。散歩だけでは両足均等に脚力が付かないのを知って勉強になった。未だ寝たきりにはなりたくないので筋トレしながら足を大切に使っていきたい。治るまで一ヶ月くらい毎週ヒアルロンサン注射に通わなくてはならないので頭痛の種がまた一つ増えてしまった。会計3300円
13.2.1 市立病院に外来受診する。甲状腺腫の検査予約をするため耳鼻咽喉科のT医師に診察してもらった。以前から甲状腺に1cm弱の影があり2年毎にエコーで検査することになっている。今日の触診では問題なく2/25の10:30に予約したエコー検査で異常なければ以後定期検査の必要はないと告げられた。これをクリアすれば心配の種が一つ減ることになる。今日は8時に病院に着いたが待合室で不安障害が強くなりデパスを服用した。この神経症は大腸ガンにまつわる諸々の恐怖から発症したPTSDなのかも知れない。9時過ぎに診察が終わり病院を出て外から外科病棟を見上げた。白壁と白いカーテンが何時も通りの無味乾燥な雰囲気を漂わせていた。昨年はイレウス管入院がなかったから今年も無事に済むようにと祈った。息子がイレウス管挿入は麻酔を使えないので、その苦しさは外科で5番以内に入ると言っていた。看護師のFさんはまだ外科病棟に勤めているだろうかと思いながらバスに乗った。会計210円。
13.2.1 F整形外科医院に再来する。市立病院から帰宅し所用を済ませて出かけた。相変わらずの混みようで2時間待って診療になった。未だ痛みが残っていて2度目のヒアルロン酸注射を膝関節に受けた。筋トレのメニューがレベルアップしたがヒアルロン酸注射の効果は絶大でこれだけでも治るように思えた。長期間効果が持続するそうなので早急に完治するようにと帰宅してから筋トレした。ヒアルロン酸は美容効果が高く女性に人気があるのが分かる気がする。だが注射以外では体内に取り込めないので老化防止策にはならない。会計1700円。
13.2.8 F整形外科に3回目の来院をする。筋トレを指示通りに実行した甲斐があって歩行の痛みは解消した。診察を受け「アルツ」と称するヒアルロン酸を膝間接に注射した。だが未だ少し水が溜まっていると言われた。痛みが無ければ2週間後にまた来院するようにと告げられた。完治したと思いたいのだが軽くつまずいたり捻ったりすると嫌な痛みがあり高齢者が完治を期待するのは無理なのかも知れない。次回来院が2週後になったのでスキーに行くことにして一万円もするスポーツニーガードというサポータを障害保険代わりに通販で注文した。普通に滑るのは問題ないだろうが転倒すれば何が起こるか分からないので不安である。老い先が短いので無理しない範囲でしたいことをする方が気が紛れてよいだろう。不安障害に患ってから何事に寄らず急速に意欲が低下していくのを感じる。病は気からと言われるが心が病んでは身体の疾患は治らない。待合室に座っていると患者の家族が買い物袋に山のような湿布薬を詰め込んでいたが寝たきり老人に貼るのであろうか…。私の症状は湿布薬の効果は気休め程度でヒアルロン酸注射と筋トレの効果が大きい。筋トレができなくなると寝たきり状態になり不安障害が認知症に移行して介護者を困らせることになる。これから先に明るい展望を望むべくもないが尊厳だけは失いたくないと願っている。会計1770円
13.2.22 F整形外科に4回目の来院をする。2/14からスキーに行き3日間滑ったが強力膝サポーターのお陰で幸い患部を傷めることはなかった。スキースクールを受講したのだが幸運にも生徒は私一人で非常に有意義なレッスンであった。講師はスクールの副校長で年配の方であったが不整地の急斜面を無駄な動きのない適度なスピードで滑って見せてくれた。膝を治して少しでもそれに近づきたいものだと感心した。院長に診察を受けたが膝に水が未だ少し溜まっていると言われ4本目のヒアルロン注射を受けた。そして2~3週間後にまた来るようにと告げられた。通常の歩行には問題ないが少し捻ると痛みがあり筋トレを続ければ改善するとの診断であった。だが膝軟骨の磨り減った高齢者が完治を望むのは無理な話であろう。スキーはもう無理とは言われなかったし、これから暖かくなるので散歩の時間を増やして来シーズンもまた滑りに行けるのを期待したい。会計1440円
13.2.22 F整形外科に行った後、K医院に胃カメラ検査の結果を聞きに来院した。胃カメラの結果は検査終了時に知らされるので改めて聞きに行くのを忘れていた。院長に電話を受けたので慌て来たのでしょうと笑われた。今年からK医院も電子化したようで検査結果をパソコンで説明してくれた。胃の内部がディスプレイに写し出されたが、ブツブツがあったり霜降り牛肉のような部分があったりして素人目にはおよそ健康な状態には見えなかった。だがこれらは単なる胃の炎症で精密検査は不要との診断であった。今年に入って既に7回も病院通いをしたが2/25には市立病院で甲状腺のエコー検査を受けなければならない。転ばぬ先の杖でまめに通院することが老人の切ないライフスタイルである。会計0円
13.2.25 市立病院に再来し検査と診察を受けた。2/1に予約した甲状腺腫のエコー検査とその診断を受けるため自宅を8時半に出た。バス停まで徒歩20分、そこからバスに乗って病院まで30分かかるのでバスの待ち時間を含めると1時間近くかかる。時間帯によってはバスの待ち時間は一時間に2本のこともある。予約時間(10:30)に余裕を持って到着するには2時間を見なければならない。余裕を持って早目に出発した時に限ってバスは直ぐ来るもので9時半に病院に到着した。手続きを済ませてエコー検査室の待合椅子に座って検査を待ったが予約時間を30分過ぎて11時少し前に検査が始まった。薄暗い検査ベットに横になると女医さんがブラウン管のディスプレイをジッと見つめながらエコーのプローブで首をユックリ撫でた。上目使いでディスプレイを覗くと縞模様の白黒画像がジワジワと動いて見えた。エコー検査は被曝がなく安心だがアナログ式なので医師の力量が問われるであろう。検査は30分で終了し検査結果の入ったカバンを受け取って耳鼻咽喉科の窓口に提出した。花粉症のシーズンだからか待合室には小中学生もいて込み合っていた。30分待って名前を呼ばれT医師の診察を受けた。デジタル化された画像をパソコン画面で見ながら前回と比べ大きさに変化はないので「甲状腺腫検査終了」との診断で次回は何かあったらまた来るようにと言われた。私の甲状腺腫の大きさは9mmで1cm以下なら問題ないのだそうだ。この1mmの差が5年間変わらないので悪性(ガン)ではないと言うことなのであろう。これで大腸ガンから始まったガン騒動は全て終わり無罪放免となって足かせが外れたことになる。安心したのでT医師にお礼を言って診察室を出た。支払いなどを済ませてバス停に行ったがあいにく発車したばかりであった。寒い中を30分も待たなければならないので病院に戻り待合室の椅子に座った。大勢の患者と医師、看護師が行き来していてFさんに似た人がいたがよく見ると違っていた。ガンは治ってもイレウスの脅威は去っていない、生きている限りはまた駆け込むことになるのかも知れない…。自宅に戻ると午後一時半であったが何故か今日はデパスを飲まなくて済んだ。神経症など他人ごとのように思っていたがこの病気もかなり辛い。しかし心身共にタフな人はスゴイとは思うが無神経な老人にはなりたくない。エコー検査費は意外なほど安価であった。会計1260円。
13.3.25 F整形外科に5回目の来院をする。スキーに行ったり不安障害や花粉症でボンヤリしていたので一ヶ月近く過ぎてしまった。診察で膝は前回診た時より腫れているがスキーが原因だろうと言われ5回目のヒアルロンサン注射を受けた。関節水は前回より少なくよくなっていると言われた。筋トレを続けるようにとの指示だけだったので、次回は何時くればよいかと尋ねると2~3週間後に痛くなったらまた来るようにとのあい昧な返事であった。この注射の効果は2~3週間しか持続しないと言うことなのであろう。ヒアルロンサン注射の関節治療は5回で終了となるのでこれから先何処まで自力回復するのかは不明である。加齢で膝の内側の軟骨が磨り減っているから完治は無理である。スキーで大転倒すればアウトだが今年はもう滑り修めしたし、通常の生活には支障ない程度にまで回復しているからそれなりに用心して過ごすしかない。湿布薬を沢山貰って医院を出ると小雨が降っていた。濡れながら帰宅したが春になったお陰かデパス依存はやや改善されつつある。現在の持病はイレウス、右膝関節症、不眠症、不安障害、花粉症、歯の老化でメタボなどの生活習慣病はない。カミサンはあと数日で定年退職を向かえるので、私も家事その他諸々の雑事の煩わしさから開放される筈である。願わくばこれから新たな病気が発症したり持病が悪化したりしないようにと祈っている。会計1470円。
13.10.1 F眼科に来院。目の痛みが続いているので心配になって眼科で診察してもらった。先に視力検査を受け両目で裸眼0.3、矯正1.2が見え異常なしであった。目が痛くよく見えないのに何故視力があるのか不思議である。次に眼病の診察をしたが目に病気はなく、ドライアイの傾向だがパキシルの影響もあり得るとの診断であった。そしてドライアイ治療のヒアルロンサン入りの点眼薬を2週間分処方されこれで改善しなかったらまた来るようにと言われて医院を出た。白内障や緑内障でなくて助かったが痛み止めの薬も出して欲しかった…。会計600+(薬)2770=3370円。
2014年
14.1.8 K医院で市の健康診断を受診する。インフルエンザの予防接種をし、胸部レントゲン、心電図、聴診、血圧(123)は異常なしであった。便潜血、検尿、眼底写真、PSAを含む血液検査などの結果は一ヶ月後に分かる。胃カメラは1/29に予約した。近頃咳込むので医者に尋ねたがレントゲンでは異常なしと言われた。加齢と共に健康保険証の出番が急増した。「保険証冥土へ旅のパスポート」である。昨年は苦しい年だったから今年は大事ないように祈りたい。会計5900円。
14.1.29 K医院で「胃カメラ」を受診する。朝9時からの予約であったが10時近くなって始まった。新しい看護師さんがもう一年過ぎましたねと言ってくれたのでハアと答えたが覚えていて貰ったので嬉しかった。昨年来の大騒動で胃も相当ダメージを受けただろうと思いながら頭の上に置かれたモニター画面を見つめた。胃壁の色は前回よりピンクぽく健康的に見えた。大量のタン汁が胃に溜まっていてカメラに付いた吸引器でズルズルと吸い上げていた。一昨年あたりから咳込むことが増えたのでそのタンが胃袋に流れ込んだのであろう。検査は順調に進んだが奥の方の胃壁に丸い盛り上がりが見つかり院長が看護師にカンシを取ってと指示したのを聞いて一瞬ドキッとした。恐怖のワイヤーが胃の中に差し込まれ盛り上がった部分を突いていたが柔らかいので大丈夫だと言って組織採取はしなかった。突いた所からは少し出血していたが痛みは全く感じなかった。胃が痛い状態というのはかなり炎症が広がっていることなのであろう。念の為にまた来年も検査して下さいと言われ無事に終了した。タンが出る原因を尋ねたたが特に心配しなくてよいと言われた。加齢が原因と言うことなのであろう。細かい説明は一ヶ月後になるからまた来て下さいと言われて医院をでた。会計1000円。
