パニック障害
(ベンゾジアゼピン(BZD)依存症からの離脱)
解説 URL 日付順
医療関係者の皆様へ - 厚生労働省 2022/2/28
「ベンゾジアゼピン」受容体作動薬の治療薬依存 2022/2/28
「ベルソムラ」同等薬「デエビゴ」 2020/7/30
「デパス」の取り締まりが「遅すぎた」と言われる訳 2019/12/31
合法的な薬物依存「デパス」 2019/11/29
千葉大学病院 薬学部 2018/4/21
 本当は怖い「ベンゾジアゼピン」の話 天津透彦 2018/7/×

乱用多い「デパス」など向精神薬指定に 2016/10/14

場末P科病院の精神科医のblog「ベルソムラ」という新しい睡眠剤が発売された 2014/11/17
場末P科病院の精神科医のblog「マイスリー」で摂食障害
パニック障害
医療プレミア
自律神経失調症
アシュトンマニュアル
佐藤記者の「新・精神医療ルネサンス」
「ベンゾジアゼピン」系薬剤の注意喚起と薬害裁判について

ウイキペディア
不眠症
不安障害
パキシル
パニック障害
パキシル離脱症
ベンゾジアゼピン
非ベンゾジアゼピン
ベンゾジアゼピン依存症
ベンゾジアゼピン離脱症
ベンゾジアゼピン薬物乱用

厚生労働省

みんなのメンタルヘルス

向精神薬の危険性 要約
薬害は製薬会社の天下りが引き起こす
HP管理人はパニック障害の薬害被害者
ベルソムラ発売2年後にデパスが危険薬に
デパスとサイレースが最悪の向精神薬である

抗うつ薬(SSRI パキシル)も中止が困難である
ベンゾジアゼピンを超える強力な睡眠薬はない
不眠は心臓病、糖尿病、高血圧などの原因になる
70歳以上の女性4人に1人が睡眠薬を服用している
非ベンゾジアゼピンとベンゾジアゼピンは同類である
60歳以上の高齢者20人に一人が睡眠薬を服用している
抗不安薬(デパス セパゾン等)もベンゾジアゼピンである
ベンゾジアゼピン依存症と離脱症に確立した治療法はない
ベンゾジアゼピン依存症はアルツハイマー病を1.5倍増加させる
製薬会社の向精神薬効能書には全て安全性が高いと記されている
日本先行販売(2014.11.26)の「ベルソムラは不眠症の救世主」になるか
デパスは2016年10月14日から「向精神薬」に指定され一回の投薬上限は「30日分」に定められた

目 次
2011年6月
不眠症
2012年10月
不安障害
2013年5月
パニック障害
2014年1月
パキシル離脱症
2014年4月~
ベンゾジアゼピン
離脱症
 不眠症(2011.6.16~2012.8.4)
睡眠薬の持続時間順(サイレースが最長) 
マイスリー
 レンドルミン リスミー ベンザリン サイレース
2011.6.16 S精神病院で「不眠症」の診察を受ける(1)。老人性不眠症で午後7~8時ごろから眠くなり熟睡できるようにメラトニンを服用してから入眠するのだが決まって午前2~3時に目が覚めるてしまう。自宅では夜間に起きてもパソコンか深夜TVでも見ていればそのうち眠くなるので問題ない。しかし、旅行中の睡眠時間に目が覚めると翌日の行動に支障をきたすから睡眠薬のマイスリーとレンドルミンを携帯し入眠時と途中で覚醒した時に服用している。通常はこれで午前6時ごろに目覚めるので問題はない。だが、何かの都合で入眠時間が遅くなると睡眠時間のバランスが崩れ目覚めの時間が狂ってしまう。半月前にスキーに行ったが夕食にビールを飲みミーティングで床に就くのが遅れ、夜間に目が覚めたのでレンドルミンを飲んだ。そして、翌日スキーをした?ようなのだが、記憶が飛ぶというアクシデントが発生し午前中の記憶が全く抜け落ちてしまった。その間に不気味な行動をしたらしく同行者は発狂したのでは…かと不気味に感じたらしいが幸いリフトからは落下しなかった。滑走中に激しく転倒した傷跡があり身体中が痛く近頃ヤット収まってきた。さらに、先日も自宅でも似たようなことが起きたので認知症の前ぶれではないかと心配になり近所にある精神病院を受診した。院内は空いていて想像したような異様な雰囲気はなく普通の病院と同じであった。午後一時過ぎに受付を済ませ待合室に座って本を読んでいたが一時間ほどして名前を呼ばれた。医師に話をすると記憶が飛ぶことは多々あるそうで認知症とは関係ないらしい。そして現状の入眠時間にベンザリンを飲み途中で覚睡したらマイスリーを飲んで様子をみることになった。別の病気がないとは言えないそうだがとり合えず安心して病院をでた。会計2700円。だがこの病気は2年後のパニック障害発症の前ぶれであり、3年後には睡眠薬サイレース、抗不安薬デパス、抗うつ薬パキシルの副作用と断薬による過酷な依存症と離脱症に苦しむことになる。
2011.6.23 S精神病院再来(2)。ベンザリンは翌日まで眠気を引きずるので服用中止になり入眠導入剤のマイスリーを睡眠持続時間の長いレンドルミン0.25mgに変更してもらった。寝床に入ってからレンドルミンを飲み途中で目が覚めたらマイスリーを飲むのが適しているらしい。旅行中以外はなるべく薬に頼らないで寝ることにしているが年寄りは不眠が続くと心筋梗塞を起こし易いので来年はスキーに行けるか心配している。隣の診察室では若い女性患者が大きな声で何やら長々と喋っていた。待合室にはセレブ風の美人や若い子連れの夫婦若い兄ちゃんがいた。自分のことは棚にあげ心の病は外見では分からないと思った。会計1500円。
2011.7.7 S精神病院再来(3)。連日の熱帯夜でレンドルミンの一錠では寝不足が解消しないから、2錠にして30日分を処方してもらった。マイスリーは短時間で入眠できるので昼寝に適しているが昼寝に睡眠薬は非常識なので貰うのは止めた。カミさんのを借用しようとしたがやたらに不機嫌になるのでそれも止めた。双方、年を老いてからの介護には期待せず自分で排せつ管理が出来なくなったら自ら施設に入ることにしている。私も薬に依存しなければ暮らせない年齢になってしまったが何とか晩年の大往生を願いながら今日もこれから1時間の散歩にでかける。会計2000円。
2011.8.4 S精神病院再来(4)。毎日1時間も散歩してレンドルミンを2錠飲んでも6時間位しか寝られず熟眠できていないのか一日中眠くてたまらない。医師にレンドルミンの追加を問うたが1日2錠までと言われた。昼寝をすれば何とか解消するのだがこのところの酷暑でそれもままならない。ものは試しと昼寝に睡眠薬を使えないか聞くと昼寝に薬を使うのは余り例がないらしく薬剤師さんには内緒でと言いながらリスミーを処方してくれた。それを聞いたトタン頭の中が急に明るくなり医師にお礼を言って喜びながら診察室を出た。後から思えば何と愚かなことをしたのかと悔やまれる。若い頃は早寝遅起き昼寝もできたのに老いるということは脳天からつま先まで劣化が進み細胞が崩壊していくのであろう。このまま不眠が続けば精神疾患に陥る恐れもあるから何とか不眠症を克服したいと心底願っている。今回はマイスリーとレンドルミンとリスミーを30日分貰ったが次回の来院は9月1日で残暑が厳しいから不眠の解消は未だ先になるであろう。会計2200円。
2012.7.7 S精神病院再来(5)。5月に入って自ら招いたトラブルが原因で不眠症を再発させてしまった。気候の変り目が原因なのかも知れないが理由はともかく寝不足は精神的に不安定になりイライラして落ち付かない。薬箱の奥に残っていた古い睡眠薬を適当に飲むと余計不安定になってしまった。カミサンは定期的にS精神病院に通っているので、今日は夫婦揃って病院に出かけた。待合室は以前より患者数が増えていて、ストレスの多い世相の深刻さが感じられた。一時間ほど待って診察室に呼ばれたが10分くらいの問診で、マイスリーに代わってサイレース1mg1個と何時ものレンドルミン0.25mg2個を一ヶ月分処方してもらった。サイレースはアメリカで麻薬に指定される強い睡眠薬である。担当医はサイレースは安全性が高いので自分も時々服用していると言っていたから今頃は当人も依存症になっているだろう。最近はイレウス再燃の恐怖心が薄らいで他人の病気話を聞いても無関心でいられる。今年の3月末に目の中に入れても痛くない2才の孫が電話口で「爺ちゃん」と喋るようになった。これからは自分に何が起ころうと可愛い孫のDNAの中で生き続けられるのだと思え老いた心身が癒される。目下ラキソベロン相当の下剤を飲んでいるのでイレウスは小安状態にある。再燃すればS市立病院に駆け込みになるが、看護師のY.Fさんと再会を期待し心の何処かで入院を望んでいる。会計2220+1280(薬)=3500円。
2012.8.4 S精神病院再来(6)。一ヶ月過ぎたが薬無しでは相変わらず眠れない。カミサンも一ヶ月毎に受診しているので一緒に待合室で順番を待った。受診者数は先月と変わりなく一時間ほどで名前を呼ばれた。どちらが呼ばれたのかは分からなかったがカミサンが先に診察室へ向かった。主治医が異なるので間違って診察されることはない。10分もしない内にカミサンは待合室に戻って来た。主治医に「疲れてますね」と一言いわれただけで終わったらしい。夏休みになったので疲れる筈はなく何時もより元気だと思うのだが…。私も呼ばれたので診察室に入った。サイレースのお陰で入眠は早いのだが「日中ボーッとする」と話した。主治医も時々サイレースを飲んでいるので同じ症状になると言った。安全性の高い薬なので心配ないが薬を半分に割って飲むのとよいと言われた。主治医は私より2歳若いが高齢者になると夕刻早く眠くなるので、なるべく11時くらいまで起きている方がよいと言った。早ね早起きは健康的だと思うが3時台に目が覚めるのは病的である。帰宅して昼食をたべ、眠くなったので昼寝をした。悠々自適な生活をしながら贅沢な不眠症を患っている。ジェネリック薬品は3割程安価だが先回同様にオリジナルを購入した。会計1410+1230(薬)=2640円。
不安障害(2012.10.4~2013.3.9)坑不安薬デパス 風邪薬PL配合顆粒
2012.10.4 S精神病院で不安症の受診をする(7)。残暑は多少和らいだのだが体調不良は改善せず今度は精神的な不調が追い討ちをかけてきた。夜間は睡眠薬を使っているので問題ないのだが日中に胸が締め付けられるような不安感あり、これまでに感じたことのない不快な気分に悩まされた。癌やイレウスの恐怖を克服してきたので精神的にはタフだと思っていたのだがそうでもないらしい。加齢が原因だとは思うが我慢できる状態ではないので息子に相談して精神科の診察を受けることにした。幸い今日は症状が出ないので午後から病院に出かけた。主治医は不眠症治療と同じ精神科のF医師である。不安症状とカミサンさんが使っていた薬が効くと伝えると「デパス錠0.5mg」デパスは強力な精神安定剤で不安感を一時的に落ち着かせるが治療効果の全くない中毒性の強い悪魔的薬物である。を処方された。この薬は一錠で8時間(実際は6時間)効果が持続するので毎朝飲むようにと言われた。病名を尋ねると事も無げに「不安障害」と告げられた。デパス錠は古くから使用されている抗不安薬で精神疾患には何々障害と称するものが多いが私も遂に仲間入りしてしまった。精神疾患の苦しさは通常の不安感とは異なり胸が締め付けられるような不快感と何とも表現できない苦しさを伴う。不眠症が始まった頃から徐々に不安障害は進行していたのであろう。振り返ればこの十年間にありとあらゆるストレスに責め苛まれ続けたから心の病になっても不思議はない。これに喪失感が伴うとうつ病に移行するらしい。今年は海外旅行に出かける意欲がなく一度もパスポートを使っていないが、未だパソコンに向かう意欲があるので突然うつ病になるとは思えない。だが来年の健康に自信がなく常に鬼の笑う声が聞こえる気分なので何とも言えないのだが…。会計1590+1410(薬:デパス・サイレース・レンドルミン)=3000円。