14.3.26 K医院に健康診断の結果を聞きに行った。結果は悪玉コレステロールが170と高いので食事に注意し運動するようにと言われた。孫の食事で贅沢したからその影響もあろうが乳母車と背負子を使って孫の世話をしたから運動不足は無い筈である。体質と加齢が全ての原因と思われるが開き直ると病気になるから更なる節制を心掛けたい。心身共に全くの虚弱体質だが要精密検査項目はなかったから用心すればあと数年は真ともな生活が送れるだろう。会計230円。
14.4.23 O歯科医院に駆け込む。毎年何度も通院するので歯疾患はここには載せないのだが今回は余りに痛いので書くことにした。この歯は一年前位から時々痛むので診察してもらっていたのだが少し腫れがあるから…との診断で歯茎を歯ブラシでマッサージようにと言われていた。当時はパキシルを服用していたからその副作用だろうと思っていたのだが…。4月21日に一番奥の上の歯がズキズキ痛みだしたのでネットで調べ「ロキソニン」の鎮痛薬を買って飲んだ。薬を飲んでも痛みが治まらないから診察を頼んだのだが21、22日に空きがなく23日まで待つことになった。22日は激痛で一日中憔悴していた。23日はレントゲンを撮り診察台に横になって歯科衛生士が調べたが分からないので医師がバトンタッチして診察すると表面からは見えないが歯茎の深部で歯周病が進行していて麻酔をうっての治療が始まった。麻酔が効くと激痛が嘘のように消えた。レーザーメスらしきもので歯茎を切開して中をゴリゴリ削ってから歯科衛生士にバトンタッチして更に奥の方の歯垢を削り落とした。一時間くらいで治療は終了したが歯周病ポケットは一番深い所で6mmまでにも達していた。これでは定期診察していた意味がないと不満に思ったが痛みが治まったので30日を予約してヤレヤレと医院をでた。しかし帰宅してから間もなく激痛が再発し医師に連絡すると痛みの原因は不明だと言われたので歯の神経も取り除いて欲しいと頼んでカミサンに付き添われタクシーで再来院した。診察時間は終了していたので歯科衛生士は帰り支度をしていた。麻酔注射をうつと痛みは嘘のように消え神経を抜く治療が行われた。一時間位で終了し歯に大きな穴が開いて高さがなくなっていたが歯が割れていないので抜歯せずに治療することになった。鎮痛剤ボルタミン25mgを貰って麻酔が効いている内に急いで帰って少し夕飯を食べて就寝した。医師もこんなに悪化しているとは思わなかったのであろう。会計2030円。
14.4.26 O歯科医院に再来。2日間は鎮痛剤を飲んで痛みも収まっていたが次第に痛みが増してきたので再来した。今日は土曜日で午後からの診療はないが痛いから特別にと言うことである。10年以上のお付き合いだから当然でありここで断られたら即ドクターショッピングに走っただろう。先ず医師が麻酔なしで歯を診療し次に歯科衛生が歯茎のポケットを掃除した。そして自分でポケットを触らないで下さいと言った。23日は歯周病専用の歯ブラシで患部を触ったがポケットは深くブラシが鮮血に染まった。24~25日は出血は収まったが歯の周りにはクレバス状のポケットがバックリと口を開けていた。余り突いたから痛くなったのだろうか…。歯科衛生士は若い女性の職業だから技量が不足するのは止む終えないだろう。中高年の歯科衛生士は就職が難しいとされている。私が知る限りではここの医師の腕は確かである。だが全ての患者を一人で診察するのは無理だとしても歯科衛生士に漫然と定期診察を任せるのは無責任ではないだろうか。歯の疾患は医院のマンガ画に表されるような徐々に進行するものではなく目に見えない状態から急速に進行し痛み感じた時は既に相当悪化しているのが現実である。この大騒動でレントゲンでは歯周病を発見できないのがよく分かった。歯周病は痛みが少なく眼に見え難いから治療が遅れ抜歯される。10年前にも同じ状況に陥り治療したが当初からグラグラしていたので5年後に抜歯した。一番奥の右上なので無くても不自由は感じないが砦を一つ失ったような気分である。今回は激痛のお陰で抜歯の憂き目から逃がれられたようだから取り合えずラッキーである。総括すれば病気が治るのは全て医師の技量と運次第である。何とか痛みは治まったので次回28日を予約し鎮痛剤を貰って医院をでた。会計1070円。
14.4.28 O歯科医院に再来。治癒状況を確認するため鎮痛薬は服用しないで過ごしたがまだ痛みが残っている。今日は医師の診療はなく歯科衛生士がポケットの掃除と消毒をした。痛かったら手を上げて合図して下さいと言いながらポケットの中に先の尖った棒を入れてゴリゴリと歯垢を削りだした。麻酔なしで深さ6mmもある新しいポケットを突つくのだから痛くない訳はないが痛いと言ったら治療が進まないし見っとも無いから涙をにじませながら頑張った。歯科衛生士はこともなげにゴリゴリと削り続けたからサディストではないかと疑った。30分程で終了し涙を拭きながら椅子を離れた。次回30日は医師の診療があると言われて会計になった。削ったお陰で痛みが和らいだから歯垢の掃除と歯肉の消毒も重要な治療である。治療は面倒だから抜歯して高額なインプラントを入ればよいと思うのは愚の骨頂である。念のための鎮痛剤を貰って帰宅した。会計1070円。
14.4.30 O歯科医院に再来。痛みは全く無いとは言えないが気にならいないまでに回復した。今日は歯科衛生士の歯周病ポケットの掃除と消毒から始まった。何時ものように歯肉ポケットに先の尖った棒を突っ込んで歯をガリゴリと削り更に歯肉の病巣患部をえぐり取った。涙が出るほど痛かったが早く終わって欲しいと祈りながら手を握りしめて頑張った。次に医師が歯の神経根にドリルの歯の様なものを押し込んでボーリングしながらグリグリと削り進んだ。普通は二本だがこの歯には三本の神経根があると言われその分時間は掛かったが三本あるからグラグラしないのであろう。ここは先日神経を殺してあるので痛みは少ないがそれでも緊張の連続である。ボーリングが終わると神経根の穴に詰め物をして治療は一時間程で終了した。医師に抜歯しなくてよいのかと質問すると抜歯しないで治療すると言われたのでヤレヤレと胸を撫で下ろした。奥歯のインプラントは一本40万円が相場だから100万円以上の価値がある。前歯に至っては指一本分の価値があるだろう。次回は2週間後の5/16を予約して医院を出た。会計1070円。
14.5.16 O歯科医院に再来。歯周ポケットの掃除と神経根のボーリングをして穴に詰め物を入れた。痛みはないので次回様子見して治療すると言われ5/26を予約しレントゲンを撮って医院を出た。会計2380円。
14.5.26 O歯科医院に再来。歯周ポケットの治療が不十分だったのか医師が歯の周囲をドリルでガリガリと深く削り込んだ。更に歯科衛生士がポケットに金属棒を差し込んで患部をゴリゴリと削ぎ落として終了した。歯神経がないので耐えられないような痛みは無かったがパニック障害が再発しないか不安であった。次回は型取りして金冠を被せることになった。高齢者の歯は根元から虫歯が進行し抜歯に至るとラジオで聞いたが今回は辛うじてセーフだった。この歳で金冠は必要ないと思ったがあの痛さを思い返すと7万5千円は惜しくない。今日は何故か治療費が安かったが金冠代金に含まれているのであろう。次回6/9を予約して医院を出た。会計140円。
14.6.9 O歯科医院に再来。医師が歯の内と周りをグラインダーでガリガリ削り歯科衛生士が歯形を取って終了した。新しい衛生士が補助をしていたから誰か辞めたのであろう。5人もの歯科衛生士を抱えて医師1人では大雑把な治療しかできないと思うが待合室には大勢の患者が座っていた。カミサンも当院に長年通っていたが歯の性質が悪いのか、何時までたっても治癒しないので友人の勧める都内の歯科に出向いた。その歯科は医師と歯科衛生士の二人で治療していてカミサンを一時間近く診てくれるから喜んでいたのだが自由診療らしく金冠一個が13万円で2本交換するので26万円の出費になる。歯痛の辛さは寿命の縮む思いがして耐えられないから高額でも治れば安いものである。私の場合は通常の治療で終わるようだが、あと十年も生きられないのに金冠の7万5千円は無駄な出費のような気がする。会計920円。この料金なら3分診療も止む終えないだろう。
14.6.20 O歯科医院に再来。医師と歯科衛生士が二人がかりで歯の穴に金属のコア(土台)を入れクラウン(被せ物)を作るための歯型を取った。ここには金のクラウンが入るので次回は7万5千円を支払うことになる。5年間の保証なのでその価値はあるだろう。これで歯の詰め物とクラウンは全てゴールドになった。金は綺麗なだけでなく硬さが歯に近いので長持ちするとされている。娘が子供の頃には詰め物を全て金で治療したが外れたり虫歯になったりで今は全部保険適用の金属になってしまったらしい。…なので金冠は贅沢な装飾品と思うのが正しいのであろう。抜歯したのは一番奥の一本だけで前歯は自前だからお迎えまでこの状態でいて欲しいものである。ストレス解消用にキシリトールガム(980円)を購入した。会計1120円。
14.6.24 M皮膚科に来院。昨日息子の家に出かけたが会話の中で父さんの大腸ガンは進行の早いタイプで助かったのは幸運だと聞かされた。近頃身近な医師にガンにかかった人が2名もいて人間の運命は分からないものだと真顔で話していた。そのこともあって昔から右脇の下にあったイボが大きくなったようなので心配になり皮膚科を受診した。3年前にこのクリニックで首筋に発症した老人性イボの治療をしてもらった。美人の女医さんが患部を診てこれは「老人性のイボ」だが念のため切除して病理検査をした方がよいとの診断であった。いくらお迎えが近いと言っても放置しておけばまた大騒動になるから切除を依頼した。さらに右目の下にできた黒子のようなものが最近大きくなったのでこれも診察して貰った。これは先回と同様の単純な老人性イボでその隣にもピンク色のものがあった。顔の2つの老人性イボは液体窒素を吹きかけ治療したが治癒までには隔週で3回位通院する。脇の下のイボは切除するので手術の同意書にサインし採血した。看護師さんが7ミリあるので検査した方が良いと言っていた。手術は局所麻酔の日帰りで行うから7/9の16:30を予約して医院を出た。このイボは皮膚ガンであってもお先が知れてるから差ほど気にならないし、顔のイボは一ヶ月位の通院で治るからラッキーであった。老人性イボは良性の腫瘍だが心身共に老化して行くのをまた実感した。治療費は総額で3万円位らしい。会計5444円。
14.7.8 M皮膚科に再来。顔の老人性イボに液体窒素を吹きかけ2週間後にまた診察を受ける。黒子のようなイボは4日目に剥がれ落ちたがピンク色のはしぶとく残っている。術前の診察で血液検査結果の説明を受け感染症を含め全て問題なかった。何時ものようにコレステロールは少し高かったが存命に影響はない。脇の下に出来た「皮膚腫瘍」の切除手術は簡素な手術台に乗り局部麻酔をして痛みなく15分位の短時間で終わった。切除した腫瘍は組織検査に回される。大きさは一センチ弱の塊で皮膚の奥まで深くえぐり取っていた。二日後に消毒して一週間後に抜糸し病理検査の結果が告げられる。例えガンであっても老い先短いから不安はないが痛い苦しいのだけは御免被りたい。診察と手術は40分程で終わり帰宅したが薬局に寄るのを忘れてしまった。夕刻で雨が降り出したから薬局には行かなかった。会計19190円。
14.7.12 O歯科医院とM皮膚科に再来。歯に金のクラウンを被せ噛み合わせの調整をした。少し当り気味にして慣れさせるのだが食事をすると目が飛び出るほど痛く先行き不安である。次回7/25の再来日までに痛みが治まるのを祈っている。会計76340円。帰宅途中にM皮膚科に立ち寄り診察を受けた。突然の大雨でびしょ濡れになったが診察待ちの患者がいなかったので直ぐに呼ばれた。診察は問題なく絆創膏を張り替えて終了した。今日からシャワーを浴びて石鹸を泡立て患部を洗うようにと指示された。手術当日もシャワーを浴び薬も飲まなかったが全く痛くもかゆくもなかった。大腸ガンの開腹手術に比べればこの位はかすり傷と同じである。次回7/16に抜糸して組織検査の結果を聞く。顔のイボは目立たなくなった。スキーの日焼けで顔中シミだらけだが老人顔になるのは避けたい。2週間後に再診察を受ける。会計740円。
14.7.16 M皮膚科に再来。形成外科の組織検査結果に問題はなく、抜糸して皮膚腫瘍の治療は終了した。もしガンだったら市立病院に紹介状を持参することになるから無事に終わってホットした。同年齢の旧友が末期ガンになったとのメールが来たが次は自分の番かも知れない。ガンにかかったことのない者は普段他人事のように思っていて、ある日突然「何で俺が!」と絶句し「末期!」と宣告され更に絶望する。後悔先に立たずで気になったら即診察を受けるのが良策である。顔の液体窒素治療はまだ継続する。歳を取れば治療費がかさむが老人は病気と共存しているのだから止む終えない。薬局に行かずに済んだから薬代分が浮いた。会計360円。
14.7.23 M皮膚科に再来。老人性イボの診察を受けたが未だ少し凸凹が残っているので治療続行になった。患部に液体窒素をスプレーした瞬間に鋭い痛みが走るからそれなりの覚悟がいる。患部より一回り広めにスプレーするのでその部分は茶色のシミになるが4日位過ぎるとシミと凸凹はカサブタになって落ちる。若い女性のシミとイボはレーザーで治療するそうだが保険適用ではないらしい。怪しい黒子やイボはレーザー治療する前に組織検査した方がよいと看護師さんが言っていた。どんなに小さくてもガンは侮れない。次回は2週間後に来院する。会計860円。
14.7.25 O歯科に再来。金冠を被せた歯は痛みが無くなってホットした。この2ヶ月近く離脱症状軽減の為にガムを噛んでいたら右上の前から四番目の詰め物が外れてしまった。…なので今日はこの治療をすることになった。外れた詰め物を持参したが虫歯も少し進行しているので一回り大きく削り直すことになった。麻酔を射ってドリルでガラガラ削って歯型を取って次回詰め物を入れるが神経を抜かなかったから軽症である。ここも金を使うので次回8/11に32400円支払う。毎週のように歯科と皮膚科に通っているが精神科よりは全然気楽である。ガンの末期治療や精神科は明日への希望がないからご免被りたい。会計310円。
14.8.6 M皮膚科に再来。老人性イボの診察を受ける。今日の担当医は一番初めに診察してくれた美人の女医さんだった。このクリニックには一般皮膚科、美容皮膚科、痛みの科があり何時も老若男女で混み合っている。医師も男女大勢いて担当医は毎回変わるが診察室が4~5室あるので待ち時間が少なくて助かる。ピンク色のイボが未だ取り切れていないので今回もスプレーを吹きかけて治療した。他に気になる所はありませんかと聞かれたので取り合えず有りませんと答えたら笑っていた。顔中シミだらけだから何処がイボなのか分からない。次回また来て下さいと言わなかったから今回で終了なのであろう。手術を含め6回通院し一ヶ月程かかったが皮膚ガンでなくてよかった。会計860円。
14.8.11 O歯科に再来。右上の前から四番目の歯に金のインレー(詰め物)を詰めた。治療費は金のクラウン(被せもの)の半額(32400円)である。更に同じ歯の根元に剥がれたレジン(プラスチック)を貼り付けて治療は終了した。クラウンとインレーは全て高額の金だがお迎えまでの十年足らずの間持てば安いものである。無治療の歯は全くないが抜歯したのは一本だけだから日々のお手入れの賜物である。抜けた一本は大腸ガンと同じ頃に歯周病になり5年後にグラ付きが大きくなり抜歯した。ガンの悪霊と共に抜け落ちたのであろう。右上の一番奥の歯なので不自由は感じない。子供の頃は歯の手入れを怠って何度も虫歯で泣いたが抜歯はしなかった。抜歯の原因の多くは加齢による歯周病とヤブ医者との遭遇である。就寝時に歯を噛み締めていると言われマウスピースを作るので歯型を取った。まともな精神状態で寝ているとは思えないから指示に従った。次回は8/20を予約した。4/23の歯痛から始まって4ヶ月間に11回も通院した…。歳と共に病院通いが急激に増えるから田舎暮らしなどはとても考えられない。会計32400円+1750円=34150円。
14.8.20 O歯科に再来。予約が3時半だったので光化学スモック注意報が出ているなかを一時間もかけ汗だくで医院に着いた。診療台に座ると歯科衛生士がその後の様子を尋ね完成したマウスピースをくわえさせて「これで終了です」と言った。次回の予約を聞かれたら暑いので断ろうと思っていたからヤレヤレと安堵した。次回は年末に検診に来て下さいと言われて終了した。しかし会計が驚きの5090円と聞いてビックリした。値段相応の価値があればいいのだが…。会計5090円。
14.11.10 K医院で健康診断を受診する。検査内容はPSAマーカ、血液採取、生化学的検査(便潜血等)、眼底カメラ撮影、肺炎ワクチン接種である。検査結果は12/末に知らされる。今年から高齢者に肺炎ワクチンが追加されたが4730円と高額である。任意接種で5年間有効だからその価値はありそうだ。胃カメラは来年1/7の予約になった。評判がいいのか当医院の胃カメラは毎年混んでいる。来年は70歳になり後期高齢者への仲間入りが近い。何をするにも余命を考慮して不必要な出費を控えるようにしている。会計5840円。
2015年
15.1.7 K医院で「胃カメラ」検査を受ける。何時ものように上目越しにモニターを眺めたが以前より胃壁はピンク色をしていて健康そうであった。だが形状はグニャグニャで全てポリープの様に見えた。組織採取のワイヤーが入れられるのでは?とハラハラドキドキの5分間であったが無事に終わって今年一年間は胃ガンの心配はしなくてよい。続いて昨年末に受けた健康診断の結果を聞いたがコレステロールが高い以外は正常であった。食事療法で様子見することになったが牛乳も飲んで粗食だからこれ以上改善する余地はない。ひらき直ると脳卒中になって半身不随は悲劇だから散歩して運動不足を解消しょうと思う。全て問題なく終わればよかったのだが便潜血で引っかかって今月末に大腸カメラを受けることになってしまった。あと5年で末期高齢者だからガンになっても困らないが医療費の出費が頭痛の種である。自分が死んでも可愛い孫のDNAの中で生き続けるのだから昔とは異なり今は何の不安もない。大腸カメラの感染症採血をし、今週末にスキーに行くのでインフルエンザの予防接種を受けて帰宅した。会計3450円。
15.2.4 K医院で大腸カメラの受診説明を聞く。ベンゾジアゼピン離脱症が改善してヤレヤレと思っていたら便潜血検査に引っ掛かって大腸カメラをうける羽目になった。カメラは5年前の10.12.3に受けた。その後は便潜血検査で済ませていたから新たに大腸ガンが発症した可能性もある。ポリープなら内視鏡で切除すると言われた。12年前は開腹手術で大腸を30センチ近く切除したから大事であった。2回目の大腸ガン治療記はもうご免被りたい。先月の胃カメラ検査の結果は胃が荒れているだけでガンはなかった。あと5年で末期(後期)高齢者になるがこの先何の病気にかかるのだろうか。家族に迷惑をかけないで静かに逝きたいと願う昨今である。検査食を貰って帰ったが当日は自宅で下剤を飲んで午後1時半に医院に行けばよい。自宅のトイレの方が安心して用をたせるから楽である。医院まで10分弱で高齢者は町中に住むと便利である。村人が電車やバスに乗り一日かけて病院に行く話をよく聞くが持病のある人や高齢者には田舎暮らしは不適である。会計1936円。
15.2.7 K医院で「大腸カメラ」検査を受ける。前日の朝から検査食を3食たべ、夕方8時に下剤のマグコロールとブルセニドを飲んだ。夜十時ごろ大量の下痢が出て大便の排せつは完了した。当日は自宅で経口腸管洗浄剤ムーベンを2リットルの水に溶かし朝8時から飲み始め11時に飲み終えた。途中水状の便が何回も出て最後は水だけになった。体重を量ったら53.7Kgだったから全ウンコの重さは1Kgである。午後一時半に検査承諾書と入院に備えての衣類と洗面用具を持って医院に着いた。体重血圧などを測りベッドで横になって点滴をした。検査人数は4人で順番は一番最後であった。待ち時間は思いの他短く3時半には検査が始まった。モニターが目の前にあったのでこれで様子が眺められると思ったが、鎮静剤のセルシンを注射されると直ぐ寝てしまい目が覚めたらベッドにいた。看護師が問題なかったから来週詳細結果を聞きに来て下さいと言った。未だ鎮静剤が効いていたのでフラフラしながら4時半に自宅へ戻って食事をした。今回ポリープ切除で入院した人は誰もいなかったからガンになる人は余程不運な人なのであろう。12年前は不運だったがこれで2~3年は安心である。会計5200円。