2012.11.1 S精神病院再来(8)。不眠症は相変わらず続いているが灯火親しむの候になり夏場よりは改善している。だが先月に発症した「不安障害」は全く改善せず「デパス」の服用量が増加傾向にある。主治医に相談して朝昼一日2錠に増加してもらった。一日の服用限度は5錠までと告げられた。発症の原因は性格的、ストレス、加齢などでそのうちに治るでしょうと言われた。私の症状を分かり易く言えば手すりのない高所から下を覗くと「胸がドキドキ」するがその状態が日常に発症する。お友達のオバサンに恋煩いでは?とからかわれたがそれとは別ものである。東洋医学的には気功や太極拳などがよいとされるがその道の師範も身体や心を患うそうだから余り当てにはならない。私も太極拳教室に通っているが何年も精進すれば自然治癒するのだろうがその頃は別の病気で寝たきりになっているであろう。今日は先月と同じ午後の時間帯に来院したが気のせいか傍目にも「オカシイ患者」が大勢いた。メンタルヘルスは外見からは分り難いとされるが集団になるとそうでもない。横目に見ながら自分も仲間入りしないようにと神に祈った。今年も残すところ2ヶ月になったが幸いイレウスは発症していない。今月は市民の一般健診とY.Fさんの勤める市立病院で2年に一度の甲状腺検査も受けなければならない。長寿より短命の方が祝福に思える今日この頃である…。会計1410+1700(薬:デパス・サイレース・レンドルミン)=3110円。
2012.12.13 S精神病院再来(9)。不安障害は悪化傾向にありデパスを一日2錠から3錠に増やし風邪薬のPL配合顆粒を処方してもらった。サイレースとレンドルミンは通常通りの量である。オーストリアの海外スキーから帰って間もなく風邪をひき心身共にこじらせてしまった。現地では言葉が通じないので毎日が緊張状態にあり不安障害を感じる暇もなかった。怪我や心配していた高山病にも罹らず無事帰国できたのは奇跡に近い。無謀な海外スキーではあったが日本では味わえない何とも表現できない程の素晴らしいスキーが堪能でき満喫した。そして幸運にもサラエボオリンピック大回転銀メダリストのユーリ・フランク氏とスキートレインができ生涯最良の思い出になった。緊張気味の方が不安障害の解消になるような気もするので早く風邪を治して何とかしようと考えている。会計1410+2020(薬:デパス・サイレース・レンドルミン・PL配合顆粒)=3430円。
2013.1.19 S精神病院再来(10)。相変わらず不眠とデパス依存状態が続いている。カミさんに整理券を取ってもらったので一時間待ちで受診できた。朝の目覚時に不安感が一番強いのでその旨を医師に話すと、冬期に多い朝方うつ病かも知れないと告げられ、寝込んでしまうような状態でなければ春になれば治るでしょうと言われた。夏バテから発症し大分脳も弱っているので春になれば治るとは思えないが、成るようにしかならないので前回と同じ量の薬を30日分処方して貰った。待合室に仏教入門の本を持参して読んだがブッダの教えでは「この世は苦であり」生きるとはそれを受け入れ解脱し精進するとあった。極楽浄土は死後の世界にあり現世には輪廻転生しないとされている。私は運命論者だが同感する部分も多々ある。先週物見胡散に高校生のスキー教室にアルバイトのインストラクターとして参加したが、生徒の運動能力の差に予想を遥かに超えた序列があるのを知って驚いた。私が受け持った班は運動能力が下位から2番目で指導下手と相まって滑っている時間より転んでいる時間の方が長かったが、講習を終えて別れ際の生徒の笑顔は素晴らしかった。長崎県のエリート高校でこれからの日本を支えてくれるであろう。良い経験になったが滑るより雪の中からの生徒救出に体力を消耗し未だ膝が痛いのが難点である。これが原因で膝関節症になり整形外科に二ヶ月も通ったが脳の病気と違って半年位で治癒した。会計1410+1790(薬:デパス・サイレース・レンドルミン)=3200円。
2013.3.9 S精神病院再来(11)。デパスが残り少なくなったのと朝うつ状態なので診察を受けにいった。8時過ぎに行ったのだがボンヤリして整理券を出し忘れ3時間半も待ってしまった。朝起きると胸がドキドキして不安な精神状態になる。睡眠の深さ長さには関係なく毎朝一錠飲まないと耐えられない。飲むと落ち着くのだが今度は頭がボーっとして眠くなり行動不能に陥る。主治医に症状を話すと今日は特に暖かいから春眠暁を覚えずで私も眠いですよと言われた。朝起きたら目をつむっていてもよいから室内を明るくして横になっているのがよいそうだ。そしてデパスは半分に割って飲むようにと告げられた。夜寝るときは睡眠薬を使わずデパスを2錠飲んで見て下さいとのことであった。色々試して自分に合った方法を探すしかないらしい。不安障害とうつ病の違いは何ですかと質問したが前頭葉が…との答えでハッキリとは答えてくれなかったが現状はうつ病ではないらしい。最近は睡眠薬を飲まなくても眠れる日が増えたので必要に応じ頓服で飲んでいる。主治医もそれでよいと言っていたので少しは回復に向かっているのかも知れない。デパスは強力な睡眠薬で他の睡眠薬を飲まなくて眠れるのは当然である。無知とは恐ろしいものでこの後も更に加速しながら薬物中毒の泥沼にはまり込んで行くことになる。帰宅途中に100円ショップへ寄ってエンドカッターと称するヤットコに似た工具を買った。このカッターは錠剤を半分に割るに非常に便利で重宝している。これから三寒四温で夏場に向かっていくが暑いのは苦手なので悪化しないか今から心配である。後から思えば酷いヤブ医者だったが日本の精神科医はみんな似たり寄ったりである。会計1410+1790(薬:デパス・サイレース・レンドルミン)=3200円。
パニック障害(2013.5.7~2014.1.7)
坑うつ薬パキシル 睡眠薬ルネスタ orビビットエース 精神安定剤メイラックス
 坑不安薬セパゾン 胃腸薬ナウゼリン めまい止めセファドール 下剤マグラックス

パキシルの副作用を軽減させる7種類もの薬が投薬された
2013.5.7 Mメンタルクリニックを初診(1)。朝起床時の動悸が酷くなり不安障害が悪化してきたのでネット検索で評判のよい医院を探した。そして予約電話すると偶然当日の5時が空いていたので急いで出かけた。クリニックは自宅から徒歩で20分ほど離れた5階建ビルの3階にあった。都会に住んでいると病院探しに苦労しないので助かる。ここは予約制で待ち時間が少なく院内は整理整頓され綺麗であった。診察室に入ると40代の精神科とは思えない強面の医師が座っていた。診察で症状と家族構成を聞かれ採血があった。そして病名は「パニック障害」でうつ病ではないとの診断であった。治療には脳の神経伝達物質であるセロトニンを増やすため「SSRI(抗うつ薬)」の「パキシル30mgを服用する」。この薬は副作用が強く飲み始めて3週間位は眠気ふら付き食欲減退などの症状が起きる。効果が現れるまでは1~2ヶ月間必要でその後も1~2年は薬を飲み続けなければならない。医師はこれはパニック障害の最新の治療方だが「心の病」の多くは原因が未だよく分かっていないので完治するかは不明なのだと説明した。それを聞いて血圧を測ったら150を超えていた。息子に聞いたときにはそれは治らんネとのつれない返事であったが当っているのかも知れない…。長く生きるとは病気と二人三脚することなのであろう。処方された薬は「パキシル20mg」「パキシル10mg」「ルネスタ錠2mg(睡眠薬)」「メイラックス錠1mg(精神安定剤)」「セパゾン錠2mg(抗不安薬)×2」「ナウゼリン錠10mg(胃腸薬)」の5種類である。ルネスタ、メイラックス、セパゾンはベンゾジアゼピン系の薬で1~2年も飲み続ければ必ず依存症に陥る。2011年からレンドルミン、サイレース、デパスを3年近く飲んでいたのでもう既に依存症になっている。知らぬが仏ならぬ「生き地獄」である。パキシルにも副作用と依存性がある。S精神病院で処方された抗不安薬デパスは対症療法の一時凌ぎ薬で根本的な治療にはならない。今回処方された抗うつ薬「パキシル」に期待したい。来週もまた来院しなければならないし治療費も高額で1~2年もの通院は辛い。今回はパキシル錠(185円×7)と初診料、血液検査料が加算され驚きの高額であった。会計5120+(薬)1380=6500円。
2013.5.14 Mメンタルクリニックに再来(2)。最初のS精神病院の医師は不安障害が簡単に治るような口ぶりであったが半年過ぎても全く改善せず、ネットで調べると抗不安薬の「デパス」は対象療法的な一時押さえの薬でこのまま服用を続ければ、薬物依存症になり服用量が増加し麻薬中毒のようになってしまうらしい。なぜこのような依存性の強い薬が安易に広範囲に処方されるのか理解に苦しむ。5/7~5/14の症状だが夕食時に「パキシル」を20mg+10mg服用し朝になると以前と同様に心臓の鼓動が早まってデパスを飲まないと苦しくて耐えられない状態が続いたので「セパゾン」を飲んだ。これでホントに治るのかと毎朝心配していたが6日目の朝からはパニックが収まり13日はふら付きながらパニックの応急薬「セパゾン」と預金通帳をカバンに入れて息子を連れ立って家族3人で銀行に出かけた。そして念願だった住宅ローンを完済した。私の老後の仕事はこれで終わったからこれから先はボケてもコロっと逝っても安心である。翌14日もパニックは発生せず落ち着いてMメンタルに再来院できた。医師は経過は順調なので今週から「パキシル20mg+10mg」「ルネスタ2mg」「セパゾン2mg×2」で治療を続けると言った。「ナウゼリン」と「メイラックス」は今回から処方されなかった。血圧は130位で血液検査は問題はなかった。大腸ガンから始まって何だかんだと騒いでいる間にパニック障害という思いも寄らない精神疾患になってしまい、我が身の不遇をつくづく思い知らさせた。次回5月28日を予約して病院を出た。会計1410+(薬2週間分)2300=3710円。
2013.5.28 Mメンタルクリニックに再来(3)。先々週の5/15~5/28はパキシルの副作用が強烈に発生し、日中の眠気、めまい、倦怠感、食欲不振が続きこの2週間は寝たきり状態であった。だが始めの一週間が過ぎるとパニック障害は起きなかったから病気そのものはよくなっているのであろう。血圧は110位で医師もよくなって来ていると言った。睡眠不足と目まいがあると伝えると睡眠薬の「ルネスタ」を2mgから3mgに増量し、目まい止めの「セファドール20mg」が追加された。息子は「パキシル」より「運動療法」の方がよいと言っていたが…。精神科ではパキシルが標準治療になっているらしい。副作用は人によって出方が違うだろうが高齢者の私には非常にきつくこの先も寝たきり状態が続くのではないかと不安である。頭がボケ気味で文章を書くのにも時間がかかる。人口の3%がこの病に遭遇するそうだが全くツイテない。次回予約6月11日。会計1410+(薬)2520=3930円。
2013.6.7 Mメンタルクリニックに再来(4)。パキシルを飲み始めて一ヶ月過ぎたのだが、その効果は余り感じられず副作用ばかりが増大するので予約日の4日前に倒れるようにクリニックに転がり込んだ。気分の悪さと吐き気、食欲の無さその他モロモロを告げるとそれは「うつ病」と「パニック障害」が重なっていると言われ「ガックリ」した。「パキシル」を一回30mgから40mgに増量し、胃酸過多を改善する「ラベプラゾールナトリュウム錠20mg」が処方された。血圧は100位で良くなってきていると言われた。そして次回6/25を予約してヨロヨロしながらクリニックを出た。一ヶ月近くも薬の副作用で寝たきり状態が続けば「うつ」にならない方がオカシイと思いながら薬局で請求金額を見たら更に悪化しそうであった。帰宅して「ラベプラゾールナトリュウム錠20mg」を飲むと吐き気と気分の悪いのは治った。しかしパキシルを40mg飲んだ翌朝目覚めるとパニック症状の動悸が始まって仕方なく抗不安薬の「セパゾン」を飲むとパニックは治まった。更に6/10の朝にもパニックが再発したのでセパゾンを飲んだ。セパゾンだけも効くのでパキシルを止めたくなったが途中で治療変更はできないから完治を祈って続行するしかない。会計1620+(薬)4230=5850円。
2013.6.25 Mメンタルクリニックに再来(5)。先週辺りは2~3日おきに30分ぐらい散歩して、後は自宅でゴロゴロしながら過ごした。初診から一ヶ月半位過ぎてパキシルの副作用は収まったのだが今度は小さい動悸が再発した。「セパゾン」を飲むほどでもなかったので我慢しながら散歩すると何とか収まった。3~4日同じ状態が続いたがやがて少しずつ解消されクリニックを受診する日は辛うじて収まっていた。クリニックまでは徒歩で片道20分位かかるが幸い雨は降らなかったのでよかった。何故か雨の日は体調が悪化してゴロゴロするだけで外出できない。医師に余りよく眠れないと告げると「ルネスタ」が「サイレース」に変更になった。「ルネスタ」を増やしてもらいたかったのだが…。血圧は100位で問題なかった。食欲不振で3Kg痩せたが体形を見て大丈夫だと言われた。サイレースが薬局にないのでジェネリックの「ビビットエース2mg」を貰った。近頃は疲れ果て電話で話をしたり文章を書いたりするだけで疲労困ぱいする。「ビビットエース」の効き目は強すぎて翌日の夜まで引きずるような気がする。早く良くなって気持ちの良い一日を向かえたい。会計1410+(薬)3230=4640円。
2013.7.9 Mメンタルクリニックに再来(6)。7/5までは涼しかったので割合調子よく過ごせたのだが、そのあと30℃を越える猛暑日が続き日中も寝たり起きたりの状態であった。食欲不振以外は具体的にどのように調子が悪いのかは表現し難く以前のように頭が回らず、だるくて何をするにも億劫でボンヤリして朝は異常に眠かったりする。気持ちよく寝られればよいのだがウツラウツラするだけで昼近くまで横になっている。初診から二ヶ月過ぎて「朝うつ」の症状が出てきたらしい。治療前は目覚めた途端にパニックが発症しデパスを飲まないと耐えらなかったが今はそれがないから治療効果は感じられる。代わりに自分では気が付かなかった潜在的な「うつ病」が顕在化したのかも知れない。行きつ戻りつではあるが連日寝たきりではなく週に2日位2~3時間の外出は出来るので順調に回復しているのであろう。7/1は涼しかったので3歳の孫の手を引いて20分位2人で散歩できたから頭は正常である。多分脳の中に詰まった過去のガラクタがゴミの様に溢れ出しているのであろう。息子も今まで頑張り過ぎたからこれから静かに暮せば回復するよと珍しく殊勝なことを言ってくれた。医師は痩せた私の姿を見て食事を多く摂(と)らないと治らない言った。しかし腸閉塞が心配なので絶えず腹半分を心がけていたのでメタボにもならなっかた。腸閉塞と便秘症を伝えると「マグラックス250mg」を夕食後に4錠飲むようにと処方された。マグラックスは効かないと思ったがまとめて4錠を沢山の水で飲むように指示されたので試して見ることにした。睡眠薬の「ビビットエース」を「ルネスタ3mg」に戻してもらい他は今までと同じ薬が処方された。血圧が140近くあり高かったので薬局で測り直したら110台になっていた。精神的に動揺し易い性格なのであろう。これから連日30℃を越える酷暑日が続くので体力が持つか不安である。会計1410+(薬)3230=4640円。
2013.7.23 Mメンタルクリニックに再来(7)。初診から3ヶ月過ぎて治療効果が明確になる筈なのだが、相変わらず副作用なのか病気の延長なのかよく分からない状態である。体調に波があり悪い時の方が強調されるので調子のよい時が少なく感じられる。全体的に予期不安のドキドキが未だ少し残っているのを除けばパニック障害は再発していない。だが口の中が渇いたり、外気温は高いのに寒く感じたりその反対だったりして薄手のセーターが手放せない。暑いのは昔から苦手で毎年夏場はダウン状態になるがセーターが手放せない夏は初めてである。医師に暑いので涼しい所に入院できないかと尋ねると入院する様な病気ではないので駄目と言われた。余り色々聞くので医師は呆れていたがボソッと「不定愁訴」かなとつぶやいた。小心者は医師の一挙手一投足(いっきょしゅ‐いっとうそく)が気になるもので今日は「入院する程悪くない」と「不定愁訴」を聞いて何となく安心した。血圧は120で暑さには余り関係ないようである。前回と同じ薬が処方され二週間後に再診となった。治療終了まであと一年9ヶ月もあるのだからこの期に及んで悩んでも仕方がないと自分に言い聞かせてクリニックを出た。完全予約制なので何時も終わるのは朝9時半位で余り暑くないから救われる。抗うつ薬パキシル20mgは一錠185円もするので一年間の医療費が13万3千円と超高額で、このストレスが最悪である。会計1410+(薬)3670=5080円。
2013.8.6 Mメンタルクリニックに再来(8)。相変わらず不調が続きこの文章を書くのが苦痛でパソコンに触れたくない。今はうつ状態にあると言うことだろうか。辛いのは常に気だるい眠気が続くことで何か行動しようにも暫くそれに移れない。眠気の次は口の中がにがくなり続いて吐き気が来て更に予期不安の動悸と続く。同時に重なって起こることはなく20~30分間隔で次々に襲ってくる。最も苦痛なのは吐き気でイレウスの始まりに似ていて恐怖である。幸い動悸は少なくなってきている。それ以外にパキシルのカタログに記載された副作用は殆ど体感したが何とか我慢できる範囲にあった。だが一番長い周期で発生する気だるい眠気は少しでも目をつむると目が開けられなくなる異常な眠気である。こんな状態が更に数ヶ月続いたら発狂してしまうかもしれない。あるいは既に発狂しているのではないかと不安である…。鍼灸で改善しないかと7/26と8/6に鍼灸院に行って整体と鍼灸の治療を受けたが劇的に効く訳ではなかった。それよりカミサンに木槌の按摩棒で全身をガンガン叩いてもらう方が余ほど効果があった。暑がりなので夏は大の苦手で8/1~8/5の間は近所のビジネスホテルに寝泊りしていた。8/6の朝はホテルからクリニックに出向いた。暑いので2週間避暑に行くと医師に伝えたら「ああいいよ」と言って何時も通りの薬を3週間分処方してくれた。血圧は110台で問題なく薬局で大きな袋を受け取って帰宅した。8/7は朝から新幹線に乗りカミサンに引率されて斑尾高原のペンションに向かった。会計1410+(薬)5170=6680円。
2013.8.27 Mメンタルクリニックに再来(9)。大腸ガンと腸閉塞に次ぐ大ピンチなのでお盆を挟んで二週間(8/7~8/22)ほど涼しい斑尾高原のペンションで療養した。下界は40度を記録するほど暑かったがここは涼しく別天地であった。環境を変えれば多少なりとも好転するのではと期待したがパキシルの副作用は強烈で眠気と吐き気が常に襲って来て消えなかった。その為ヘルパーには凡そ不向きなカミサンに介護されほとんど寝たきり老人状態で過ごした。それでも何とか毎日ヨロヨロと歩いて往復30分ほど離れた坂の上にあるホテルの温泉に浸かりに行った。ペンションの食事は美味しくサービスはよかったが部屋の広さが…だった。お値段の関係で無理からぬことである。イレウスの発症を恐れ昼食抜きで過ごしたが食欲不振なので余り苦にならなかった。水が合わなかったのか宿泊してから2~3日目に下痢になり苦しんだ。それが治まってから4~5日後に今度はイレウスの兆候が現れカミサンに按摩棒で背中を思い切り叩いてもらうと吐き気は何とか治まった。昼食抜きで過ごしたお陰かも知れない。元気なら避暑地は素晴らしいが体調が悪くて行ったから老人ホームに入居したのと何ら変わらなかった。だが真夏の炎暑を逃れて涼しく過ごしたお陰で帰る頃には吐き気が少し治まっていた。さらに幸運にも帰宅した日から残暑が弱まり多いに救われた。クリニックに出かけて再診してもらったが血圧を含め何時も通りで取り立てて変わった話はなかった。吐き気と眠さの話をすると適当に話をはぐらかしパキシルの副作用とは言わなかった。そう言えば初診から今まで一度も副作用の話を詳細に聞いたことがない。医師にこれからの治療計画を聞くと来年の4月末までパキシルを飲み続けその後9月頃までに減薬を終了すれば完治すると言われた。初めから副作用がこんなに酷いと聞いていたら別のクリニックを探しドクターショッピングしたであろう。副作用には個人差があり他の医院に行っても同じような苦痛を味わったかも知れないが…。パキシルを半年位で中断すると治癒率は50%で一年半で終了すると90%なのだそうだ。息子に話すとそんなに長いのかと驚いていた。日本ではパキシルを使っての治療がオーソドックスで現在100万人もの人にうつ病治療薬として使われているらしい。個人的には特効薬とは言い難く余り効かないから患者数が増大しているのだと思う。それと同時に精神科は開業し易いのでメンタルクリニックが増え続けているそうである。うちの地域では一度治療を始めると紹介状なしでは転院できないのでもう少し様子を見ながら治療を続けるしかない。会計1410+(薬)3670=5080円。
2013.9.10 Mメンタルクリニックに再来(10)。斑尾高原から自宅に戻って8月末までは涼しかったが9月に入るとまた暑さがぶり返し通院以外は何時も部屋にこもって横になっていた。9月なので記録的な暑さはないが病んだ老体に家庭用クーラーの風はきつく長袖のシャツを着なければ居られない。またホテルに泊まりたいと思ったが経済的に厳しいので我慢した。それに吐き気と動悸が収まり自覚しない「うつ病」が顕在化したのか改善したのか分からないが、何もしないでゴロゴロする怠惰さに馴染んだようで寝たきりが以前のように苦ではなくなった。脳の何かが変わったのかTVのアクション番組を見ると気分が悪くなる。パソコンは静止画なので短時間なら何とか眺めるられ助かっている。振り返れば高齢者になって若い頃と同じ調子で何かに取り付かれたように動き回っている方が異常であり、今くらいノンビリした生き方が年齢相応で正常な状態なのかも知れない。元来知力体力が備わってもいないのに背伸びして常軌を逸脱するような生き方をしてきたような気がする。年寄りの冷や水は寿命を縮めるだけで、もし中気にでもなったら家族全員が危機に陥る。これまで其れなりに無事にこられたのは運がよかったからであろう。クリニックで医師の診察を受け日中の眠さが酷いので年内で治療をお終いにして欲しいと言ったらお勧めできないと言われパキシルを40mgから「30mgに減量」してくれた。だがその2日後の朝起床時にかってない程の激しい胃痛に襲われゾっとした。しかし30分位で収まったので安堵した。これが噂に聞くパキシル減薬の跳ね返りなのであろう。その後は長く続いていた吐き気が収まったので一歩進展した。医者は説明しなかったがパキシル30mgはパニック障害対応の薬量なのでうつ病ではなかったのであろう。その他は従来通りの薬が処方され薬局で受け取って残暑の道を雨乞いしながら自宅に戻った。この文章を書くのにも一苦労するがボケ防止にはなっていると思う。会計1410+(薬)3350=4760円。