15.2.19 K医院で「大腸カメラ」検査結果を聞く。院長が大腸内の写真を見せながら説明し結果は正常範囲内であった。大腸カメラは2年に一度検査すればよく便潜血は一回に二日分を検査するが二日とも潜血があった場合が危険で一日だけなら問題ないそうだ。今回は一日分だけ潜血有りだったが、大腸ガンを発症したときは2日共潜血有りだった。おまけに2年間も同じ状態で3年目の潜血で心配になって自らバリュウムの注腸検査を依頼したら大腸カメラが通らない程ガンが肥大していた。あれから12年過ぎたがまだ生きているので人の運命とは分からないものである。今年の3月で70歳になり今後は何時死んでも不思議はないが病院選びは慎重にしたい。年老いて苦しむのはもうご免である。会計390円。
15.9.18【帯状疱疹 発症】M皮膚科に帯状疱疹の治療を受ける。3~4日前から右腰回りの広範囲に湿疹ができ毛虫に刺された思っていたが、余り酷いので診察を受けると帯状疱疹との診断で点滴注射を受けた。抗ヘルペスウイルス剤「ファムビル錠250mg」痛み止め「カロナール錠200」塗り薬「アズノール軟膏」を処方されたが3~4日間は痒いのと激痛で「カロナール錠」を飲み切ってしまった。昨年歯痛で使った「ロキソニン」が残っていたので服用すると痛みが治まった。歯痛には効かなかったが帯状疱疹の痛みにはよく効く。帯状疱疹は赤い大小の水泡が右側腰部に無数に広がり見るも無残な状態である。「アズノール軟膏」を塗りタオルで覆って寝たが寝返りのたびに患部が擦れて水泡が破れ痒い痛いで悲惨だった。ようやくベンゾジアゼピン中毒から離脱しかかったのにこの災難とは「全くついてない」と我が身の不運を嘆くばかりである。会計2540+3990=6530円
15.9.25 M皮膚科に再来。「帯状疱疹」のウイルスを除去薬「ファムビル錠250mg」を6日分飲み終えた辺りから水泡は消えだし医師が診察した時はかさぶた状になっていた。一応治ったと言うことなのか「10日後にまた来ますか?」と聞かれたから「はい」と答えた。痛み止めは「ロキソニン」がよく効くと告げると「そうですか」と言って1日3回の10日分を処方してくれた。何だかよく分からない若い女医さんだったが可愛かったし治まって来たのでマアよしである。かさぶたは徐々にはがれているが悲惨な状況に変わりはない。痒くないが右脇から腰にかけてチクチクと不快な痛みがはしり「ロキソニン」を飲まないととても耐えられない。10日分出されたから10日間は痛いと言うことなのだろう。帯状疱疹の痛みは水泡に沿って発生すると思っていたが左右無関係に皮膚全体が痛くなる。水泡が出始める2~3日前からチクチクと痛くなり筋肉痛と間違え易い。そして突然真っ赤な湿疹と水疱が右腰全体に広がって眼を覆うような惨状になった。更に痒さと激痛に責め苛まれ痛み止めと睡眠薬の「ベルソラム」が無かったら頭がおかしくなったかも知れない。嘆いても仕方ないが苦痛は心身の老化を加速させる。腸閉塞よりはマシだが今年も辛い病気に遭遇してしまった。会計400+410=810円。
15.10.6 M皮膚科に再来。10日間過ぎて水泡は治まってきたが今度は就寝時の痒みが酷くなった。痒くて寝られないと女医さんに告げると疱疹の状態を見て痒み止めの「オロパタジン」と「サレックス軟膏」を2週間分処方され経過観察になった。一応治ってきているようだが「帯状疱疹」がこんなに辛く長引く病気だとは思いもしなかった。日中はピリピリと不快な痛みが走り寝ようとすると痒くてたまらない。痛み止めの薬は効くが痒み止めは殆ど効かないから睡眠薬がないと寝られない。薬は2週間分処方されたからそれまで治らないということなのであろう。今年の夏もまた酷いダメージを受けてしまった。夏を迎える度に何かしらの病気に罹りあざ笑うように老化が加速していく。長生きするのも楽ではない。会計410+650=1060円。
15.10.13 M皮膚科に再来。痒みは2~3日で治まったのだが今度は痛みが再発し痛み止めを飲まないと眠れない。「ロキソニン」が残り3個になってしまったので診察を受けた。薬を一週間分処方して貰ったからこれで終わりかと思ったら次週10/19に痛みの専門医に診てもらうことになった。後遺症の「帯状疱疹後神経痛」の疑いありなのだろう。また負のスパイラルが始まったようだが「ついてない」と諦めるしかない。会計400+410=810円
15.10.19 M皮膚科に再来。痛みの専門医に診てもらった。あれから1~2日で痛みが治まったので今度こそお終いだろうと思っていたら医師が瘡蓋(かさぶた)を見て「痛みが治まって幸運でしたね」と言った。高齢者は抗ウイルス薬の投与が遅れ重症化する場合が多いのだそうだ。発疹が出てから3~4日後に行ったのだが点滴と抗ヘルペスウイルス剤「ファムビル錠250mg」を真面目に飲んだのが効いたのだろうか。未だ瘡蓋も少し残っているし4週間近く痛かったからとても幸運だとは思えないのだが…。痒いのは皮膚の炎症によるものだが痛みはウイルスが神経を破壊して起こるので、もし痛みが増して来るようだと「帯状疱疹後神経痛」になりロキソニンが効かず重症化すると告げられた。簡単に治ると思っていたが「そうは問屋が卸さない」らしいのでゾッとした。患部を冷やさないで養生するようにと言われ次回11/2の診察を予約した。もう痛いのは勘弁して欲しい…。会計460円
15.11.2 M皮膚科に行く予定だったが孫が遊びに来たので予約日を変更しようと電話した。容体を聞かれたので痛くないと答えるともし痛くなったら再来するようにとの返事で「帯状疱疹は経過観察」になった。瘡蓋(かさぶた)は無くなったが右腰周りの皮膚が点々と茶色に変色し、とても銭湯には行けない無残な傷痕が残っている。30年前に罹った椎間板ヘルニアからの坐骨神経痛と同位置なのでここにウイルスが潜んでいたのだろう。三年前の今頃はオーストリアの氷河を滑っていたから釣瓶(つるべ)落としで老化が加速している。オムロンの低周波治療器を使うと心地よいので毎晩使っている。「2023.7.25 完治確認」
15.9.9 O歯科医院で「歯周ポケット」を診察してもらう。8月上旬頃から 昨年4.23に治療した左上の一番奥歯が痛みだし一か月必死で磨いても完治しない。歯科衛生士が診察したが余り明確な説明は無く次回9/24を予約して終了した。会計1670円
15.9.24 O歯科医院で歯科衛生士がレントゲンとデジカメで全歯の写真を撮った。更に針で全歯のポケットの深さを測り10分くらいチクチクと刺され冷や汗をかいた。問題の奥歯は周囲に6ミリのポケットがあり中程度の歯周病と言われた。昨年も6ミリだったからポケットは治癒しないのかと質問したが概ねそうらしい。6ミリの深さは自分で磨いても歯垢は取れないから次回は麻酔して削り取ると言われた。要するに一度歯周ポケットが深くなると歯科でクリーニングしないと綺麗にならないと言うことである。半年に一回クリーニングして何年持つのか分からないが一番奥なので抜歯しても不自由はない。下の奥歯の一部にも6ミリのポケットがあった。幸い他の歯にポケットはないからお迎えまで入れ歯にならなくてよさそうである。歯周病は気が付かないうちに進行し突然痛くなる。毎年診てもらっていたが右上の奥歯は見落とされたのか進行が速かったのか不明だが、痛くなって治療したが治癒せず5年後に抜歯した。食後は常にブラウンの電動歯ブラシで磨いているが加齢には勝てない。次回は10/6を予約した。会計1500円。
15.10.6 O歯科医院で医師が歯周ポケットの周りに麻酔を打ち歯科衛生士がポケットの歯垢をガリガリと削り取った。治療が終わるとブラッシングでは治らなかった痛みが消えた。深いポケットの歯垢は歯医者に行かないと落とせないからこれからは数か月毎に通うことになる。冬の訪れも近いが来年の夏は如何なる病気が待ち構えているのだろうか。次回10/19を予約した。会計1410円。
15.10.19 O歯科医院で経過観察は順調だったが奥歯2本の被せものが劣化しているので治療した方がいいと言われた。2本だと16万円もするから以前なら様子見なのだがまた痛くなったら怖いので即「お願いします」と言った。老い先短い身でそんなにお金をかける必要もないがもう痛いのだけは耐えられない。会計810円。
15.10.28 O歯科医院で10年以上前に治療した歯の被せ物をガリガリと削った。モニター画面を見せて隣の歯も虫が喰ってるのでこれも治療することになった。この歯は5年位前に治療したのだが加齢と共にあれもこれも老化が急速に進行している。これで治療費は24万円になるが未だ5年位は存命だろうし入れ歯にならなくて助かった。被せ物を外した歯には銀色の金属が埋め込まれていたが治療の必要はないようでこれを土台にして新しい金冠を被せる。外した金冠は袋に入れて渡してくれたが10年以上経っていても綺麗な金色をしていた。金冠だけは老化せず永遠の輝きを保っている。会計730円。
15.10.29 O歯科医院に再来。今朝、追加治療する歯の詰め物がポロリと外れてしまった。鏡で穴をのぞくと中は真っ黒だが未だ痛くないから早く見つかってよかった。医師が歯茎に麻酔して歯の汚れを削り形取りし外れた歯は取り敢えずそのまま接着した。次回11/6に金冠を付ける。会計490円。
15.11.6 O歯科医院で右下の奥歯に金冠を被せた。あと2本被せるのだが11月中には終わるらしい。この歳で高額な金冠は勿体ないのだが孫が口の中をのぞいて「スゴイ爺ちゃんの歯は光ってる」の声を聞くとその価値十分ある。孫も食後歯を磨く習慣ができて「ユウトの歯もキレイでしょ」っと見せてくれる。会計610+22,6800(金冠3本)=227,410円。
15.11.9 O歯科医院で右下最奥歯の詰め物を外し形取りをして仮歯を付けた。次回11/16と11/17を予約した。会計800円
15.11.10 K医院で市の健康診断を受診する。インフルエンザの予防接種、胸部レントゲン、眼底写真を撮影した。心電図、聴診、血圧(126)は異常なしであった。便潜血、PSAを含む血液検査などの結果は一ヶ月後に分かる。胃カメラは12/16に予約した。検尿の蛋白が×で朝一の小水を持って来るように言われた。何事もないの祈りながら11/12に便と尿を持っていった。何かあって当然の年齢だから仕方ないが医療費が掛からないお迎えを願っている。会計1,760円。
15.11.16 O歯科医院で右下最奥歯に新しい金冠を被せた。会計950円。
15.11.17 O歯科医院で右上最奥歯の古い金冠を外した。歯茎の腫れが治まるまで一週間待ってから形取りする。ここは一番大切な奥歯だが状態はよくないらしい。会計630円。
15.11.25 O歯科医院で右上最奥歯の形取りをした。会計360円。
15.11.2 O歯科医院で右上最奥歯に新しい金冠を被せた。会計290円。
15.12.5 O歯科医院に駆け込む。右下奥から3本辺りがお湯と水にしみて痛くなった。原因不明と言われたが痛いのでこの歯の神経を抜いてもらった。麻酔が効いているので明日にならないと結果は分からないが治るのを祈るしかない。ここも75000円かかるが兎にも角にも痛いのはもうご免である。幸い二日後に痛みは治まった。全歯弱ってモグラたたき状態にあるが、これまで抜歯したのは一本だけだからラッキーである。会計1,460円。