2013.9.24 Mメンタルクリニックに再来(11)。目の痛みが進行し日常生活に支障をきたすようになってきたのでパキシルによる治療を中断したいと医師に話すとお勧めできないと強く言われた。だが自己責任で中断したいと言うと渋々承知した。医者側からすると全てが不定愁訴でパキシルの副作用ではないらしい。不定愁訴であろうとなかろうと痛いのに変りはなくパソコン操作もできないようなQOL「生活の質」の低下には耐えられない。だが30mgから20mgに減薬して2日後に目が開けられ程の強い痛みに襲われた。慌てて息子に相談するとドライアイであろうと言うことで目に水をかけると痛みが治まった。これもパキシル中断の跳ね返りであろう。抗うつ薬で治療を始めると簡単には止められないので製薬会社と医師の陰謀説もあるがパニック障害は収まっているので助かっている。通常は2年近くかかる治療を5ヶ月間で中断すると治癒率は40%らしい。この文を書いているのは10/6~10/14だが目の調子が良い日に室内を暗くしてパソコンの輝度を最低にしてサングラスをかけその上に老眼鏡をかけてキーボードを叩いている。息子の嫁さんが入院したので9/26から3歳半の孫を預かって世話をしている。うちのカミサンは勤めがあるので日中は私一人で面倒を見ているが逞しかった息子とは性格が異なっていて繊細で我がままなのだが顔が可愛いので皆に寵愛されている。そして爺ちゃん爺ちゃんとよくなついてくれるので今は孫の世話が唯一の生甲斐になっている。初の頃はパキシルの副作用を心配して世話ができるのか不安であったが今は順調に推移している。血圧は医者とディスカッションしたので130台に上がっていた。処方された薬はパキシル20mg、ルネスタ2mg、胃腸薬ラベブラゾールナトリュウム20mg、下剤マグラックス250mg×4錠でめまい止めの薬は断った。目の痛みと孫の世話でパソコンが定期的に開けず文の内容が前後してしまうが孫の為に一日でも早く元の身体に戻りたい。会計1410+(薬)2440=3850円。
2013.10.10 Mメンタルクリニックに再来(12)。相変わらず目の痛みと日中の眠気頭のふら付きは続いているが孫のお守りで忙しいから目の痛み以外はほとんど苦にならない。眼は天気のよい日に痛みが激しく常に点眼しているので孫が真似して「ユウトも目が痛い」と言いながら目薬を持ち去るので困っている。今日からパキシルが10mgになると期待していたが一ヶ月間は20mgを続けると言われた。少しガッカリしたが20から10は量的に半分になるので不安もあったから再来週に期待をつないだ。朝食抜きで採血を受け血圧は110台で薬の種類は前回同様であった。この先の治療結果は全く不透明で孫のお守りもロングランになりそうだが息子と孫の笑顔が長期間見られるのが楽しみで不安はない。孫のお陰でパニック障害が早く治りそうだ。会計2690+(薬)2440=5130円。
2013.10.22 Mメンタルクリニックに再来(13)。パニック障害発症の原因は不明で自分では気質と加齢によるものだ受け止めている。パキシルによる治療を半年近く続けたがパニックの発作は確かに収まっているので効果はあった。だが薬の副作用がそれを上回る程強く常に襲ってくる苦痛に悩まされている。だが死ぬことはないから腸閉塞に比べれば大した問題ではない。しかし副作用で眼が痛くこの先一年近くもパソコン操作ができないのには到底耐えられない。更にこれからも孫の面倒を見続ける大役があるのでパニック発作の胸が苦しい位で役目を放棄することなど論外である。副作用の中には稀に人格が凶暴化する例もあるので息子も不安視しており断固パキシルを中断することにした。これから治療中断の最終段階にはいるので医師が気持ちに変わりはないかと確認したのでありませんと答えた。パキシルの治療中断は苦しいとの悪評が多数ありこれから先どんな難関が待ち構えているか分からないが孫の「爺ちゃん爺ちゃん」の声に答えて頑張るのみである。血圧は140で先回の血液検査の結果は問題なかった。最終コースになったのでパキシルが20mgから10mgにラベブラゾールナトリュウムが20mgから10mgに減量された。会計1410+(薬)1940=3350円。
2013.11.5 Mメンタルクリニックに再来(14)。パキシルを10mgに減量して一週間過ぎたが特に変わったことは起こらなかった。家族が増えて私、カミサン、孫の3人がみんな風邪気味である。孫は11/6から発熱があり保育園に預けられないので私が日中面倒を見ている。老体で風邪気味だから体力の限界付近でフラフラしている。孫は熱があっても仮面ライダーごっこが大好きでいつもパンチやキックを浴びせてくるが2ヶ月のうちにパワーアップして痛くてたまらない。フルチンで家中を走り回ったりして手こずらせているが、そのうちあぐらの中にチョコンと座って本を読んでとせがまれるとパンチやキックの痛みは消えて無償に可愛い。保育園は一時預かりの空きしかなく週3日しか登園できないし乳母車に乗せて片道30分の距離を歩くので疲労困ぱい状態が続いている。電チャリを購入して送迎しようと何度も思ったが未だパキシルの副作用と思われる頭のふら付きがあるので無理である。眼の痛みも続いていてパソコンを入力するのも目薬をさしながら少しづつ打ち込んでいる。写真編集などは全く無理でデータは未だにカメラの中に入れたままになっている。孫の母親の体調が思わしくなくあと一年以上預かる予定になっている。老人が精神科に通いながら無意味に長生きしても虚しいだけなので倒れて動けなくなるまで面倒を見続けるつもりである。孫(親)馬鹿だが顔が格段に愛らしい3歳半の男児なのでとても手放す気にはならない。2週間パキシル10mgを飲み続けてきたが11/19から5mgに減量される。5mgも2週間続けると思われるので今年中には治療終了になるであろう。ワーストケースでは副作用とパニック障害が再発して苦しむそうだがガンや腸閉塞に比べれば大した問題ではない。血圧は130を少し超えていたが医者は問題ないと言っていた。次回も血液検査すると言ったのでが余り意味がないように思ったがここは逆らわずに従うことにした。薬の内容は前回と同じであった。会計1410+薬1940=3350円。
2013.11.19 Mメンタルクリニックに再来(15)。今日から「パキシルを5mgにしますいいですね」と医者から念を押されたので「構いません」と答えた。ネットの書き込みでは非常に辛い症状が多発するとあった。息子が言うにはパキシルは重いうつ病患者のみに有効らしいがパニック障害が完治したと言う話は聞かないそうである。専門外だから多くの情報は持たないにしてもウィキペディアに寄れば2008年には、世界保健機関とその関連機関が、制裁によって公開されたパロキシルに関する未公表の試験を結合し40の計3704人からなる二重盲検試験を解析した結果、パロキシルの本来の効果は効果全体の17%であり、残りは偽薬効果や自然経過であることが明らかになった。とあり当らずとも遠からずであろう。医者の話では一年半治療を続ければパニック障害を95%治癒できると言っていた。現在日本で100万人がパキシルを飲んでおり患者が減少した話は聞かないから95%の治癒率はかなり怪しい値である。この副作用に一年半も耐えられる人は心身共に余ほどタフな精神病患者であろう。5mgにして3日後では特筆するほどの症状は起きなかった。それより孫が目を潤ませて「ユウトお父さんとお母さんの所に帰りたい」とつぶやいたのを聞き皆で涙を流した。パキシルの副作用でドライアイになり涙を流したことがなかったから孫に救われた気持ちである。血圧は前回同様で全体的に見て問題なかったのか血液検査はしなかった。薬はパキシルが10mgから5mgに変更されただけである。会計1410+薬1730=3140円。
2013.11.29 Mメンタルクリニックに再来(16)。所用で予約日より4日前に受診したので医者がいぶかって如何しましたかと聞いた。パキシルは10mgから5mgに減量する辺りで離脱症状が強くでると言われた。だが耐えられないような離脱症状はなく耳が詰まったような感じがする位で他は変わりありませんと答えた。実際に以前から断続して発症していた眼の痛み、吐き気、頭のふら付き等は減薬してから改善し昔の自分を取り戻したような気分である。パニック障害も再発していないからこのままソフトランディングすれば儲けものなのだが…。病気の改善には孫との関わりよるところが大きく、常に待ったなしで要求してくる孫の面倒を見ていると病気のことなど忘れてしまう。また乳母車を押して保育園まで往復一時間の距離を歩くのは運動療法に最適である。近頃は我が家を安住の地に感じたのか「ユウトお母さんとお父さんとお爺ちゃんとお婆ちゃんで一緒に暮らしたい」と言うようになった。12/2から転園したので距離が半分になり多少楽にはなったのだが孫は環境が変わるから気持ちが不安定になり爺ちゃんの出番が増すだろう。再来週はパキシルが終了になると思うのだが…。孫の為にも何とかして断薬したいが血圧が155と上がっていたから若干不安である…。薬は前回と同じであった。会計1410+薬1730=3140円
2013.12.17 Mメンタルクリニックに再来(17)。今日はパキシル投薬の最終日だと期待して来院したのだが悪い予想が当って来年まで持ち越しになった。未だ風邪をひいた時のような頭と耳の詰り症状が残っていてセミが泣くような耳鳴りもする。これが離脱症状なのかパニックの再発なのか分からないので止む終えず黙って治療を継続することにした。酷い副作用で長期間苦しめられたが離脱症状はそれ程でもなくパニック発作は収まっている。この程度の症状なら孫の世話には全く問題ない。もし孫がいなければ医院を転々と渡り歩いてドクターショッピングしたであろう。大体こんな治り難い病気に初診の時はいとも簡単な説明で薬を飲んでいれば治るような口ぶりだったのが気に入らない。この医者の専門は内科で精神科は講習を受けただけである。治療方法はネットに載っている他の精神科医と略同じでパキシルによる薬物療法である。日本では精神科医が医療訴訟に持ち込まれた事例は稀らしいから気楽な稼業と言える。ヤフーの口コミでは名医となっていたが全く当てにならない。血圧は141のマアマアで薬の内容は前回と同じで次回は3週間後の2014.1.7になった。会計1410+薬2320=3730円。
2014.1.7 Mメンタルクリニックに再来(18)。今日から「パキシルを断薬」した。医者が笑いながら「パキシルを止めますがいいですか」と尋ねたので「大丈夫です」と笑って答えた。笑ったのは無理してではなくこの泥沼状態から離脱できるので自然に笑いが込み上げてきた。未だ離脱症状の耳鳴りが続いていたがこれが収まるまで飲み続けたら何時まで経っても終わらないであろう。幸い孫が年末に親元へ戻ったから病状が悪化しても問題ない。最近は耳鳴り以外の症状は激減し眼の調子も良好で数時間パソコンを操作しても痛くない。パニック発作も寛解(収る)し安堵しているがこれがパキシルの効果だとはとても思えない。三歳半の孫をおんぶして保育園などを往復し必死に歩き回って運動療法したのが功を奏したのである。寝たきり状態の時は足が細ってフラフラしていたが今は以前以上に太くなっている。今後パニック障害などの精神疾患が発症しても絶対精神科には行かない。パキシルやデパスなどの向精神薬は麻薬と同じで副作用が酷くおまけに途中で止めると離脱症状が発症し更に苦しむ。皇室の雅子妃がパキシルを長年服用し国内最高の精神医療を受けても治癒しないのだから単なる町医者ごときが治療しても治る筈がない。孫の世話は大変だったが居なくなると火が消えたように寂しく息子に「何時でも預かるから連れて来て欲しい」と伝えた。何もしないでボンヤリしていると再発リスクが高まる気がするので何か別の運動療法を始めたい。この文章を書いたのは断薬から一週間後だが特筆するような離脱症状は起こっていない。ただ加齢による不眠症は治癒しないから2週間後にはまた来院してルネスタを処方して貰わなくてはならない。睡眠薬の服用はよくないのだが寝不足は更によくない。ブッタの教えで「生きることは苦」とあるからこれからも薬と付き合いながらそれなりに生きるしかない。血圧は142で処方された薬の内容は睡眠薬のルネスタ2mg、胃薬ラベブラゾールナトリュウム10mg、マグラックス250mgである。会計1410+薬1480=2890円。
パキシル離脱症 2014.1.29~2014.1.26
2014.1.29 あれからMメンタルクリニックにネットメールで診察をキャンセルしたのでその後は全く来院していない。パキシルを断薬して3週間過ぎたが特筆する程の離脱症状は出ていない。未だ耳鳴りと頭のふら付きは残っているが例えパニック障害が再発しても今後絶対に精神科は受診しない。高額な治りもしない怪しげな薬を安易に処方し副作用と離脱症状で患者を苦しめた上に脅かしながらつなぎ止めるのは麻薬の密売人と同じである。日本では現在百万人もの人がパキシルを飲んでいると言われるが止むに止まれない患者が大勢いると推察するのは私だけでは無いだろう。これまで18回も通院し77,740円を出費した。睡眠薬は残っている分を飲んでいるがこれも何とかして断薬するのが悲願である。
2014.3.26 パキシルの離脱症状は3ヶ月経った今でも続いているが波はあっても次第に収束しているのが感じられる。NHKで放映されたタイ古式マッサージを今月上旬から毎週受けているが半世紀以上も生き長らえて来た身体と脳の垢が流れ去って行くようで心地がよい。高齢者になって根性でスポーツジムに通うのはストレスが溜まるだけでよくない。リクラゼーションで心身を癒した方が脳の健康にはよいだろう。睡眠薬はまだ止められないが健康の源は全て睡眠だと感じる昨今である。
ベンゾジアゼピン離脱症 2014.4.15~2015.3.15
睡眠改善に絶大な効果あり 太極拳 タイ古式マッサージ
お守り 睡眠薬ロゼレム ベルソムラ 風邪薬葛根湯 サプリメントメラトニン テアニン
2014.4.30 2週間後。歯痛で歯医者に通院した。歯痛パニックは神経へのダメージが強烈でパキシルの離脱症状がフラッシュバックしたのか耳鳴りと頭のふら付きが強くなってきた。それにデパス、サイレース等の精神薬を長期間服用していたからその離脱症状も重複しているのかもしれない。4月中旬から全ての精神薬を断ちタイ古式マッサージで離脱症状からの離脱を目指して努力しているがもし回復しないと介護認定の申請を出す羽目になりそうである。
2014.5.16 1ヶ月後。パキシルを断薬して4.5ヶ月過ぎた。未だに耳鳴りと気圧が下がった時に感じる耳詰まり状態や頭のふら付きが残っているが以前よりは大幅に改善されている。個人的感想だがタイ古式マッサージは有効であり特筆すべきは睡眠薬に頼らず日々眠れることである。一日中寝ていることもあるから正常な睡眠ではないが贅沢は言えない。だが近頃朝の起床時に何とも言えない不安を感じるのでパニック障害の再発が心配である。抗うつ薬、抗不安薬、睡眠薬が重なった離脱症状は表現し難いほど辛く手強い。この3種類はセットで処方されるから一生薬漬けになる恐れがある。精神科医の安易な甘言で薬物依存症になってしまったが今は悲願脱却でただひたすら耐えている。
2014.5.26 1.5ヶ月後。まだ改善の兆しは無く先行き不透明だがテレビを見て笑う時もあるから少しは良くなっているのかも知れない。何か適当に作業をしている方が心が安定するのだが身体を動かすのが億劫でゴロゴロし悪循環に陥っている。5/25に孫の顔を見に行ったのでその間は随分癒された。現在の不安定感はパキシルではなくデパスと睡眠薬からの離脱症状なのであろう。向精神薬からの脱却は容易ではなくだだひたすら耐えるのみである。
2014.6.9 2ヶ月後。全ての精神薬を絶って2ヶ月ほど過ぎたが相変わらずの症状が続いている。気分の悪いときは横になり、お腹が空いたら食事をし、眠くなったら寝るという王侯貴族?のような生活をしている。それでも毎朝テレビ体操で身体を動かしているから全くの自堕落でもない。精神薬の危険性を暴いた「アシュトンマニュアル」をネット記事で読んだが恐ろしいことが書いてあった。アル中、モク中、ヤク中など危険な依存症は万人の知るところだが精神科に通院すると誰もが知らない内に薬物依存症に転落する。雅子妃も治癒せずこのまま廃人化するのかも知れない。哀れな皇太子妃はお粗末な日本の精神医学の犠牲者である。私も老いさらばえた身の上だがせめて精神だけはまともな状態で余生を送りたいと願い日々辛い離脱症状に耐えている。
2014.6.20 2ヶ月後。少し治ったかなと思うとまた後ずさりするから先はマダマダ長いようだ。先日インド式のめい想セミナーに参加した。2日間の講習を受けたがめい想の域には達しなかった。ヨガ体操も含まれているので回復を念じて毎日続けている。近頃は涼しいので救われているが酷暑日になったら如何なるか不安である。キシリトールガムと蜂蜜で急場をしのぎながら日々過ごしていくことになる。
2014.6.24 2.5ヶ月後。暑い日だったが孫の顔見たさに息子の住むつくば市に出かけた。自作した紙飛行機を近所の公園で飛ばして遊んだが風が強く暑いので早々に部屋へ戻った。孫は息子がいないと詰まらなそうであったが公園の遊具で遊んだりジャンケンしたり肩車したりで私の方が遊んでもらった。一緒にいる間は病のことを忘れているから癒し効果は絶大である。離脱症は少し改善したのかまた来週会いに行こうと思っている。往復4時間もの距離だが外出すれば運動効果も望める。ヨボヨボと歩いている老人を見て同じ状態に成るのはそう遠くないような気がした。皮膚ガンを心配して診察を受けたがガンなら寝たきりにならないからそれも又よしである。
2014.7.8 2.5ヶ月後。7/5に息子が孫を連れて一泊で遊びに来てくれた。孫の顔を見ると急に元気が出て二日間一緒に楽しく遊んだ。毎回興味を引くような玩具を作って見せるのだが今回はペットボトルロケットの打ち上げ実験をした。自転車の空気入れを使って圧縮空気と水でペットボトルを真上に飛ばしたが大人が見ても驚くほど高く上がって4歳の孫は恐れおののいて遠くから眺めていた。孫にはオリジナルの玩具で遊ばせて知的好奇心を育てたいと思っている。離脱症は以前より改善したがまた後ずさりするだろうから余り期待はしていない。「病は気から」とされるがパニック障害を発症し2年近くになり気が病んでいるから不定愁訴が改善する筈もない。この病気を治すのには運動する位しか方法がないからこの調子で行くと老化の進行が加速し心身共にヨボヨボになりそうである。パニック障害は脳の病気だから気の持ち様でくらいでは簡単に治らない。
2014.7.12 3ヶ月後。台風一過で急に蒸し暑くなり日中32度位になったがふら付きながらも歯科と皮膚科に出かけた。昨年の今頃はパキシルの副作用でもがいていたからそれに比べれば好調である。来年の今頃は本来の自分に戻っているように願いたい。ニュースで脱法ドラッグの危険性を取り上げていたが脱法と合法は同意らしい。合法ドラッグの最たるものは向精神薬で患者は知らない内に中毒者になってしまう。脱法ドラッグ中毒はアル中と同じで当人の勝手だが、医者が処方する向精神薬の中毒患者はだまされているのだから何が正義なのか分からない。日本は全てが自己責任の恐ろしい国でとても真ともな法治国家とは思えない。
2014.7.16 3ヶ月後。波はあるが少しづつよくなっているような気がする。2013.10.22に厚生労働科学研究班が「睡眠薬の適正な使用と休薬のための診療ガイドライン」をネットで公開しているがその中にQ39【勧告】複数の離脱症状を呈する患者は 20〜40%であり云々、休薬後に生じる離脱症状は短期間で消失する。Q40【患者向け解説】睡眠薬を長期間服用した後に、一気に中断すると不眠症状が一時的に悪化することがあります。時には日中にも不安感やイライラ感、知覚過敏などを感じることがあります。これらの症状の多くは一過性で、徐々に軽減しますが、数日~数週間持続することもあるので注意してください。睡眠薬を徐々に減量することでこれらの不快な症状を避けることが可能です。とあり離脱症は日本のガイドラインでは短期間で容易に治ると表記されている。20~40%の患者数はウィキメディアの15~44%に近値だが、数日~数週間持続するはウィキメディアの6~12ヶ月より極端に短い。更に「アシュトンマニュアル」にある遷延(せんえん)性(長引く)ベンゾジアゼピン離脱症状は徐々に軽減するが、少なくとも 1 年、場合によっては数年持続する。となっている。ウイキぺディアを含め睡眠薬(ベンゾジアゼピン)を長期間服用し断薬するとその半数に離脱症が生じることになる。要約すればベンゾジアゼピンを長期服用すると、持ち越し効果(翌日も眠い)、記憶障害、依存症などの副作用を発症し断薬すると離脱症が生じる。「日本のガイドライン」ではこれらは安全とされ「アシュトンマニュアル」は危険だとしている。日本は人口あたりのベンゾジアゼピン系睡眠薬の使用量が世界一で米国の6倍もある。医者と製薬会社の利権がらみの薬害問題も多いから病気になっても薬を飲まないで自然治癒させるほうが安心である。精神科医を妄信する者は救われない。
2014.7.23 3.5ヶ月後。脳の状態は元に戻りつつあるが、その代わりに睡眠薬を服用し始めた切っ掛けの中途覚醒が再発し夜間に目がさめてしまう。運動すれば眠れると分かっていてもそう毎日できるものではない。だがここで睡眠薬を飲んだら元の木阿弥だからなるべく遅く寝て睡眠のリズムを変えようと努力している。幸いパニック障害は起きていないのでこのままソフトランディンできるように願っている。
2014.7.25 3.5ヶ月後。2日しか過ぎてないが時折脳に青空を感じるから急速に回復しているようでもある。運動療法でなるべく外出し歩き周っているが歯科通院も一役かっているかも知れない。この二ヶ月間脳を安定させる為にガムをかみ続け多いときは2週間で100粒以上のキシリトールガムを噛んでいた。…なので顎がだるくて仕方がない。近頃は金銭的にも厳しいので噛んでいないが幸い気にならなくなった。先は未だ長いのだろうが神経を蝕む向精神薬の離脱症は悪魔に取り付かれたように辛く苦しい。アシュトンマニュアルが警鐘する「ベンゾジアゼピンの長期使用により、記憶力および認警鐘知力の低下、感情鈍麻、抑うつ、不安の増大、身体症状、依存など多くの望まない結果を引き起こすことがあります」は事実であり、更に離脱症状は長期に渡るので絶対に安易に服用するべきではない。雅子妃は遅れた日本の精神医療の犠牲者代表であり、今日でも薬物療法を安全と証して推進する日本の精神科医は全員皇居前で切腹するべきである。
2014.8.6 3.5ヶ月後。連日猛暑日が続いているが、昨年の今頃はパキシルの副作用でダウンし斑尾高原のペンションで臥せっていたから、それに比べればマシな状態にある。少しずつよくなっている様なのだが症状に波があって元の自分に戻れるのか不透明である。高齢者が若い頃の自分に戻れる筈もないから、こんな不安定な脳でお迎えを向えるのかも知れない。8/2と8/6に近所の市民プールで泳いだから脳以外は真ともなのであろう。ガンの終末期治療を受けるよりは遥かにマシだから当面は涼しくなるまでの辛抱である。