15.12.14 O歯科医院で痛かった歯の神経穴を清掃して薬を詰めた。次回12/18に形取りして年明けに金冠を被せる。また75000円の出費だが痛くなければ幾ら掛かってもいい。金510円。
15.12.16 K医院で「胃カメラ検査」を受け異常なしだった。今年も色々あったが無事に一年過ぎた。先月の健診結果は「腎臓機能に軽度の異常を認めます」であった。医師に原因を尋ねたが分からないと言われた。母親が腎臓が弱かったから遺伝なのかも知れない。便潜血がまた陽性だった。大腸カメラをしてからまだ10ヶ月しか過ぎていないので大腸ガンではないと言われた。ガンでなければ大腸カメラはパスである。その他は問題なかったがジワジワとお迎えが近ずいている。会計240円。
15.12.18 O歯科医院で神経穴を再度清掃して薬を詰めた。会計850円。
15.12.22 O歯科医院で歯を削り形取りした。来年1/12に金冠を被せる。今年は交換を含め金冠を4本被せ約30万円を出費した。歯の治療費は健康維持の保険だからケチれない。これで介護状態になっても安心できる。会計490円。
2016年
16.1.12 O歯科医院で金冠を被せた。まだ怪しげな歯が数本残っているがお迎えまでとの兼ね合いだろう。次回経過診察に1/22を予約した。会計610+75600=76210円。
16.1.22 O歯科医院で歯をクリーニングして終了。15.9.9の歯痛から始まり5ヶ月もかかったが一応終息した。次回2ヶ月後にメンテナンスしますと言われた。お迎えまで入れ歯にならないように努力したい。これからも孫用に買ったデンチャリが重宝する。会計90円。
16.2.12 T医院で尿検査をした。昨年12/16 の健診で尿蛋白が(±)の偽陽性だったので泌尿器で再検査を受けた。2ヶ月過ぎても(±)なので採血して2/19にエコーを受けることになった。腎臓機能は悪化すると薬では治療できないが今の状態なら回復の見込みがあると言われた。肝機能と血圧が正常だから遺伝なのであろう。人工透析にならないようにと祈りながら帰った。会計2600円。
16.2.19 T医院でエコー検査をした。腎臓、膀胱、尿蛋白(血液検査)は正常だったがクレアチニンが正常値を外れたので4月に再検査する。クレアチニン 0.99(H26)→1.10(H27)→1.02(H28)。eGFRはクレアチニンと年齢性別から算出される値である。eGFR57.9(H26)→51.6(H27)→55.9(H28)。正常値はクレアチニン<1 eGFR>60 。eGFR<15なら末期腎不全で透析治療か移植になる。治療薬はなく食事と運動で現状維持しながらお迎えまで重症にならないように祈るだけである。クレアチニンは寿命マーカーだろう。会計1210円。 
16.3.17 K医院で胃カメラ検査の結果を聞いた。前年通り胃に荒れはあるが食道、十二指腸共に異常なしであった。昨年の12/16の便潜血で×だったので大腸カメラの検査を勧められたがその十ヶ月まえのカメラで異常なしだったから再度の便潜血検査を依頼した。医師は体調の良い時に検便するようにと言って容器を出してくれた。十二年前にこの医院にかかっていれば大腸がんが早期に発見できたかも知れない。この歳まで生き延びたのは神のご加護か運命なのか分からないがお釣りで生きているのは間違いない。会計260円。
16.4.15 T医院で採血と検尿をした。来週腎機能の検査結果が出るがたとえ悪くても治療方はないから余命宣告を受けるのに等しい。会計1590円
16.4.15 K医院で検便結果を聞く。幸い便潜血は無かったからホッとした。精密検査ではないから良い方法とは思えないが大腸カメラは苦痛だし年末に再度便潜血検査すれば問題ないだろう。人には寿命があるから何時までも生き続けたいと思うのはボケている証拠である。だが苦痛に責め苛まれながらお迎えを向かえるのだけはご免被りたい。会計650円
16.5.6 T医院で腎機能の検査結果を聞く。検尿の総蛋白(正常値8.2以下)は7.3で正常だった。クレアチニン(正常値1以下)1.01、eGFR(正常値60以上)56.5で少し外れていたが問題ないと告げられた。(65歳以上の高齢者において軽度の腎機能低下は死亡リスクにならずeGFRが44 以下では死亡リスクを高めるとされている。)水を沢山飲むようにと指示され次回は半年後に再検査で終了した。亜麻仁油を2ヶ月飲み続けたお蔭なのか貧血が正常になっていた。悪玉コレステロールは160で正常値より21オーバーしていたから亜麻仁油に劇的な効果は無かった。その他は問題無しだったがボケの方は定かで無い。歯は定期メンテナンスで通院中である。連休に小1の孫と遊んだがホッペを合わせてスリスリしてくれたから老いて妖怪化していない。お迎えの寸前まで孫と元気に遊べるのが願いである。会計260円
16.11.8 K医院で市の健康診断を受診する。インフルエンザの予防接種、胸部レントゲン、眼底写真撮影、心電図、聴診、血圧、検尿、便潜血、PSAを含む血液検査などの結果は一ヶ月後に分かる。胃カメラは17.1.18に予約した。家に帰るとさいたま市公営墓地の当選通知が来ていた。抽選倍率は5倍だから近年稀に見るラッキーで大喜びした。茨木県取手市にも墓はあるのだが遠く辺ぴな場所で嫌だったからこれで何時死んでも安心である。会計2,370円。
16.11.17 F眼科で診察を受けた。遠近両用メガネが見え難くなり病気を調べてもらった。13/10/1にパキシルの副作用で眼が痛み診察を受けたがパキシルは2年半前に止めている。検眼値は左0.2右0.3で4年後の運転免許更新は要眼鏡だろう。白内障などの疾患はないがドライアイ気味なのでヒアルロンサン入りの点眼薬を処方してもらった。ドライアイは加齢とパソコンの見過ぎでもう治らないから薬局には行かなかった。遠視の傾向があり眼鏡をかけるようにと医師に言われたので作り換えることにした。今の眼鏡はパソコン用老眼が3年前で遠近両用が5年前に作ったので潮時である。パソコン用老眼鏡はコダック社製のネオコントラストレンズを使うので遠近両用と合わせ15万円もするから息子にクリスマスプレゼントしてもらう。あと5年後はもう眼鏡の作り換えは不要かも…。会計1770円。
16.12.19 F眼科で診察を受けた。右の白目が赤くなり二週間経っても治らないので心配になり診てもらった。5年前の12/1/6にも結膜下出血になったが一週間で完治している。眼圧検査のあと診察を受けたが以前同様の結膜下出血との診断でそのうち治るから治療の必要は無いと言われた。以前と違って白目に小さな盛り上がりがあり余計に心配したがそれも暫くすれば治るそうだ。長い場合は1~2ヶ月もかかるらしい。白目のポリープから出血しているのでは無いかと心配したが何でもなくてよかった。結膜下出血の原因はハッキリ分かって無いが寒い風に当ると発症するらしい。前回も冬だったからそうなのだろう。会計1300円。
2017年
17.1.18 K医院で「胃カメラ」検査を受けた。今回はモニター画面が上に向いていたのでライブが見られなかった。検査は胃の荒れだけで無事終了した。ピロリ菌がいなければガンや潰瘍は発症しないとされるが食道ガンは増えるとの説もあるから検査は受けた方がよいだろう。昨年末の健診結果を聞いたが再検査の必要なしとの所見だった。面倒な大腸カメラ検査を免れて安堵した。身長が163センチで一年間で1センチも縮んだ。若いころは167センチあったのに…。悪玉コレステロール150、慢性腎炎eGFR53.6で昨年に比べ改善されていないから健康食品の亜麻仁油は効かないようだ。結膜下出血と白内障の眼の眩しさは今も治っていない。医院を出る前に自動血圧計で測ると125だった。会計0円。
17.4.3 K医院で「胃カメラ」検査の結果を聞いた。胃カメラの結果を聞きに来るようにと連絡があったので来院した。写真を見ると胃壁はただれた様に不健康な様相を呈していたが、悪いものはないから定期的に検査を受けるようにと告げられた。アルコールは控える様にと言われたがここ数年飲んでいないし食事も腹八分目だから加齢が原因なのだろう。自動血圧計で測ると124だった。会計0円。なぜ無料なのか不明だが老人から医療費を徴収し子供の貧困支援に回した方がいいと思うのだが…。
17.4.18 イレウス入院。K医院でイレウスの診察を受ける。前日の夜にイレウスの兆候があり吐き気がしたので喉に指を入れて胃の内容物を吐き出した。朝は収まっていたから電チャリで往復30分の距離にある歯科医院に定期メンテナンスに出かけた。帰宅してから調子が悪くなり点滴を受ければ治るだろうと軽い気持ちでK医院に行った。レントゲンを撮って院長にイレウスだから市立病院で治療してもらうようにと告げられた。紹介状を書いて貰い急いでカミさんと一緒にタクシーに乗って市立病院の救急外来駆け付けた。いつも直接救急外来に駆け込むと診断に手間取り入院が遅れるのが常だが紹介状があると対応が早いからK医院のご威光もナカナカである。ドイツ製の新しいCTで造影撮影し主治医になるY医師が画像を見せながら小腸の細くなっている部分が詰まっていると説明してくれた。小腸のCT画像は素人目にはグチャグチャでこれが治るのか不安になった。鼻の穴に麻酔をして恐怖の拷問具イレウス管を30分間掛かって1.7mも入れ、点滴をしながら小腸の廃液を吸い取る吸引器を取り付けて入院した。午後5時に駆け付けてベッドに入ったのは午後9時半を回っていた。身長体重を測ると164cm、54.8Kだった。前回入院したのは5年前だったが観察室の看護師さんが覚えていてくれて以前もお会いましたねと言った。前日は苦しくて余り寝てなかったのでこの日は夜中に一回トイレに行っただけでよく眠れた。K医院会計1240円。
17.4.19 ベッドが観察室から308号室に移った。大部屋だが通路側なので少しスペースがあってトイレに行き易いから頻尿の私には助かる。こらから毎朝重い吸引器をゴロゴロ押して3階からエレベータに乗り地下のレントゲン室まで行かなければならない。顔見知りの看護師さんはWさんだけで他はみんな知らない人ばかりだった。Fさんがいないかと期待したが姿は無かった。B医師は健在で声をかけてくれた。大腸ガンの執刀から早15年も過ぎ随分穏やかになっていた。院内の売店が無くなり面会用の出入り口付近にセブン・イレブンが建って繁盛していた。五年前に比べイレウス管が改良されたのか余り痛くないので助かる。廊下に携帯電話の使えるエリアがあり椅子が置かれEメールは何処からでもOKである。初めて買った格安スマホを持って入院したが使い方を習熟していないので電話は公衆電話を使った。携帯電話の充電は禁止なのでモバイルバッテリーで充電した。