2014.8.11 4ヶ月後。台風到来で気温と気圧の変化が原因なのか起床時に突然頭がふら付いて倒れそうになった。頭痛はなく2~3分で回復するのだ脳梗塞か熱中症の前ぶれを疑った。4年前にCT検査を受けた時は問題なかったのだが…。横になると1分位めまいが続き、その間天空に引き込まれて行くかのような安らかさ感じた。お迎えの時はこれと同じ状態で逝きたいものである。ふら付きは2~3回起きたが数日すると改善したので病院には行かなかった。台風が過ぎ少し涼しくなったから離脱症は少し改善したように感じるが多々後退するので安心はできない。
2014.8.20 4.5ヶ月後。昼夜を問わず暑いので不眠症が再発してしまった。迷った末に以前飲んでいたメラトニンを試してみた。念の為にネットで副作用を何度も検索したが問題になるようなものは見当たらなかった。メラトニンは3年前にニューヨークのスーパーで買ったのだが効き目が甘いので精神科でマイスリーを処方してもらった。これが諸悪の始まりでその後、レンドルミン、サイレース、デパス、パキシル、などの精神薬の依存症に転落していった。パニック障害もベンゾジアゼピンの副作用が影響していると思われる。メラトニンの効目きはイマイチだが昼夜逆転気味だった睡眠サイクルが改善して気のせいか調子がいい。日本ではメラトニンは個人輸入でしか入手できない。最近タケダ薬品から「ロレゼム錠」(8mg一錠83円)と称するメラトニン系の睡眠薬が発売されている。医師の処方箋が必要で価格はメラトニン(5mg一錠13円)の6倍もする。昔から先進国では危険だと言われているベンゾジアゼピンをドンドン売りさばき暴利を貪(むさぼ)っておいて、メラトニンは安全性に疑問があるとして輸入させてない。薬の安全性は製薬会社とそこへの天下り官僚が決めているのであろう。ロレゼム錠はそれなりのお墨付きを貰っているからメラトニンと全く同じとは言い難いが…。幸いメラトニンは未だ残っているのでこれに期待したい。たとえ駄目でも脳細胞の老化をお迎えまで如何にして遅らせるかだけの問題である。歯医者への通院がなくなったので次回の書き込みは年末までない筈である。その頃には離脱症から開放させられていると期待したい。今日も朝から室温32度の酷暑日である。
2014.11.10 7ヶ月後。半年以上過ぎたが昔の自分に戻った感じはない。以前よりはマシと言う程度でベンゾジアゼピンのしつこさを改めて痛感させられる。孫が時々遊びに来るのでその時は嘘のように元気になり一緒に遊んでいるが一人でボンヤリしている時が一番よくない。耳鳴りと脳の圧迫感は随分減ったから順調に回復していると思いたい。以前は非常に不快な眠気に悩まされたが近頃の眠気はうたた寝できる眠気である。これは離脱症ではなく老化によるボケの前触れかも知れない。メラトニンを飲んでも中途覚醒は改善しなかったから今は飲んでいない。一か月前からリラックス効果があるとされるサプリメントの「テアニン」を飲んでいるが少しは効いているような気がする。テアニンが多く含まれる「抹茶」も飲み始めたが便秘に有効なようである。老人は先が知れてるから大した問題ではないが、若者が私のような状態になったら悲劇である。知人の息子が不眠症になり診療内科で睡眠薬を貰ったそうなので先ずは心の健康相談室に行った方がよいと伝えた。しかし相談室のスタッフがベンゾジアゼピンのことを何処まで周知しているか不明だから医者にたらい回しされ薬漬けにされる恐れが多分にある。日本の精神科は麻薬の売人であり恐ろしい国である。
2015.1.7 8.5ヶ月後。今日の胃カメラ検査で鎮静剤を注射されたが余り効かなかったから離脱症には影響ないだろう。この頃耳鳴りが軽減して食事が美味しく感じられるようになった。先々月辺りまでは強い焦燥感があったが今はこれも軽減している。未だ不安定だが頑張れば道は必ず開けるとの確信が持てる年明けになった。坑うつ薬パキシルを断薬して丁度一年過ぎたが昨年の今頃はそれ程不調では無かった。当時は未だベンゾジアゼピン系睡眠薬サイレースを飲んでいたから薬物依存症で何とか収まっていた。しかし光を異常に眩しく感じたり気温の変化に過敏になり感情が不安定でとても真ともな状態ではなかったと思う。そしてサイレースを止めた途端強い異変が生じ耳鳴り、脳の圧迫感、焦燥感に苛まれた。始めは原因不明だったがネット検索でベンゾジアゼピン離脱症を見つけた。そして全て一致する訳ではないが当たらずとも遠からずの結論に達した。このまま依存症が続けば認知機能障害などで廃人化する恐れを感じたので一気に断薬した。諸説では一気に断薬すると辛い離脱症状が長期に渡って続くとされてるが、漫然と続けたのでは治癒の過程が分からない。また離脱症状を理解し治療すると称する精神科医もいるようだが治療実績が不明で信頼できない。よって自分で治すしかないと覚悟し続行している。短くて半年、長くて2~3年とされているが何時かは治る日が来る筈である。ネット上に同じ悩みを抱えている人が大勢いるが近い将来これは薬害だとして世間が大騒ぎする日が来るだろう。ヤク中、アル中、モク中などは周知の自己責任だがベンゾジアゼピン中毒は厚生省、製薬会社、精神科医が絡んだ薬物犯罪である。何の中毒だろうが多数の患者が交通事故や犯罪を犯せばマスコミが騒いで危険ドラッグと同じ扱いになる。だが廃人化して一人で苦しんでいるだけでは誰も知らぬ振りで済ますから日本はマスコミ主導の恐ろしく危険な国である。
2015.2.4 9.5ヶ月後。今日は天気が好く睡眠が十分だったからすこぶる爽快で昔の自分に戻ったような気分である。未だ耳鳴りはあるが気にならない。睡眠が不十分な日は眠気がして不快である。天気も関係していて雨の日は憂うつである。隣家の建築騒音も影響大で損害賠償を請求したい位である。今日は騒音がないので穏やかでこのまま改善して行けば幸せなのだが…。不眠対策にメラトニン飲むときもあったが3mgでは中途覚醒しそのうえ翌日に持ち越すから今は飲んでいない。メラトニン系睡眠薬の「ロゼレム」を飲むと調子がいいのだが依存症が怖いので3回服用しただけである。適度に運動して寝るのが最良の治療なのは分かっていても憂うつや焦燥感、眠気があるときはとても無理であり横になっているしかない。今日の調子が明日も明後日もその次も続くようにと祈っている。
2015.2.7 9.5ヶ月後。今日も少しの寝不足を除けば一昨日と変わらず調子がよい。午後の大腸カメラで注射した鎮静剤セルシン(ジアゼパム)はデパスと同じベンゾジアゼピン系の抗不安薬なので離脱症への影響が心配である。早く気がつけば何とかしたのだが…。このあと日中の眠気と耳鳴りが増えたようなのでセルシンの悪影響なのかも知れない。過去5年は便潜血に問題無かったのだが今年になって引っ掛かるとは全く「不運」である。点滴にセルシンを注入した途端意識がなくなり30分くらいして目覚めたから相当強力な鎮静剤である。マイケルジャクソンが睡眠薬として常用していた麻酔薬プロポフォールを幼児に用い死亡したとのニュースが流れていたが薬物に対する医者の知識不足を露呈している。
2015.2.19 10ヶ月後。昨夜は風邪気味だったので「葛根湯」とメラトニン系睡眠薬「ロゼレム」を飲んで寝た。朝は眠かったが昼ごろには何とか持ち直した。葛根湯にも入眠効果があるようだ。ロゼレムはメラトニン比べ安定した睡眠効果がある。中途覚醒改善にメラトニンを0.3mg位削って飲むと入眠効果はあるが日中眠い。ロレゼムは高額なので様子見中である。昼寝したいのだが家事の雑用があり長時間横になれない。睡眠不足は離脱症に深刻なダメージを与えるがこの歳で熟眠はもう無理である。4月中旬で全てのベンゾジアゼピン精神薬を絶って一年になる。これまで毎週太極拳教室に通いタイ古式マッサージを受けながら辛い離脱症状に耐え随分改善した。マッサージ料金は一年で40万円近く掛かったが改善すれば安いものである。未だ中途覚醒は治らないが贅沢は言えない。不眠が高じるとボケるそうだがうつ病になるよりはましである。最近「ベルソムラ」と言う脱ベンゾジアゼピンで安全な睡眠薬が出たそうだから依存症や離脱症に苦しんでいる人には朗報かも知れない。厚生労働省の資料によれば、60歳以上の20人に一人が睡眠薬を服用し、70歳以上の女性は4人に一人が睡眠薬を服用している…となっている。不眠症は老い先短い高齢者に偏っているから社会的な大問題にはならないのだろう。高速道路の逆走が睡眠薬に無関係とは思えないのだが…。
2015.3.15 11ヶ月後。3/7に孫のユウトとカミサンの3人でスキーに行った。他にも孫はいるのだがユウトだけは抜群の癒し効果を持つ不思議な子供で将来はその方面に進み心病める人々を救えればと思っている。カミサンは相変わらず睡眠薬を使っているが脳が鈍いのか頑丈なのか影響ないようである。向精神薬でトラブルを生じる人は20%~40%とされているから枠外なのであろう。カミサンが精神科で「ロゼレム」を貰ったのでたまに頂戴しているが持ち越しの少ない穏やかに効く睡眠薬である。メラトニンは翌日に眠気を持ち越すので使用していない。日中眠くてボンヤリする日が多く未だ完全に以前の自分に戻った気はしないが古希になったからボケが始まったのかも知れない。ベンゾジアゼピン依存症になった原因は老人特有の早すぎる入眠、中途覚醒、早すぎる目覚めの睡眠障害から逃れるために睡眠薬を乱用からである。パニック障害は今のところ発症せず予期不安も治まっている。デパス、サイレースなどの向精神薬を断ったのがよかったのだろう。12年前に大腸ガンにかかり5年ものあいだ再発の恐怖に怯え何とか完治したが後遺症の腸閉塞は今も治癒していないから常に不安が付きまとっている。更にこの離脱症で2年以上も苦しむとは…。長生きするほど選べない避けられないものが増えてくる。病の追い討ちから逃れるべく今後も「太極拳」と「タイ古式マッサージ」を継続し12ヶ月後には離脱症を克服したい。
2015.3.26 11.5ヶ月後。昨日はタイ古式マッサージを受け食事をして夕方6時に寝てしまった。夜10時に目が覚めたがまた寝て朝5時に目が覚め食事してからまた寝て朝9時に目が覚めた。お天気がよいのもあって爽やかな気分である。マッサージすると中途覚醒しても熟眠できるから非常によい。昨年末までは毎週マッサージを受けていたが費用の関係で今年から隔週にした。次回は4/15を予定している。いつ昔の自分に戻れるかその前にお迎えがくるかは分からないが少づつでもいいから治まって欲しい。
2015.4.15 12ヶ月後。今日はタイ古マッサージを受けながら途中で寝てしまった。月日の過ぎるのは早いものでマッサージを始め断薬してから一年過ぎた。今日は久しぶりにお天気がよく気分もよい。昔から雨が降ると気圧の関係か何処と無く不調であった。高山病に弱いから生まれつき脳が脆弱なのだろう。焦燥感、倦怠感、めまい、脳の膨張感などが無くなったので昔の自分に戻れたような気もするがパキシルを飲んだ頃に始まった耳鳴りがまだ残っているから完全ではない。日中眠くボンヤリするのは花粉症が影響しているかも知れない。今年もスキーレッスンを受けたがデパスを飲んでいないからか不整地が怖くて滑れなかった。足前が落ちたのか「坑不安薬デパス」を飲まなくなったからか分からないが昔より体内時計がユックリ回っているような気がする。ベンゾジアゼピンは脳のドーピング剤であり服用しなければもっと穏やかな老後を迎えていただろう。70才になり同年代の友人知人が多数他界したが最後のお迎えまでには完全に治まって静かな晩年を過ごしたい。
2015.5.15 13ヶ月後。急に暑くなって驚いたが脳の調子はマアマアである。2週間前に突然目が痛くなって日中室内でサングラスをかけて過ごした。パキシルのフラッシュバックかパソコンの見過ぎかその後は何事もなく治まっている。睡眠が大事だからとダラダラ寝ているとフラッシュバックするようである。白湯療法をしてガブガブお湯を飲んだら最初はよかったがそのうち味覚障害になってしまった。巷で好評の白湯療法は所詮プラセボ効果で水道水はダメに至っては宗教である。止めると治ったから安堵した。一昨日はマッサージ、昨日は太極拳と頑張ったが調子はイマイチなので缶ビールの大を飲んで寝たら麻酔されたように寝込んでしまった。何時ものように2~3時に中途覚醒したがその後また寝て今朝は寝起きがよかった。脆弱極まりない脳だが取り換えられないから大事に使うしかない。一週間前に孫のユウトと皆で横浜に遊びに行ったが全く問題なかったから家でダラダラしてるのがよくないようである。来週はユウト5才とハル1才を五日間預かるので楽しみにしている。
2015.5.29 13.5ヶ月後。孫がいる間は嘘のように脳の調子はよかったのだが居なくなると余りよくない。特によくないのは日中の眠気と目の疲労感である。身体を動かして睡眠の質がよい日は好調だから毎日運動すればよいのだが…。自堕落な生活に戻ると夕方5時ごろ眠くなり少し夕食をたべて寝てしまう。4時間寝ると目が覚め2時間起きていてまた2~3時間寝て2時間起きていてまた1時間寝るので全部で7時間は寝ているのだが日中眠い。寝たきりになったらこの状態が死ぬまで続くわけだから悲惨である。これがベンゾジアゼピンの後遺症なのかボケの始まりなのかは不明だが孫といた時は夜10時に寝て朝5時に起き途中で目が覚めても朝は快調であった。未だ耳鳴りと脳の膨張感、目の光過敏が若干残っているから完全には離脱できていない。プラセボ効果でも自然治癒力でも何でもいいから早く完全に治って欲しい。腸閉塞は離脱症以上に恐怖だから便秘薬は離せないが他の薬は全く飲んでいないのでこのまま行けば完全離脱も夢ではないだろう。この文章を書いたり太極拳の新しい形を覚えようとする意欲があるから認知症やうつ病なども当面心配ない。
2015.6.13 14ヶ月後。日中眠くボンヤリして散歩に出かけるのも億劫で身体を動かすのは太極拳教室とマッサージだけである。たまに孫のお守りをすると急に元気になるから自分でも不思議である。昨日パソコンを入れ換えたが画面が非常にクリアーで目に優しい。ヒョットしたらこれで何らかの改善が望めるかも知れない。睡眠時間が短く日中眠くボンヤリするのは脳の老化現象で離脱症状ではないかも知れない。長年の心身へのダメージが脳の何処かに刻まれているような気がする。常に眼を閉じていたい状態なので何処か静かな保養地で横になっていればよいのだろう。ドライアイの傾向だからパソコンはよくないのだが…。中途覚醒して眠れなかったので「ベルソムラ」を砕いて1/4ほど飲んだらまた眠れた。二日試したが日中の眠気も少なく良好である。ベンゾジアゼピン系の服用を止めると代わりになる薬が無いから離脱できない人も多いだろう。アシュトンマニュアル追補 2011の結論には、実際の離脱は、回復への最初の一歩に過ぎないということを知ってください。その次に、身体に対して、また多くの場合、人生そのものに対してもたらされたダメージを可能な限り修復しなければいけない長い回復期間が訪れるでしょう。しかし、脳は、身体の他の部分と同じように、計り知れない適応力、自己治癒力を持っています。そうやって生命は生き抜いていき、たとえ過去にベンゾジアゼピン‘中毒者’であったとしても、自身の将来に楽観的になることが出来るのです。と悲観的に記されている。
2015.7.17 15ヶ月後。相変わらず睡眠障害に伴う脳に霧がかかった様なボンヤリ感が続いる。普段は酒を飲まないが暑くなったのでたまにビールを飲むと直ぐ眠むれて調子がよい。アルコールは睡眠の質を落とすとされるが眠れないよりは余程ましである。これで中途覚醒しなければ酒は百薬の長なのだが…。夜中に目が覚め寝られないときは「ベルソムラ」を1/4錠飲んでまた寝る。「ロゼレム」と「メラトニン」は日中まで眠気を引きずるから熟睡できていないようだ。先月あたりまで低気圧が近ずくと調子が悪かったが今は解消しいている。波はあるが大筋では収束しているから年末までには完全離脱できるのではと期待している。主な症状のボンヤリ感をブレイン・フォグ(脳霧)と称するようだが的を得た表現である。その他、眼のまぶしさ、不快な眠気、耳鳴りなどがある。以前はこれらが激しく襲ってきたが今は随分緩和された。思考に青空が戻れば完治と言えるだろう。これらは脳のバリアがベンゾジアゼピンに破壊され異常に過敏になって生じていると思われる。…なのでこの修復に数年を要するのは容易に想像できる。愚痴を言っても仕方ないが「ついてない」の一言に尽きる。
2015.8.17 16ヶ月後。連日連夜の猛暑が続いているので一日中窓のシャッターを降ろしクーラーを入れて暗がりで引きこもってウトウトと寝ていた。そのお蔭なのかボンヤリしているときに生じる非常に不快な「昔の自分でない感覚」が何時の間にか治っている。脳に青空が見える程ではないが「ブレイン・フォグ」は消え真人間になった気がする。そして「昔の自分でない感覚」と「ブレイン・フォグ」の症状はどんなものだったのか忘れてしまった。もし他人に聞かれても「ただ辛かった」としか表現できない。一年過ぎたあたりから症状が後退し先行き不安だったがここに来て急に霧が晴れた気分である。一般に朝起きて直ぐ日光を浴びるのがよいとされるが痛んだ脳にいきなり強い光を浴びせるのはよくない気がする。今はなるべく外出を控え暗めの部屋で過ごしている。まだ「寛解」の状態だがフラッシュバックしないようにこのまま終息して欲しい。向精神薬中毒で不眠症、パニック障害、パキシル副作用、ベンゾジアゼピン離脱症に三年間苦しめられたが医者を妄信せず安易に薬に頼らない生き方が大切である。原発など日本の安全は全て神話なのだから。
2015.9.17 17ヶ月後。しのぎ易い季節になり脳の調子は落ち着いている。睡眠は日に依ってマチマチだが寝つけないときは「ベルソムラ」を1/4に砕いて飲んでいる。「ロゼレム」と「メラトニン」も試したが効果が不確実で日中の眠気が強く不適だった。「ベルソムラ」が無くなったら掛かりつけのクリニックに相談して処方して貰おうと考えている。それまでに不眠症が治っていればよいが多分無理だろう。自分では分からないのだが近頃人から顔色がよくなったと言われる。脳に青空が見える程ではないがボンヤリと落ち着いているからこのまま状態が続くように願っている。太極拳教室とマッサージを継続しているがこれがなかったら離脱できなかっただろう。捨てる神あれば拾う神ありで幸運だったと思う。
2015.10.6 18ヶ月後。MUメンタルクリニックで「ベルソムラ」を処方して貰う。絶対に精神科には行かないと決めていたが、9月下旬に発症した「帯状疱疹」の痒みで寝られなくなり遂にギブアップした。この数日間痛みと痒みに責め苛まれ我が身の不運を嘆いたが死ぬ訳ではないと「下方比較」して耐えている。医師に「ベルソムラ」が欲しいと告げるとパンフレットを見せてこの薬は安全だからと言ってアッサリと二週間分処方してくれた。精神保健指定医の肩書があるから精神科の専門医なのであろう。「ベルソムラ」はアメリカの製薬会社が開発した新薬で効果と安全性は確立していなが日本で先行販売された。数回服用したが「ロゼレム」「メラトニン」に比べ明らかに有効である。ベンゾジアゼピンを絶って一年半過ぎているから効果を感じるのかも知れない。「ベルソムラ」が不眠症患者の救世主になるよう祈りたい。皮膚科にも行って痒み止めの薬を貰ったが案の定痒くて寝られないから「ベルソムラ」を1/4錠砕いて飲むとマアマア寝れた。現状より更に辛い状態を引き合いに出して我慢するのを「下方比較」と言うらしいが死んだ方が益しにならないように願いたい。会計1660+670(薬)=2330円
2015.11.22 19ヶ月後。「帯状疱疹」は治まったが昔の自分でない感覚が再燃気味である。不眠症、ブレインフォグ、日中の眠気、耳鳴りなど細かく言えば限がないが以前よりは大幅に改善している。辛かったパニック障害とベンゾジアゼピン依存症の焦燥感、離人感、脳の膨脹感、眼の異常な眩しさ、等が消え救われている。治らなければ今頃発狂し廃人になっていたかも知れない。いま残っている症状は軽度の離脱症と脳の老化が重複しているのだろう。ウィキペディアに依ればベンゾジアゼピンの長期的影響について、パニック障害、社会不安障害などの不安障害のために精神福祉サービスを利用している人の約半数が、アルコール依存症またはベンゾジアゼピン依存症が原発性疾患だと思われた。幾つかの不安障害では、既存の疾患はアルコール依存症またはベンゾジアゼピン依存症であったが、アルコールとベンゾジアゼピンは、さらにそれらの不安障害を継続させたり徐々に悪化させた。とあるからこのままベンゾジアゼピンの断薬と生涯ストレスを減らせば何時かは治るだろう。長生きも楽じゃない。
2015.12.17 20ヶ月後。昔の自分でない感覚があまり気にならなくなったから性格が変わったのかも知れない。よく眠れた日はボンヤリしていても苦にならない。寝られない時は「ベルソムラ」(1/4分割)を飲むと適当に眠れるからこの睡眠薬は救世主である。まだ耳鳴りが続いているので完治していないがマアよしだろう。こんな不安定な脳の状態で会社勤めはとても無理であり若くして依存症になったら悲劇である。社会と関わりながら正当な報酬を得て生きるのは健全な精神の証である。ボランティアは独り善がりが多いから証にはならない。中高年の引きこもりが増えているそうだがアルコールや薬物の依存症になると社会復帰は無理である。不眠は精神疾患に罹る前触れであり依存症から離脱できないと遂には精神障碍者に転落して行く。
2016.1.12 21ヶ月後。ベルソムラが残り少なくなったのでMUメンタルクリニックに貰いに行った。待合室にはザンバラな毛髪で疲れた表情をした若~中年の女性が数人いた。背広姿の中年のオジサンが終始誰かと話していた。去年の10/6に二週間分を貰って3ヶ月過ぎた。医師が今年から一ヶ月分出せるようになったと言った。発売されて一年過ぎたから安全性が確認できたのだろう。これで安心して飲めるので朗報である。相変わらず眠くてボンヤリすることが多く昔の自分でない気がする。昼寝や朝に二度寝するとスッキリして昔の自分に戻るから寝不足なのだろう。太極拳で頭と身体を使うとよくなるから脳の血流が不足しているようだ。3月で71歳だからもう昔の自分に戻るのは無理だろう。ボケの前ぶれでなければいいのだが…。会計1500+1050(薬)=2550円。
2016.2.18 22ヶ月後。日中は昔の自分と違う違和感を感じるが日常生活にはさして支障ない。夜になると昔の自分に戻っている。スキーなどで外泊すると一日中真面である。毎日運動して脳の血流を増やせばよいのだろうが…。兎にも角にも認知症にならないように祈っている。
2016.3.18 23ヶ月後。概ね先月から変わりはない。マッサージと太極拳は有効なので今も継続している。今年は孫と三回もスキーに行けたからラッキーだった。パニック障害を病んでいるときは神経バリアが薄くなり映画やテレビのアクションドラマは見られなかったが今は普通に楽しめる。パニック障害の予期不安や動悸は正常な人には理解できない程耐えがたいものである。精神疾患は心の病ではなく脳の病気であり簡単には治らない。他人に危害を加えたり感染しなければ社会問題にならないからこれからもベンゾジアゼピンの薬害は続くだろう。