17.4.20 朝8時に担当医のA医師が来てCT診断で軽症だからもう治るだろうと告げた。重症だと1~2週間掛かるらしい。看護師がイレウス管を更に15cm押し込んだ。髭があると絆創膏で止められないからと若い看護師さんが電気髪そりで面白そうにバリバリと剃った。慌てて着の身着のまま入院したので浮浪者に見えたのか「お家の人はいるの?」と聞かれお風呂に入ってよく洗うように言われた。イレウス管の痛みは前回よりは少ないが矢張り痛い。夜は寒くタオルケットを貸して貰って寝た。
17.4.21 息子に状況を電話するとイレウス管を入れ2日過ぎても開通しないなら要手術だから医者に相談してと言われた。A医師に手術を依頼したがリスクが高いのでもう少し様子を見ると言われた。Y医師がイレウス管に造影剤を注入し調べると未だ小腸が腫れていて治る余地があるので様子見続行になった。息子に電話すると苦しくなければ様子見OKだと言った。初めは軽症だと言われたが実は重症でロングランに突入してしまった。息子は昨年内視鏡外科学会技術認定医に合格し今年は消化器外科専門医に合格したからこの十五年で名実共の外科医に成長している。リスクを承知で手術して白黒を付けて欲しかったのだがイレウスの手術は難しいのか何時も断られる。肛門近くに残っていたウンコの塊がコロっと出て少しスッキリした。夕方、太極拳仲間のUさんがお見舞いに来てくれた。市立病院と北浦和駅の中間付近に住んでいるそうだ。
17.4.22 朝下痢状のウンコが少し出た。回診でB医師がもう少し様子見すると言った。イレウス管を抜くのかと期待したのだがダメだった。飲まず食わずの点滴だけで五日過ぎたので体重を測ると52.8kgだった。絶食でも2Kしか痩せないからうちの肥満娘がダイエットしても絶対無理である。四月から肥満手術の専門病院に就職した息子に手術を頼むしかない。入浴後にイレウス管を更に10cm入れたから1.9mが小腸に入っている。
17.4.23 息子に電話すると一週間以内にウンコが出れば手術しないで大丈夫と言っていた。その後もウンコが出た。イレウス管を奥に入れてから透明だった廃液が濃い焦げ茶色に変わっている。小腸深部の廃液が吸引されいるようだ。今日からガスモチンと大健中湯が出される。イレウス管を入れたままだが薬と水を飲んでよいことになったから前進である。今日は二回下痢ウンコが出た。昼夕夜と三回薬を飲んで就寝した。
17.4.24 朝五時に採血があった。朝食前にA医師が来て今日から水を飲んでよく明日の朝から流動食を配膳すると言った。イレウス管は付けたままだが吸引器が外された。これだけでも随分楽になる。吸引器はベッドを離れる度に電源コードを抜くのでその都度アラーム音がして煩かった。下痢ウンコが2回出てシーツが汚れたから交換してもらう。紙おむつを買ってはいた。年配のI看護師さんに訪ねるとイレウス管を2週間入れた患者は大勢いるそうでその間は飲まず食わずでも大丈夫なのだそうだ。二週間を過ぎると手術するらしい。イレウスで直接死んだ患者はいないが何かの合併症で死ぬのだと言った。過去に97才のお婆さんが何回もイレウスに罹り苦しんで悲惨だったそうだ。看護師さんの話の方がリアリティがあって分かり易い。夜にタイ古式のSさんがお見舞いに来てくれた。スマホの電池が2年でダメになり買い換えたと嘆いていた。
17.4.25 朝のラジオで三遊亭円歌が23日結腸がんによる腸閉塞のため85才で死去したと報じていた。イレウスで死ぬのだけはご免被りたい。体重を測ると52.2kgだったが余り空腹感はない。頻尿だから吸引器のアラーム音から解放されて夜間のトイレが楽になった。排尿の度に壁に掛かっている用紙に時間と量を書き込むのだが他の患者は意外にトイレの回数が少ない。朝食前にA医師が来て明日イレウス管を外すと言った。今日は流動食が配膳され三食共半分飲んだ。Iさんの話ではイレウスになると小腸が浮腫み悪化するのだそうだ。有効な予防策は下剤を飲むしかないらしい。息子と娘からEメールが届いていた。早く治るようにと浴槽に浸かってお腹を温めた。
17.4.26 朝Y医師が来て今日のレントゲンが良ければイレウス管を外す言った。Y医師が来て10時15分にイレウス管を引き抜いた。病室のベッドに座って抜くのだが1.9mもあるから苦しくて涙と鼻水が噴出した。引き抜かれてグチャグチャになったイレウス管はビニール袋に入れて持ち去った。新人の看護師さんが茫然と眺めていた。昼食から五分粥になって半分食べた。
17.4.27 朝5時に採血があった。夜中と朝に水状のウンコが出た。A医師が今週中に退院になるかも知れないと言った。点滴が外された。
17.4.28 Y医師が明日退院できると告げた。今日はレントゲンに呼ばれなかった。全粥になったが用心して半分食べた。W看護師さんに明日退院できると言ったら喜んで握手してくれた。
17.4.29 全粥の朝食を半分食べ朝10時の回診を受けて退院した。土曜日なので会計の支払は次回外来の5月11日になる。五年振りのイレウスだったが過去最長の12日間も入院した。歳を取って腸が弱ったのだろう。三年後に市立病院は9階建ての大病院に様変わりするから次回の入院は快適だろう。その前にボケて施設に入るか、腎臓が弱っているからそれまで生きられるか分からないが…。
17.5.11 市立病院でイレウス退院後の経過診察を受けた。今の所問題ないので何かあったら早目に再来するようにで終了した。若いY医師を見ると息子の研修医時代を思い出す。あの頃は土日も昼夜も無く24時間働いていたから外科医は体力勝負の過酷な仕事である。息子は2002年に研修医になり今年で15年過ぎ今では消化器外科の専門医として活躍している。親はこれからも元気で働けるようにとただ祈るばかりである。私は2003年に大腸がんに罹り手術しガンは完治したが手術直後からイレウスに苦しめられ過去10回、通算93日間も入退院を繰り返した。今回は五年振りの再入院だが後期高齢者に近付き腸が弱って再発したのかも知れない。テレビは絶えず食べ物番組を放映しているが何もそこまでして食べる必要はないのでは…。イレウスのお陰でメタボにならないメリットもあるから~。今回は入院費が思いのほか安く済んで良かった。これから予想される老人施設への入居資金を残して置かないと…。会計49,850円(薬代含む)
17.11.17 K医院で市の健康診断を受診する。インフルエンザの予防接種、胸部レントゲン、眼底写真撮影、心電図、聴診、血圧、検尿、便潜血、PSA、CEA、CA19-9を含む血液検査などの結果は一ヶ月後に分かる。血圧は128で正常だった。腎機能の低下が心配だが…。胃カメラは18.1.31(旧17.12.20)に予約した。会計2,540円
2018年
18.1.13 K医院で健診結果を聞く。悪玉コレステロール(正常値70~139)149。クレアチニン(正常値0.6~1.0) 1.03(H29)←1.06(H28←1.10(H27)。eGFR(正常値60以上) 55.0(H29)←53.6(H28)←51.6(H27)。尿蛋白「-」(H29)←「±」(H28)←「±」(H27)で腎機能は改善されていた。だが、便潜血が「+」で1/19に大腸カメラ検査をすることになった。その他は異常なし。便秘治療に新薬リンゼスを処方して貰った。会計2,746+910=3,656円。
18.1.19 K医院で「大腸カメラ」検査を受ける。前日の朝から検査食を3食摂り、夕方8時に下剤のマグコロールとブルセニドを飲んだ。明け方に大量の下痢が出て大便の排せつは概ね完了した。体重を測ると52Kgなので排便量は2Kg。当日は朝8時から自宅で経口腸管洗浄剤ムーベンを2リットルの水に溶かし飲み始め11時に飲み終えた。途中水状の便が何回も出て最後は水だけになった。正午に承諾書類と入院に備え衣類と洗面用具を持って医院に着く。体重、血圧、酸素濃度を測り二時間位病室のベッドで寝て検査を待った。検査患者数は4人で順番は一番であった。点滴をしながら診察台に横になるとモニターが目の前にあったので見ようとしたが鎮静剤のセルシンを点滴に注射されると直ぐ寝てしまい目覚めたら元のベッドにいた。看護師が問題なかったから来週詳細結果を聞きに来て下さいと言った。隣のベッドにいた老人は先生からの話しがあると告げられていたから桑原々…。15年前の惨劇はもう御免だ。未だ鎮静剤が効いていてフラフラしながら4時半に自宅へ戻って食事をした。大腸カメラ検査は市立病院で手術前に1回、その後鎌田医院で自主検査を6回、3年後の今回便潜血陽性で計8回した。これで2年後の東京オリンピックまでは大丈夫だろう。会計3,550円
18.1.31 K医院で「胃カメラ」検査を受ける。検査順がトップだったから今日は直ぐ終わると思っていたら、検査中に院長の「鉗子」言う声が聞こえたのでギョッとした。胃カメラの取っ手に生検鉗子ワイヤーが差し込まれ組織採取が始まった。食道と胃がつながる噴門部なので採取が難しいらしく、空気を何回も吹き込み胃を膨らませ、院長と看護師2名の3人掛かりで30分近くかかって採取が終了した。ブスコパンの鎮静剤を使って無かったので苦しく疲れ果ててしまった。空気で腹が膨み大量に屁が出るので検査が終わって直ぐにトイレに駆け込んだ。受付で結果は2週間後に出るので電話で確かめて聞きに来て下さいと言われ医院を出た。胃カメラで組織採取されるのは生まれて初めてだから日一日とお迎えが近づいているのを痛感した。会計2,640円
18.2.27 K医院で「胃カメラ」と「大腸カメラ」の検査結果を聞く。二つとも大きな問題は無ったのだが、胃の組織検査でピロル菌がいると診断された。当医院で2016/12/11(12年前)に検査したときはいなかったのだからそんな筈はないのだが念の為に再検査することにした。常習性のない便秘治療薬「リンゼス」を処方して貰った。会計880+910=1,790円
18.2.28 K医院で尿素呼気試験の「ピロル菌」検査を受ける。 会計1,610円。
18.3.22 K医院でピロル菌の検査結果を聞く。問題無いだろうと高を括っていたら陽性で除菌する事になってしまった。3/23から一週間続けて除菌薬を飲んで一ヶ月後の5/8に再検査する。胃カメラで何時も胃が荒れていたからピロル菌が原因だったのだろう。便秘の薬「ツムラ麻子仁丸」も処方して貰った。年明けからもう3ヶ月近く過ぎてしまった。ドタバタしながらエンディングに向かっている。会計880+1770=2,650円。