2016.4.15 24ヶ月後。ベンゾジアゼピンを絶ってから丸2年過ぎた。まだ少し耳鳴りが残っているが特筆する自覚症状はない。花粉症や加齢が原因だと思われる日中の眠気はあるが睡眠薬独特の不快な持越しの眠気はない。不眠症は治っていないが日中動けばそれなりに眠れるから気にしないようにしている。如何しても寝つけないときはベルソムラを飲むから不眠症で悩むことはなくなった。ベルソムラを超える安全な睡眠薬が発売されればベンゾジアゼピン薬害も解消されるだろう。今ベンゾジアゼピンを禁止すれば禁酒法と同様に暴力団の資金源になりかねない。注意すべきは巷(ちまた)の精神科医は合法的な麻薬の売人なのを知っておく必要がある。今シーズンは孫とのスキー以外に5日間滑ったが先シーズンのレベルにまで戻れた位でレベルアップには程遠い。孫が4月から小学生になったので今までのように一緒に遊べなくなるが体力も衰えたから潮時が来たのであろう。今後ベンゾパニックがフラッシュバックせずに平穏な余生が送れるよう願っている。
2016.5.19 25ヶ月後。先月は天候不順が原因と思われる脳の膨脹感がリバウンドして不快だったが昨日今日と五月晴れなので爽やかである。昔のように元気一杯には程遠いが歳だからこんなものだろう。5/17に孫が発熱したので雨の中を朝早く電車に乗って息子の住まいに一人で看病に出掛けた。二歳の女児で普段懐かなかったかったから如何なることかと少し心配したが、抱っこすると30分位で泣き止んでご飯を食べさせオムツを変え絵本を読んだりで平熱に戻り無事大役を終えた。自分で思うほど年老いていないのを自覚し安心した。若い頃は共稼ぎで子育てし苦労したから「昔取った杵柄」である。今度会ったら泣かないで抱っこさせてくれるか楽しみにしている。未だ役に立てそうだからボケないように注意したい。ベンゾパニックになる前は万歩計で一日1万歩を目標に頑張っていたが今は買い物に行く位しか歩いていない。週一回の太極拳と月一回のマッサージが効いているのか足腰が痛むことはない。スキーも整地なら問題なく滑れるから張り切って無暗に運動しないほうがよさそうである。
2016.6.18 26ヶ月後。気が付けばもう一月過ぎてしまった。近頃脳のふら付きを感じるが71才だから仕方ないのだろう。親戚にも認知症とそれもどきが増えているから心配である。お気に入りの孫からご指名で来て欲しいとリクエストされたので喜んで出かけた。何かを買って欲しいと言うわけでなくお友達感覚で一緒に遊んでいるだけでいいから楽である。未だボケていない証拠だから安心した。この頃夕食をたべると直ぐ眠くなってそのまま寝てしまう。朝まで眠れれば極楽なのだがそうは行かない。4時間くらいすると目が覚めて一時間位パソコンをながめてまた眠る。そしてまた目が覚めて…。この繰り返しだから質の良い睡眠には程遠いがベルソムラを飲んでも翌日の眠気は変わらないから今はベルソムラを使っていない。十年前に行った海外旅行記のHPを再編集しているが写真を見るたびに昨日の出来事のように懐かしく思い出される。そしてあと十年したら二度と帰れぬ旅に出ているのだろう…。今年の夏は酷暑が予想されるからエアコンを買いに行った。いまのは全く効かないから200V仕様の強力なのに買い替える。6/22に設置されるからこれで熱中症対策は万全である。
2016.7.15 27ヶ月後。ここ数年で知人友人親戚が多数他界しボケたのもいる。ご近所さんは日々プールに通って元気そうだったが近頃は杖をついている。高齢者がトレーニングするのは年寄りの冷や水なのだろう。私の健康法は孫と一緒に公園などで遊ぶことで物を買い与えず懐いて貰うには其れなりの知力と体力が必要である。子供は正直だからボケたりヨタヨタすれば直ぐ離れてしまう。何時まで一緒に遊べるか分からないが長続きを願って常日頃の努力は怠らない。パニック障害とベンゾジアゼピン中毒に罹った「失われた暗い三年間」は辛く長かった。完治したとは言えないがしがらみを避け静かに暮らして行けば大きなリバウンドはないだろう。そして遊びに来る孫の寝顔は「失われた暗い三年間」を忘れさせてくれる。
2016.11.8 31ヶ月後。ベルソムラが残り少なくなったのでMUメンタルクリニックに貰いに行った。先回は1/12に一カ月分貰ったがあれからもう10カ月も過ぎた。近頃は病的な不眠症は治まっているが夏の疲れが原因と思われる不安障害らしきものが若干出没している。ベルソムラには抗不安作用がないから不安で眠れない時は効かないかも知れない。その後ロゼレムも試したが相変わらず日中まで眠気を引きずるので不適であった。デパスはこれまで「向精神薬」に指定されていなかったが今年2016/10/14から向精神薬に指定され一回の投薬上限は「30日分」と定められた。デパスは肩こりや腰痛にも安易に使われていたから訳の分からないまま依存症に悩んでいる人が大勢いるだろう。タバコとアルコールの販売規制が厳しくなったのはつい最近でありそれまで野放しだった。これらは全て天下り役人絡の製薬会社や利益団体の陰謀だろう。日本の安全神話を信じていると碌なことにならない。今日は公営墓地の抽選に当たったから近年稀に見るラッキーで「備えあれば憂いなし」と喜んでいる。会計1500+1050(薬)=2550円。
2016.12.23 32ヶ月後。数か月前から太極拳教室の蛍光灯の光が異常に眩しく感じられ目を開けていられない。眼科で診てもらったが治療する程では無いが老いから来る白内障の影響だと言われた。デパスを服用していた頃も異常な眩しさがあったからフラッシュバックしているのかも知れない。日光はさほど眩しくないからブルーライトも関係しているのだろう。ドライアイなのでパソコン用の老眼鏡は高額な防眩(ぼうげん)レンズを使ってしのいでいる。今年は何とか無事に過ごせたが現状維持はあっても回復改善はあり得ないからジタバタしないで来年も嫌なことには関わらず気ままな老後を過ごして行きたい
2017.4.4 3年後。今年に入って年齢相応で安定している。1~3月は孫を連れて4回もスキーに行った。その内の2回は孫と2人で行ったが孫も喜んでいた。3月末は孫を1週間預かれたから未だ大丈夫で認知症予防には孫と遊ぶのが一番有効である。ボケだすと孫は寄り付かなくなるだろう。2月にパソコンの「RAID」モードでセットされた2個のHDDを「AHCI」モードで一個の「SSD」に交換した。代替えのパソコンが無いから失敗したらアウトでスリル満点だったが何とかセーフだった。3月末はカメラ機能の優れたSIMフリーのXPERIA X compact (sony)を購入し格安スマホと契約した。初めて買うスマホでアマゾンの並行輸入品だからサポートが受けられず苦労したが何と使えるようになった。プロバイダーから郵送されたSIMをXPERIAにセットし諸設定して電話が通じた時は感動した。パソコンとスマホを使いこなし今年もボケないで過ごしたい。
2018.1.13 3年10ヶ月後。「ベルソムラ」が残り2個になったのでMUメンタルクリニックに貰いに行った。1錠を1/4に割ってなるべく飲まないようにしていたから1年2ヶ月も持った。精神科は相変わらず繁盛していたが、もうお仲間になるのはごめんである。今は少し耳鳴りが残っている位で落ち着いている。一ヶ月分(30錠)を貰って帰宅した。会計1,600+1,130=2,730円。
2018.6.12 4年3ヶ月後。「ベルソムラ」が残り5個になったのでMUメンタルクリニックに貰いに行った。カミさんにお試しで10錠程渡したので早く無くなってしまった。カミさんはマイスリーを飲んでいたが近頃は「ベルソラム」をMUクリニックに貰いに行っている。始めの頃は効かないと騒いでいたが今は調子が良いらしい。カミさんが以前掛かっていたOクリニックは相変わらずベンゾジアゼピン系の睡眠薬を処方しているが精神科医は儲かれば良いのだろう。「ベルソムラ」の発売から4年過ぎたが同等の睡眠薬は未だ売り出されていない。薬は翌日寝不足だと困る時以外は飲んでいない、それも1/4錠だから来年まで持つだろう。会計1,500+1,040=2,540円。
2019.4.13 4年10ヶ月後。ベルソムラ」を貰いにMUメンタルクリニックに行く。今日は珍しく待合室に患者が一人しかいなかった。受付をすると直ぐ呼ばれ診察室に入った。変わりはありませんかと聞かれたので大丈夫ですと答えた。話が長くならないように半年前に胃ガンになったことは言わなかった。前回同様「ベルソムラ」を一ヶ月分処方して貰い側の薬局で薬を買って帰った。前日に余っていた「ロゼレム」を試しに飲んだが不快な眠気が一日中続くだけで全く効果がなかった。こんな薬しか作れない日本の製薬会社の開発レベルの低さを嘆き残り10錠余りを全部ゴミ箱に捨てた。不眠症が発症したころはアメリカ旅行で購入した「メラトニン」もよく効いたから加齢で病状が悪化したのだろう。その夜「ベルソムラ」を半分に割って飲むと翌日までよく眠れ目覚めも良かった。私にとっては正に救世主である。会計1,500+1,040=2,540円。
2020.11.5 5年5ヶ月後。「ベルソムラ」を貰いにMUメンタルクリニックに行った。今年はコロナで旅行に行けなかったから服用量は少なかった。10日分はカミサンが使った。担当医師が変わって20mgから15mgに減量されてしまった。ベルソムラは光、湿度の影響を受けやすいの記事があったから今回から15mgを割らずに飲む。同等の睡眠薬デエビゴが2020/7/30に新発売されたので次回は試して見たい 。会計1,500+1,040=2,540円。
2021.5.10 6年1ヶ月後。新薬「デエビゴ」を貰いにMUメンタルクリニックに行った。だが一般的でないからうちでは処方していないと断られた。代わりに「ルネスタ」薦められたが依存性が強いベンゾジアゼピン系なので断って何時もの「ベルソムラ」を処方して貰った。近頃は飲まなくても寝られるからこれはカミさん用である。「デエビゴ」について尋ねたが明快な返事は無かった。数日前からお試しに一回44円の睡眠サプリメント「グリシン」を飲んでいて目覚めが良くなった。会計760+470=1,230円。
2021.7.20 6年3ヶ月後。「ベルソムラ」を貰いにMUメンタルクリニックに行った。コロナで患者が減った為か医師が変わり人数も減っていた。アタシは偶にグリシンを飲んで寝るから「ベルソムラ」15mgはカミさん用である。会計480+470(薬)=950円。
2021.9.14 6年5ヶ月後。「ベルソムラ」を貰いにMUメンタルクリニックに行った。待合室に小太りした女性が数人いた。院長の若い男性医師はマスクをして何を言ってるのか分からないからハイハイと答えて薬を処方して貰った。もしカウンセリングが必要な場合は別の病院に行くだろう。総じて精神科の医者は雰囲気のオカシイのが多い。次回からはネット予約が必要となる。会計480+470(薬)=950円。
2021.12.9 6年8ヶ月後。「ベルソムラ」を貰いにMUメンタルクリニックに行った。先週末に40℃の大風邪をひいて眠れなかったので大量(6錠)消費した。予約しなかったが診察無しなので即処方して貰えた。毎晩飲んだ方が良く眠れると思うのだが、依存症になると困るから必要な時だけ飲んでいる。会計470+470(薬)=940円。
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