18.5.9 K医院でピロル菌除治療を受ける。朝食抜きの検査で8:30から始り9:00には終わった。先ずビニール袋に息を吹き込み、次に薬を飲んで20分して再度ビニール袋に息を吹き込み検査終了。検査結果は一週間後に聞きに行く。ピロル菌は感染しないとされているが孫が遊びに来るから心配である。便秘治療薬のコストパフォーマンスを比較した。「リンゼス」一回2錠で65円、「ツムラ麻子仁丸」は一回2袋で57円、「タケダ便秘薬」は一回2錠で31円。割高なリンゼス以外は耐性が付くので今年中には「リンゼス」に移行したい。血圧117。会計1,590円。
18.6.2 K医院でピロル菌除菌結果を聞く。 朝8:30に来院したのだが土曜日だからか1時間半も待たされてしまった。除菌は問題ないだろうと思っていたが失敗で40.7で前回より増えていた。通常90%で治るの筈なのだが余程悪性の菌なのかも知れない。再度胃カメラをすることになり6/19に予約した。何時も胃が荒れていると言われているから難治性のスキルス性胃癌もあり得る。だがスキルス胃癌だったらまた海外旅行に行けるからボケて徘徊するよりは余程ましである。会計710円。
18.6.16 M皮膚科クリニックで右手の甲の中指に出来た「しこり」を診てもらう。エコーで診察し「ガングリオン」なの2~3週間したらまた来て下さいと言われた。ガングリオンとはゼリー状の物質の詰まった腫瘤で今は6mmだが固いから大きくなると要手術らしい。最近マウスを買い替えたので中指で使うスクロールダイヤルの回し過ぎが原因かも知れない。自然に治る場合もあり、揉むと悪化すると言われたので中指を使わないように様子見することにした。癌で無くて良かった。会計1,260円。
18.6.19 K医院で胃カメラの再検査を受ける。ピロル徐菌が失敗したので再度胃カメラを飲んだ。前回の一ヶ所組織採取では不十分なのか、その周辺を7ヶ所摘まんで6ヶ個所組織採取した。今回はモニタが目の前にあったので胃の中がよく見えた。患部はポリープではなく傷の様な物だった。担当医は院長ではなく別の医師だったが手際がよく問題なさそうな口ぶりだった。10:20受付で11:30に終了し結果は2週間後に出る。ガンだったとしても再度ピロル除菌をする。両親が胃潰瘍だったから親子して悪性のピロル菌が巣食っているのだろう。6ヶ所も組織採取したから驚きの高額だった。会計6,330円。
18.11.1 T医院でインフルエンザの予防接種をする。会計1600円。
18.11.12 T医院でさいたま市の特定健康診査を受ける。採血、触診、心電図、便潜血、検尿の結果は一ヶ月後に聞きに行く。胃カメラその他は有明病院の胃ガン経過観察で受診するからK医院でのガン検診は受けない。会計は無料。
18.12.7 T医院で健診結果を聞く。少し貧血気味だがそれ以外は全て異常なしだった。これまでLDLコレステロール(正常値120未満)は150位と高かったが今回101に下がった。胃袋が半分になったお蔭だろうか?これが継続するよう祈りたい。12/10に有明病院へ胃ガンの経過診察を受けに行く。…なので便潜血以外のガン検診は町医者でする必要がない。会計は無料。
2019年
19.11.4 カミさんと一緒に浦和から川崎まで孫を送って行ったが川崎駅の待ち合所で突然気分が悪くなりハンカチで口を押え嘔吐した。汚物をハンカチと一緒にビニール袋に入れ何事無いように振る舞い孫を嫁さんに渡し浦和に戻った。駅に着くとまた気分が悪くなり今度はハンカチがないので酔っ払い同様駅前の歩道のすみで大量に吐いた。立っていられないので汚物を放置したままタクシーに乗り帰宅した。戻って再度嘔吐したので少し収まり明け方頃に寝入った。
19.11.5 イレウス入院。電話で息子と相談しタクシーに乗って市立病院に向かった。午前中なので待つこと無く採血と単純CTを受けた。N医師が診察し2年半前(17/4/18)と同じ場所が詰まり小腸が浮腫(むく)んでいるので即入院になった。イレウス管を使わないから一週間位の入院だと安心したのだが…。病室は大部屋の301号室通路側だった。昨年はガン研有明に入院したが二年半振りの市立病院は懐かしい。あと二か月後なら工事中の新館に入院出来たのだが…。身長、体重(53.1Kg)を測りレンタルパジャマを着て点滴をし主治医N医師、担当医K医師、担当K看護師、禁飲食と書かれたベッドに横になった。ベテラン看護師が来て鼻から60cmのチューブ(経鼻胃管)を入れた。イレウス管では無いからすこぶる楽である。
19.11.6 早朝に採血、午前中にレントゲンあり。昨夜はイビキが無く静かだったが日中は患者がベッドで電話しているし、面会時間が過ぎても大声で喋っているから呆れた。だが大部屋は入れ替わりが早いのでこの非常識な状況は当日だけだった。看護師さんが身体を拭きに来てくれた。夕方には鼻チューブの先に付けられたビニール袋に小腸からのどす黒い廃液が500ccも溜まっていたから重症らしい。看護師がこのどす黒い液が小腸に溜まると炎症して死に至るから点滴に抗生剤を混ぜていると話した。もし大きな病院の無い地方でイレウスになったら死ぬから決して軽い病気ではない。夕方N医師が来てレントゲンで診て改善されていると告げた。
19.11.7 ビニール袋に黒い廃液と胃液が上下に分かれ50cc程溜まっていた。少し元気になったので廊下に出て100回程上体を左右に回した。食後にシャワーを浴びた。ウンコが出て無いのに何故か体重が51.8Kgと2Kgも減っていたがパジャマに変わったからだろう
19.11.8 どす黒い廃液が出なくなり胃液だけになった。7:30にレントゲン撮影。10:50看護師が来て経鼻胃管を抜いて飲水可になった。自販機の水は冷たいのでコンビニで暖かい爽健美茶を買って飲んだ。その後は食事時に出されるほうじ茶を1ℓ飲んだ。点滴薬のソルデム0.5ℓは1本86Kcalで1日4本使うから344Kcalになる。寝ているからか空腹感は無い。
19.11.9 流動食が配膳され何時ものように全品半分食べた。食前の体重は50.8Kg。
19.11.10 今日も一日中流動食。病院の側にある見沼代用水路まで運動を兼ねて点滴棒を引っ張りながら往復30分間散歩した。この一帯は先日の大雨で水に浸かったのだがその痕跡は無かった。K看護師に話すと病院外に出るのは禁止だと怒られた。30分も歩いたのにウンコが出ない。
19.11.11 通常はここで五分粥が出るのだが何故かまた流動食である。雨天なので病院外に出られない。14:00レントゲン撮影。ウンコが出ないので不安である。
19.11.12 今日も流動食で体重は50.4Kg。大腸がイレウス気味で浣腸したがウンコが出ないので摘便することになった。ゴム手袋をしたK看護師が肛門からウンコを掻き出したが、これはイレウス管挿入に匹敵する程痛くて苦しい。この拷問を病室のベッドでしたから同室の患者にはひんしゅくものだったろう。五分程で終了し丼一杯位の固いウンコが出た。そしてトイレに駆け込むと更に大量のウンコが出た。摘便は初めてだったがもう二度としたくない。更に酷い場合は内視鏡を使って掻き出すのだそうだ。N医師に明日のレントゲンで経過が良ければ早期に退院出来ると言われた。
19.11.13 今朝も流動食で体重は50.7Kg。レントゲン撮影とシーツ交換があった。腕の血管が細く点滴針の差し替えが出来ないので点滴は終了になった。点滴が外れると健康体になった感じがする。ウンコは未だ出ない。レントゲンの結果が良かったので昼から5分粥に変わった。
19.11.14 今日から5分粥が配膳された。何時もの様に全品を半分食べる。9:00待望のウンコが出る。11:00に病院から少し離れた所を流れる芝川に散歩に出掛けた。青空の下を流れる芝川の川幅は7~8mと狭いが水量が増せば付近一帯が水没するので市街化調整区域に指定されている。川沿いには桜が植えられ市民の憩いの場となっている。橋に架かる「しんじゅくはし」から市立病院方向を眺めると新都心のビル街が遠くに見えた。先日の洪水で広大な見沼の畑が水没したが住宅が建っていないから何の被害も無かった。さいたま市に先見の明有りである。被害のあった地方は無理な宅地化を進めたのが原因だろう。昼食時間の12:00が迫っていたので慌てて病室に戻った。散歩したお蔭でウンコが3回も出た。体重51.6Kg。
19.11.15 退院。朝食前にウンコが出る。朝食は五分粥。大腸ガンの主治医だったB医師に会う。何時もながら元気で働いておられた。突然退院の許可が出る。イレウス如きで11日間も入院する必要は無いのか、別の患者がベッド待ちをしているからだろう。退院手続きをして支払を済ませ11:00に病院を出た。再度芝川を散歩したかったが生憎の雨天でバスに乗って早々に帰宅した。会計68,880円。
19.11.22 採血とレントゲンをして担当医K医師の診断を受けた。何時も通り悪くなったら早く受診するようにと言われた。今回は初めて摘便の治療を受けたが便秘が更に酷くなったのか、胃ガンの手術で新たなイレウスが発症したかは分からないが悪化したのは確な様だ。隣のベッドにいた80才代の爺さんは人口肛門の排便処理で毎日嘆いていた。どんなに苦しくてもイレウスの方が余程ましである。弥生3月で後期高齢者になるが今は「生きてるだけで十分幸せ」である。会計1,400円
19.11.27 S内科クリニックに健診結果を聞きに行った。腎機能検査結果が昨年より劣化し、クレアチニン0.92→1.08 eGFR62.0→51.9 重症度が黄カードから黄orオレンジカードになってしまった。この状態で糖尿病と血圧が異常値だとレッドカードで要透析になる。イレウスのダメージで劣化したのかも知れないが治療法が無いから様子見するしかない。一難去って又一難である。便潜血はセーフだった。新便秘薬のグーフィス錠5mgを14日分処方して貰った。インフルエンザのワクチン接種を済ませ歯も治療したから今年の医者通いは終了した。会計710+920(薬)=1,630円。
2020年
20.2.19 イレウス入院。2/18 20:00 夕食後、急に気分が悪くなりトイレで数回吐いた。吐けば治るかも知れないと思ったが、何時もの様に更に気分が悪くなり24:00近くになって止む無く救急車を呼んだ。下着を替えボロな上着を引っ掛けて救急車に乗った。ストレッチャーに横になってまた吐いた。水分を多く摂ると身体に良いと聞いたので毎日2ℓのほうじ茶を飲んでいたが、それが裏目に出て腹全体にお茶が詰まってしまった。市立病院は手術中?で受け入れて貰えず自宅から車で15分の「さいたま日赤」に搬送された。初めて入る病院で心配したがERのある新しい大きな総合病院で市立病院より手際がよく点滴と痛み止めの注射を受け楽になった。レントゲンとCTを撮って即入院が決まった。明日イレウス管を入れると言われ悪夢の再来である。大部屋に空きがなく生まれて初めて個室に入った。12階の17号室のベットに横になるとまた気分が悪くなり吐いた。鼻から胃管を入れトイレに行って横になると1:00を過ぎていた。疲労困憊して直ぐに眠り込んだ。
20.2.20 8:30にイレウス管を入れる。看護師に一階のレントゲン室まで付き添われ、大きなレントゲン装置のベッドに横になった。イレウス管挿入は三人の医師で行う。鼻の穴から5φのビニール管を入れるのは痛くて超苦しい。だが市立病院よりは手際が良く10分程で2.2m入った。廃液吸引のビニールパックが付けられ病室に戻った。看護師が大きな注射器でほうじ茶色の廃液を吸い出してビニールパックに移した。二回の吸引で500㏄位パックに溜まった。カミさんが着替えを持って来た。昨夜はタクシーが無く1時間半も歩いて帰ったとぼやいていたが、自宅から電チャリで来れるから次回もこの病院に入院しようと言った。18:00にウンコが出たので治りが早いと喜んだが大腸に残ったウンコが出ただけだった。スマホが電話とショートメールはOKなのだがインターネットが繋がら無くなってしまった。昨日と今日のイレウス管挿入の疲れが重なって直ぐ寝り込んだ。
20.2.21 10:00にレントゲンを受ける。未だ場所が良く分からないので看護師に案内して貰う。セキュリティカードがないと病棟は出入り出来ない。点滴を交換して貰った。市立病院では何回も刺さないと入らないのに此処では一回で成功したから上手である。空調は20℃位で掛布団は重くて寒い。気の利く看護師が電気毛布を出してくれたので助かった。レントゲン検査では造影剤が肛門まで降りて来ているので回復していてる。連休に再度造影剤を入れて検査すると言った。二日間良く寝たので眠れなくなり鼻のイレウス管が痛み出した。
20.2.22(土)鼻の穴にイレウス管が当たって痛い。ガスは出ているがウンコは出ない。廃液は2ℓも出たのだが未だ出ているから完全に開通していない様だ。
20.2.23(日)11:00にレントゲン室でイレウス管に造影剤を注入し患部の様子を確認する。肛門まで造影剤が通過したのでイレウス管を抜いたが抜くときも鼻の奥に引っ掛かって非常に痛い。暫く鼻血が出ていた。飲水可になりお茶を大量に買って飲んだ。下痢状のウンコが3回も出た。良かった~!。毎度繰り返される涙の喜悲劇である。シャワーを浴びる。イレウスにならなければ今日は孫を連れて万座スキー場で滑っていたのだが残念!一昨年は胃ガンの手術をし昨年もイレウスになったから体力が急速に衰えている。
20.2.24(月)重湯。採血あり。外はコロナウイルスで大騒動しているので病室にこもっている。
20.2.25 三分粥。
20.2.26 五分粥。
20.2.27 全カユ。レントゲンと採血の結果が良かったので明日の退院が決まった。大部屋を希望したのだが空きが無く個室に入ったが個室代1泊1万円は請求されなかった。更に治療内容を収録したDVDと書類が貰える。市立病院ではあり得ないから非常に幸運だった。「さいたま日赤」は親切な病院である。
20.2.28 全カユを食べて9:30に退院。DVDと書類を貰ってカード支払いして病院を出た。書類を息子に渡すとコロナ騒動が終息したら手術すると言った。イレウスは手術しても再発し易いのだが後は神の思し召しである。会計63.580円。
20.11.4 S内科クリニックに健診結果を聞きに行った。クレアチニン1.08→1.2 に悪化していたが 9/11の人間ドックでは1.1だったから心配ないだろう。今月末まで水を沢山飲んで再検査する。生活習慣病と便潜血は全てセーフだった。ラキソベロン錠を28日分処方して貰った。コロナが流行しているのでインフルエンザワクチン接種を10/5に済ませた。歯のブリッジ治療で通院中である。会計200+220(薬)=420円。
20.12.2 S内科クリニックにクレアチニン検査結果を聞きに行った。白湯療法が効いたのかクレアチニン1.2→1.02(基準値0.16~1.04)に改善していた。水分補給すれば良いと言われたから当面安心。その他は問題なし。ラキソベロン錠を28日分処方して貰った。今年の健診はこれで無事終了した。会計200+230(薬)=430円。
20.12.15 Ayaデンタルクリニックに歯のメンテナンスに行った。左下奥歯のブリッジ治療の経過は良好だったが、メンテナンスが悪いと再治療になると言われた。寝たきりになって歯を磨くのは難しいだろう。歯科治療は自費診療なので高額だが入れ歯にはしたくない。今年分の歯科治療費、約20万円。
2021年
21.6.1(火)道クリニックでコロナワクチンの一回目接種をした。5/24にさいたま市のネット予約で申し込んだが、ネットは繋がり難く入力フォーマットも分かり難いからネットに慣れていないと予約は難しい。苦労して大宮駅東口にあるMクリニックに6/1 の空きを見付けて申し込んだ。予約が完了すると指定した自分のメールアドレス宛てに通知が来るからそれをプリントアウトした。予約時間は 12:00だったが初めての場所なので一時間も前に着いて辺りを散歩してドアの開くのを待った。11:40 に受付が始まり12:00に接種は終了した。二回目の接種は6/22(火)11:40~12:00 で同クリニックを予約し15分間クリニックに休憩してから帰宅した。注射は無痛だったが翌日は腕が痛かった。カミさんのワクチンは東京の自衛隊接種会場で予約した。さいたま市に比べ予約は簡単で、一回目6/6 13:00 二回目 7/7 13:00 で予約が取れた。予約方法はネット、電話、かかりつけ医に直接相談と様々あるが運もあるから早期に予約を取るならジタバタした方が良い。会計無料。
21.6.22 道クリニックでコロナワクチンの二回目接種をした。前回(三週間前)と同様早めに着いたが11:15に受け付が始まり接種を受けた。翌日は注射跡が痛いだけで副反応は無かった。マスクは外せないから安心感が増しただけで日常生活に改善は無い。「ファイザー」のコロナワクチン開発者、カタリン・カリコ博士(科学者)には是非ノーベル賞を授与して欲しい。ワクチン接種を嫌がる人は幼児期に注射で脅かされたからだろう。人間の知能には雲泥の大差がある。会計無料。
21.11.10 さとむら内科クリニックに健診結果を聞きに行った。クレアチニンが1.12で要治療になったが9/3のMクリニック検査では1.07だった。クレアチニンは飲水しか改善方法が無いから心配しても仕方ない。便潜血と生活習慣病は問題無かった。胃薬を処方して貰い飲んだら胃のモタレが治った。胃ガン術後3年を過ぎたが体調体力の劣化を痛感する。会計380+820(薬)=1,200円。
21.12.5 外来無し 12.5に発熱し翌日40℃まで上がり12/7に完治した。息子に電話で聞いたがコロナの可能性は低いそうだ。後日感染経験者の友人に聞くと、昼に38℃、コロナ対応の医院を受診39℃、PCR検査 陽性 3,000円(陰性なら20,000円)診察、公共交通利用不可、保健所の指示に従う、自然治癒を待つ。コロナに罹ると罰ゲームになるらしいが、当人は一度もワクチン接種を受けて無いから冷遇されたのかも…。
2022年
22.2.2 さとむら内科クリニックでコロナワクチンの三回目接種をした。15:00から始まり接種後に様子見して15:30にクリニックを出た。翌日は気分が悪く一日中寝ていた。会計無料。
22.4.16 FT眼科に駆け込む。帰宅途中に眼にゴミが入り激しく痛んだ。水道水で眼を洗ったが治らず大慌てで近所の眼科に駆け込んだ。診察室で異物を取り除くと直ぐ治った。眼圧と矯正視力は正常だった。薬を処方されたが痛くないのでそのまま帰宅した。翌早朝は眼の中がゴロゴロしていたが程なく治った。眼が悪いとパソコンが見られないから眼は何よりも大切である。会計1,020円。
22.7.20 川久保病院でコロナワクチンの四回目接種をした。ズサンな案内で15:00から始まったが注射は上手く痛くなかった。息子が小1のとき膝に大怪我をしてこの医院に担ぎ込まれたがヤブ医者揃いで慌てて市立病院で入院手術した。当時はヤブな整形外科医院だったが今は大きな病院になっていた。病院選びは運次第で如何ともし難いのが現実である。ワクチンはモデルナでファイザーは品切れなのか何処の医院にも無かった。オミクロンにはワクチン効果が少ないと言われているから気休めなのかも知れない。副反応は腕が少し痛い程度であった。会計無料。
22.11.1 安田内科クリニックでオミクロンワクチンの五回目接種をした。浦和駅近くのビル2Fにある呼吸気専門内科で接種した。発熱外来も受け付けているのでコロナに罹ったらここで診察してもらおう。体調不良は起きなかった。会計無料。
22.11.25 さとむら内科クリニックでインフルエンザワクチン接種をした。これで冬場の備えは完璧である。会計1,600円。
2023年
23.1.13 さとむら内科クリニックに昨年12/15の健診結果を聞きに行った。クレアチニンは1.12でGFRはG3aでイエローカードだった。白湯療法を続ければ急に透析にはならないだろう。便潜血はセーフだった。梅エキスが効いているのか便秘が治っているので便秘薬は貰わなかった。来院時に自動血圧計で測ると142で帰りは128だった。眠たい時に寝て、眼が覚めたら起きて、眼が覚めなくなったらご臨終。それがこれからの生活パターンだろう。会計無料。
23.5.8 石川内科で6回目のファイザー社コロナワクチンを接種をする。体調不良は起きなかった。我が家は全員ワクチン指向派だから無料なら何回でも接種する。会計無料
23.10.3 石川内科で7回目のファイザー社コロナワクチン(オミクロン/XBB⽤)を接種(15:00)にする。9~10月は忙しく疲れていたので夕食をたべて18:00に寝た。真夜中に眼が覚めたが体調不良は無かった。mRNAコロナワクチン開発者の生化学者カリコー・カタリン(ハンガリー 女性)氏がノーベル賞を受賞したとの報道があった。ワクチン反対派は相変わらず騒いでいるが愚かな宗教団体である。会計無料
23.11.22 水谷医院でカミサンと一緒にインフルエンザワクチンを接種(16:30)する。病院は何処も混んでいるから、医者は大変である。近所のTメンタルクリニックは明かりが消え、ひと気が無かった。11/19と11/25は腸閉塞になりかけて半日もがいていたが辛うじてセーフだった。9、10、11月と何かと忙しかったからだろう。会計1,600円。
23.12.20 水谷医院で市の検診を受ける。
2024年
24.1.24 水谷医院で市の検診結果を聞く。クレアチニンが1.24で昨年より0.1上がり医師に減塩指導を受けた。昨年まで続いていた心電図異常は今年は無かった。来年80才になるからマアよしだろう。会計無料。
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